TBCN

襤褸は着ててもロックンロール

「僕の言う白をキミも白と言うかなあ」

チョー久しぶりにCONDOR 44のアルバムを聴いてたら「winter」という曲で「僕の言う白を キミも白と言うかなあ」という一節につきあたった。

自分と他者の感覚の差およびその不可知性について語る際、視覚とりわけ色を例にするのは小説やらエッセイやら歌詞やらで何度か見てきたような気がする。

多くの場合そこでは、たとえば人によって赤と青とが真逆になって認識されているとか、そういうドラスティックなイメージが述べられている。同じものを認識しているつもりでありながら実はまったく異なるかたちで捉えられているのではないか、そして他者とのそうしたズレは絶対に把握し得ないのではないか、というわけだ。

しかしよく考えれば、赤⇔青ほどではなくとも、同じものを前にしながら異なって感じるということはよくある。

視覚

・私は左右で視力が違うからか、左の方が明度が低い。だから片目をつぶって見ると、同じ色でも右のほうが明るく、左のほうが暗く見える。年をとって視力が落ちてくるとだんだん暗く見えると何かで読んだ気がする。私以上に左右で違って見える人もいるとおもう。

・これは拡張した話になるが。私の知人はかなり視力が良く、神保町だとか新宿だとかに行くとしょっちゅう有名人を見かけるらしい。だいたい三十メートルくらい先までなら一瞬で顔が認識できるという。私は目が悪いのでそんな賑やかな街にくりだしても誰も一度も見かけたことがない。

聴覚

・イギリスで真夜中の公園にたむろする若者を追い出すのにモスキート音が使用されているとして話題になったのは、私が二十歳になる前だったとおもう。当時、大学の先輩とその話になり、ノートPCからイヤフォンでモスキート音を聞かせてもらった。全然何も聞こえなかった。しかしその先輩はもう三十近いというのに、「うるさい、うるさい」という。数年後、あるミュージシャンがやっているバーでモスキート音の話になった(店内には四人くらいいた)。一人の男がスマホを操作すると、カウンターに立つそのミュージシャンは「やめて、やめて」と顔をしかめる。私は何も感じない。なぜ日頃から耳を酷使しているはずのバンドマンに聞こえて私に聞こえないのか、もうそれだけ耳が老化しているのか、と理不尽を感じた。

・この数年、SUNN O)))だとかEARTHだとかNADJAだとかの長尺のドローン、スラッジ系の音楽を好んでよく聴く。昔の自分だったら耐えられないとおもう。

触覚

・近所の銭湯に「電気風呂」がある。風呂の壁面から微弱な電気を流してマッサージ効果があるというもの。強のコーナーと弱のコーナーに分けられているが、強のコーナーは私には強すぎて入ることができない。ところがその強のコーナーに入って平気どころかまだ足りないかのごとく壁面にぐりぐりと腰を押しつけて余裕、というオジサンを見かける。いったいどういう腰になっているのか。

味覚

・初めて日本酒を飲んだのは、小学生のころの元日、年が明けたばかりでまだ暗い神社へ行って神酒を飲まされた時だが、「こんなマズイものが飲めるか!」とおもった。しかし今では日本酒というものは逆にスイスイと飲みやすすぎてその飲みやすさこそを警戒しなければならない。

嗅覚

・生活臭というのは家によって異なるが、他人の家のニオイにはすぐ気づいても、自分の家のニオイというのはよくわからない。私は一年くらい同じ枕を何も気にせず使っているが、その枕を使うよう他人に薦めることは絶対にできない。

俳句のようにわずか十七音の作品でも、鑑賞者によって受け取るものは異なる。旅先で同じ風景を眺めながら同行者がまったく異なる感慨を受け取っていたということに後から気づかされる短篇小説に竹西寛子五十鈴川の鴨」という名篇があるが(ちょっとBL風でもある?)、そういうふうにつらつらと考えてくると、ある二人が同じものから同じ感覚を受けるというのは、かなり限定された条件の下でないと難しいのではないか。

そういえば数年前にある読書会で、「エロ漫画でよくある二人が同時に絶頂するというようなフィクションをこの小説は撃っている」などと語っていた人がいたことをおもいだす。

固着からの解放

 読書猿『アイデア大全』(フォレスト出版、2017)という本を読んでいたら、次のような記述にぶつかった。この本は「発想法」についてのものなのだが、終盤の「ポアンカレのインキュベーション」という章にこうある。

 

 天啓は無意識からではなく、固着からの解放で生まれる。

 

「固着からの解放」とは何か。かいつまんで言えば、「Aでしかない」と思われていたことに、「Bでもありうる」という別の(あるいは複数の)回路が開かれることであろう。そして創造的な「発想」とは、一つの文脈に縛り付けられたモノをそこから解き放ち、別のモノと結びつけることで異なる文脈を新たに形成することだ。この本はこうした文脈組み替え手法を古今東西から42もの例を挙げるカタログになっているが、逆にいえばそれだけ人は一つの意識に縛られやすいために、発想的な問題解決の手法が古くから必要とされてきたのだろう。

 興味深いのは、ポアンカレに続く「夢見」という最終章で、人が睡眠中に夢を見る際、脳内で無意識的に行なっているランダムな文脈組み替え作業は、こうした「発想法」に似ている、という指摘である。「眠りと夢見は(ポアンカレの)インキュベーションの1つの方法と見なせる。問題と従来の解法についての固着を剥がし、ランダムな刺激を含む意味ネットワークの拡散活性化を使うことなどがインキュベーションの構成要素だが、夢見はそのすべてを含んでいる」。目が覚めている時、人はわざわざノートに書き出すなどして意識を拡散活性化させる必要があるが、寝ている時にはそうした状態が自然と起こりやすいということだ。しかし夢見の欠点として、時にあまりにも脈絡なく感じられ、しかも忘れやすい。どちらというと無意識の領域に近い方法である。だから、意識的な作業と無意識的なランダム刺激とは、どちらか一方ではなく、どちらもが重要なのだ。天啓(良いアイデア、インスピレーション)の本質とは、無意識的な偶然性ではなく、「固着からの解放」にあるという考えには勇気づけられる。
 たとえば、大江健三郎の『小説のたくらみ、知の楽しみ』(新潮社、1985)という本では小説の手法として「異化効果」がかなりフィーチャーされている。「異化効果」というとついシュルレアリスムを思い浮かべがちだった私は、この本を読んだ時、かなり啓発された。つまり、異化効果=シュルレアリスムという一つの回路が無意識的に固く形成されていたところに、大江の解説によって別の回路が開かれ、インパクトを受けた記憶がある。それはいわば、「異化効果」自体についての「異化効果」であったからであろう。
「固着からの解放」という語へのぶつかり方には同じくらいの実感を受ける。「Aでしかない」と思われていたことに「Bでもありうる」という別の回路が開かれるとき、人は何か、パーッと視界が開けるような解放感を覚えるらしい。たとえばミステリにおいて探偵役が行なっている推理はこうした思考法ではないだろうか。読者としての私は、解決編にいたり不可能犯罪と思われていた事象が可能であったと示されるときのあの感じをおもいだす。
 ここで注意が必要なのは、「解放のされ方」もまた一様であってはしだいに固着化されてくるので、「解放のされ方」自体が常に解放されてゆく必要があるということであろう。
 駄洒落のことを考えればわかりやすい。駄洒落というのはもっともミニマムな固着からの解放(音=意味という一元化からの意味の解放)であるが、同じ駄洒落を言い続けているとだんだんと固着化してきて、面白くもなんともなくなってゆく。そうした停滞を再び流動させるのが解放なのだ。
 しかし、解放というのは契機にすぎない。その後の別の回路における新たな固着がなければ、新たな解放もない。つまり解放とは固着に依存しており、いったんは固まってゆくものがなければ亀裂を走らせることもできないわけだ。固着=悪、解放=善と単純に分けられるものではなく、永続的な固着による貧血化こそが堕落をもたらす。ある一つの問題があったとして、その内部か外部のどちらか純然たる一方に立つのではなく、内部に分け入り行き詰まった地点において外部からの視線がうまく差し込まれてきた時、その交差する点において新たな回路、すなわち天啓は開かれるのではないか。

『時の娘』と歴史ミステリについて――ある余白への走り書き的覚え書

 少し以前から、ジョセフィン・テイ『時の娘』について、余白(マルジナリア)にメモしておこうと思いながらずるずると流してきたことがあり、そのことについて先日チラッとつぶやいたらnemanocさんに言及されたので、私の方も走り書き的覚え書きとして記しておこうと思います。
 ※
 ついこの前、ずいぶん久しぶりに後期クイーン的問題という語を見かけた。
 後期クイーン的問題というと、直接の関係はないのだが、私はどうも、歴史ミステリ(中でも、実際の過去の謎を資料によって解くタイプの)のことが思い浮かぶ。例えばジョセフィン・テイ『時の娘』という代表的な作品(しかし実は案外、こういう作例は少ないのだが)がある。イギリスでは悪人王として有名なリチャード三世という人物のその「悪評」をデマとして検証しようという、今風に言えば歴史修正主義に対する問題だが、主人公・グラント警部がリチャード三世王にまつわる世間の歴史認識に疑問を抱くきっかけになるのは、リチャードの肖像画を見て(こういう人相から察すると、この人物は、巷間いわれるような悪人じゃないんじゃないか)という刑事の勘である。これも今風に言えば反知性主義ということになるだろう。
 もちろん、勘という身体感覚から始めたグラント警部は資料を集め、そしてある結論にたどり着く。しかしあまりに古い出来事には、「これさえあればすべてが断定できる」というような、唯一絶対の証拠というものはない。ある証拠と他の証拠との関係がかたちづくる星座を見、そこから類推を働かせなければならない。だから、ある証拠(記号と呼んでもいい)が持つ意味は、別の証拠によってオセロのように変わりうる。名作と現在される『時の娘』(ミステリ小説のオールタイムベストでアンケートを取れば必ず挙がる常連だ)で示される解も100%確実なものではなく、今後、小説としての評価はともかく、「解決編」の評価に関しては、まったく変わることもありうる。たとえば、リチャード三世の遺骨が発見されたのも、つい数年前のことだ。

www.afpbb.com

 こういう基本的かつ重大な新事実が将来的にまた発見されることはない、とは、誰も言い切れないのではないか。
 作品の終盤、「トニイパンディ」という語が出てくる箇所がある。ここは現代人の歴史認識に対するリテラシーについて述べた、本作の勘所の一つである。かつ、読み方によっては、まったく真逆の結論を引き出しかねない、危うくスリリングな部分でもある。
 探偵役とその助手が、主眼となる「リチャード三世悪人説」に関して、資料を読み解き、あるていど片を付ける。つまり、世間一般に流布するのとは異なる論を構築し、「誰が何の目的でデマを流したのか」にまで見当をつける。考えてみれば、歴史の中にこうした、実際と異なる説が流通した例は多い……と、探偵と助手は感慨を漏らす。
 ――と、本文を引用したいところだが、そこだけを引っ張ってもあまり説得力がないというか、誤解を招く恐れもあるので(実際にそういう例をいくつか見ています)、ぜひ本文にあたっていただきたいが、少しだけ。ここではTonypandyという地名は歴史上のデマについての換喩(「永田町」とか「霞ヶ関」とか「桜田門」みたいなもんですね)なのだが、

「(……)問題の要点は、現場に居合わせた一人一人がみんな、この話は作り話だと知っていながら、しかも、それを否定していない、ということだ。今となってはもうとり返しがつかん。この話は嘘だと知っている連中が黙って見ているあいだに、そのまったくの嘘っぱちが伝説になるまでふくれ上がってしまったんだ」「そうですね。じつに面白い、じつに。歴史はこうして作られるんですね」「そうだ。歴史はね」(小泉喜美子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1977)

 当時を知っている人はいる。でも、黙っている。「歴史はこうして作られる」。当事者の沈黙、失語というのは、それはそれで大きなテーマである。ある説を語る論者がそれを語ることの権利はどこにあるのか、という問題にも絡む。しかしその問題については、ここではとりあえず置いておく。
 江戸川乱歩はかつて『時の娘』について、こう書いた。

最後になって、この史実顛覆の着想が、作者の全くの創意ではなく、古くホレース・ウォルポール(ゴシック怪奇文学の先駆者「オトラント城」の作者)ほか二人の同じ論文があることが分つて、やや失望するが、これは世に隠れた異説であつて、イギリス人でも知つている人は少ないだろうから、この小説はやはり充分面白いのである。(HPB版解説、1954)

 初読時、私は乱歩のいう「失望」的気分だった。しかしその後、H・R・F・キーティングが次のように述べているのを知り、見解を変えた。説に先行者がいたという展開は、つまり「正しいと思われる学説でも、注目されなければ忘れられてしまう、ということを示しているのだ」(『海外ミステリ名作100選』長野きよみ訳、早川書房、1992)。もしも「説の再発見」に価値を置くならば、「新説」に対するこだわりは、甘っちょろい。なぜなら、それは、「正しい説を語れば誰もが耳を傾けてくれる」ということが期待されているから。しかし、読者の置かれたこの現実というものは、そうではない。論者が正しいと思うことを述べる。しかしそれを流通させるには、かなりのコストがかかる。「それは本当か?」という検討に始まり、無視、誤解、悪意ある曲解、……などなど、ビビッドなテーマであればあるほど、さまざまな困難が待ち受けている。
 たとえばこんな状況を想像してみよう。ある閉鎖状況で起きた事件について探偵役が、自分の推理を述べる。彼は何の権限も持たない素人探偵だが、説得力はじゅうぶんにあった。しかし、聞き手がそれを理解しない。「お前(探偵役)は何様なんだ」と憤慨する。「オレは昔、お前に誤った説明を受けたことがある。だから今だって信用できない」と関係ない過去を持ち出す。「あの人(犯人)は良い人。残虐なことなんてするわけない! そんなことを言って善良な他人を傷つけるお前の方こそ悪人だ!」と感情を訴えられる。「ポジショントークw で、それでいくらもらってるんすかwww」と無根拠なデマをはかれる。「え? 自分はそんなこと言ってませんよ。そんな誰も興味ない些細なことを証拠にされても……大丈夫ですか? ちょっと休んだほうがあなたのためなんじゃないですか?」と前言を翻される。「その証拠のどこが重要なんですか? 私には何度言われてもわからないなあ」と論拠を否認される……云々。
  現実に起こりうるこうした状況がスポイルされ、たいていのミステリの中で探偵役に権威が与えられているのは、もちろん小説作品としてミステリ的興味を追究するため、煩雑なコストを節約する必要があるからだ。 探偵が語る「解決」は途中にすぎず、殺人事件なら警察、検察、そして法廷へといった流通過程があるが、こと本格ミステリにおいては語り手―聞き手におけるノイズはたいした問題とはされない。
 そう考えてくると、「正しいと思われる学説でも、注目されなければ忘れられてしまう」という観点は、なかなか深い。過去を見れば、現代では信じられない捜査や裁判というのは、いくらでもある。魔女狩り(拷問による自白ほか)にせよ大岡裁き(赤子の手を引っ張るというアレね)にせよ、今の社会では通用しない。もちろん、ヒドイ冤罪事件は今もある。法的な場でなくとも、議論の場でとんでもないことがまかり通る(たとえば企業における会議など)ことは、多々ある。しかし、「議論の場では、説得力のある意見には従う」というのは、ほとんどの議論において、参加者が共有する暗黙のルールとして、意識にすらのぼらないほど内面化されたものだろう。このルールが破られる。「説得力があろうがなんだろうが、目的実現のためならどうでもいい。その責任? 知ったことか」という態度を取られる。これでは話が通じない。「説得力などどうでもいいではないか」という聞き手に対し、説得力の価値(ルールの共有)を解く困難さは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対する答えの困難さにも似たものがある。ルールの共有は、そのルールを前提とした問い―答えという言語ゲームの中からは絶対的には根拠づけられない。ある言語Aしか知らない者と別の言語しか知らないBとで緻密な会話が成り立たないようなものだ。「対話」のためには、「対等な関係において同じルールの言葉で話す」として、ルールが対話の前に外部から共有されていなければならない。
ポスト・トゥルース」云々という昨今の情勢を考えれば、説の再発見と流通というテーマ(それはテイとキーティングから私が勝手に敷衍させた要素が大きいかもしれないが)は、現代的ではないだろうか。
 ※
 実際の歴史的謎を扱う型歴史ミステリの難しさの一つは、作中において絶対解が出せないということにある。安定した解を示せる題材ならば、既に読者には周知の可能性が高いし、またあまりにニッチな謎については、興味を惹きにくい。資料確度の高さ、およびキャッチーさ。それを小説家が、論文ではなく、あえて小説(フィクション)にする。なかなかハードルが高い。フィクションであれば、織田信長が女であろうと宇宙人であろうと自由に書けるわけだが、そうした自由さを作り手が自ら封印するのだから。
 推理小説として成功した『時の娘』は、数々のフォロワーを生んだ。例えばフォロワーを標榜する高木彬光『成吉思汗の秘密』(1958)は、源義経ジンギスカン説を扱うものだが、終盤、急に探偵役・神津恭介の恋愛問題の話になってしまう。そして語り手は、神津と女性の間がうまくいけば「義経、成吉思汗の一人二役なんか、どうなってもかまわない」と興味を横滑りさせ、読者を(オイオイ)とガッカリした気分にさせる。ラストもどっちつかずというか、神秘性に頼って誤魔化すたぐいのものであり、およそ論理的とは言えず、『時の娘』との差が目立つ(しかしにもかかわらず高木は、義経ジンギスカン説に本気であり、批判に対する長い反論、さらには同じ手法で別の歴史的謎を扱う続編まで書いた)。思うに、「リチャード三世悪人説」というのは、原因はある人物の死、場所はロンドン塔に限定される範囲の話であり、義経ジンギスカン説は正面から扱うにはスケールが大きすぎた(それこそ、歴史小説的フィクションでしか書けないレベルにまで)のだろう。
『時の娘』フォロワーとしてもうひとつ評価が高いのが、コリン・デクスター『オックスフォード運河の殺人』(原著1989/大庭忠男訳、HPB、1996)。これもシリーズ探偵・モース警部が文献によって過去の事件を解く物語だが、上記の二作と異なるのは、扱われる事件が史実ではなく、創作であるということだ(実際の歴史書をかなり参考にしているらしいとはいえ)。しかし、この小説の結論部も、『時の娘』に比べると、ズルさに気づかされる。最終的な決め手は資料ではなく、現場証拠なのだ。終盤、モースは安楽椅子探偵の立場(病室)を振り捨て現場へ出かける(そして都合よく、130年前の証拠を発見する)。
『成吉思汗の秘密』と『オックスフォード運河の殺人』の結論部に共通するのは、文献だけによっては謎を解決できないために、メタレベルに頼る、ということではないだろうか。『成吉思汗』の結末は、ある神秘的な出来事が起こり、「こんな神秘的な出来事が起こったんだから義経ジンギスカン説は正しいだろう」という、情緒的な訴えかけである。やはり論理性としては、弱い。『オックスフォード』では証拠を発見するが、百年以上前の物証をそんなに簡単に発見できるのか、という都合の良さはある。そしてなにより、これは架空の事件なのだ。フィクションによってフィクションを解く、というのは、あっても良いが、やはり論理性ということを重視するならば、どうも地に足が着かない感じを拭いきれない。モースに証拠を発見させるのも発見させないのも、作者の都合次第ではないかと疑えてしまう。
「神秘」にしろ「架空」にしろ、それは作中現実(オブジェクトレベル)の推理の妥当性を、メタレベルから保証する、というものである。この点が、いわゆる「後期クイーン的問題」とされる問題構成と重なる点があるのではないかと私は思うのだが、あまり整理はできていない。
 ※
 先に説の「流通」ということを書いた。歴史ミステリにおいては、殺人事件を扱う本格ミステリとは別の意味で、その「流通」は問題になりにくい。近代社会においては法に触れる事件の犯人の流通先は整備されているが、歴史ミステリ的な解釈の多くは趣味判断のレベルにとどまり、あまり膾炙しようがないからだ。『時の娘』において「解決」は、グラントの身近なところでひっそりと披露される。オーディエンスはほとんどいない。あえて言えば読者がオーディエンスで、たいていの人はグラントの意見に同意するのではないか。実際、エリザベス・ピーターズ(修道士カドフェルシリーズのエリス・ピーターズとは別人。為念)の『リチャード三世「殺人」事件』(原著1974/安野玲訳、扶桑社ミステリー、2003)は、リチャード三世のファン集会で殺人事件が起こるという、パロディー的な小説で、『時の娘』にオマージュが捧げられている。つまり、『時の娘』においては、小説の外部の読者へと流通先が開かれていた。
『時の娘』(1951)に先駆け、実際の歴史的謎を扱った作品にカー『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』(1936)、リリアン・デ・ラ・トーレ『消えたエリザベス』(1945)がある。この二つは舞台を当時においた、どちらかというとノンフィクション・ノベル的なタッチのものである。 テイは『時の娘』以前、『フランチャイズ事件』(1948)で、『消えたエリザベス』と同じエリザベス・カニング誘拐事件を扱っているが、『フランチャイズ』は『エリザベス』とは異なり、『オックスフォード運河の殺人』のように事件を創作的に翻案しつつ、舞台を当時においている。このデ・ラ・トーレとテイを比較するとなかなか面白い。 デ・ラ・トーレも歴史ミステリにおいては重要な作家であり、実在の人物サミュエル・ジョンソンを探偵役として実在の謎を解く『探偵サミュエル・ジョンソン博士』シリーズの短篇集の一冊目を1946年に刊行している(邦訳は日本オリジナル編集で論創社、2013刊にまとめられている)。そして同じ考証型でありながら、現在時の架空のキャラクターが謎を解くというタイプでは、『時の娘』の方が画期的である。『エドマンド・ゴドフリー』から『時の娘』にいたるまでに、こうしたバリエーションの開発がある。
  デ・ラ・トーレがサミュエル・ジョンソンを探偵役に据えたのはミステリ史的な理由がある。それは、彼と彼の伝記作者ボズウェルとの関係を、コナン・ドイルシャーロック・ホームズシリーズにおいて踏まえているからである(詳しくは同書解説および門井慶喜『マジカル・ヒストリー・ツアー』、丸谷才一湯川豊『文学のレッスン』の「伝記・自伝」の項参照)。さらに、探偵サミュエル・ジョンソンものにおいては、ホレス・ウォルポールを扱った一編がある(先の邦訳に収録)。ウォルポールはゴシック小説の元祖『オトラント城』の作者であり、ゴシック小説はミステリの源流の一つである。そして上記乱歩の解説にあるように、ウォルポールは『時の娘』にも直接的な影響を与えている。かつ、「セレンディピティ」というミステリ的に重要な概念の開発者でもある。たとえばウンベルト・エーコは『完全言語の探求』の補遺として『セレンディピティ』という論を書いているが、この「セレンディピティ」がどう重要なのかということは、パースのアブダクションがどうとか論理学がこうとかいう話になるので、今の私の手には余るため、よす。閑話休題。『探偵サミュエル・ジョンソン博士』においては伝記とゴシック小説というミステリの二つの源流が、歴史ミステリの文脈において流れ込んでいる。
 ミステリの源流といえばエドガー・アラン・ポーを外すわけにはいかない。上記の議論からすればオーギュスト・デュパンものの一編「マリー・ロジェの謎」のことは用意に目につく。これは題材こそ現代(当時の)だが、実際の事件を扱ったもので、しかもあの「モルグ街の殺人」の次作なのだ。

 上記のように考えてくれば、『時の娘』および歴史ミステリ(特に資料考証型の)が、ミステリ史において決して突然変異的なものでないことがわかる。ミステリ小説の外部と内部という問題も、古くから潜在してきたということが、整理すればより明確になると思う。

 ※

 すでに長くなっていますが、書き残したことがあるので、まだ少しだけ続きます。一ヶ月後くらいになるかもしれませんが……。

走馬灯的効果についてのメモ

アニメ『昭和元禄落語心中』とドラマ『山田孝之のカンヌ映画祭』の最終回を立て続けに見た。それぞれに面白かったが、最終回特有のあの「走馬灯的効果」に関しての扱いがまったく対照的だったのも興味ふかかった(走馬灯的効果というのは私が勝手に呼んでいるだけなので、もっと適切な名称が既にある場合はぜひご教示ください)。


『落語心中』の最終回は、たった一日の出来事を追うものだが、前回からいきなり17年もの時間が経っている。人物は皆、子供は大人に、青年は中年にとそれぞれに年輪が刻まれており、視聴者はいちいち驚きとともに感慨ふかい情動に突き動かされる。この場合、そうした効果が可能なのはもちろん、それまでの回をずーっと追って見てきたからだ。それを抜かして、この回だけを見ても、何がなんだかよくわからないだろう。

この時、視聴者の頭のなかで何が起こっているのだろうか。同じ画面を眺めていても、これまでの流れを知っている者と知っていない者とは、立ち上がるイメージが異なる。知っている者は、この一日の時間のイメージに別の時間(作中で17年前の前回、あるいは2シーズン24回計12時間の視聴体験、作中で流れる80年近い時間、落語というジャンルそのものの時間)のイメージを重ね合わせて眺める。勝手知ったる慣れ親しんだ過去と現在とのギャップを想像力によって埋める時、しかもそのギャップが古いアルバムを眺めるように次々とやってくる時、人は何か強烈な情動に突き動かされてしまうらしい。
対照的なのは『カンヌ映画祭』で、ここでは山田孝之が故郷を訪れ、母校とかつての実家を歩き回る。母校でかつての思い出を語る山田は既にノスタルジーに浸っているのだが、やがてかつての実家が更地として売却されていることを知ると、涙腺崩壊してしまう。しかし視聴者にとっては、そこは単なる更地でしかない。上述の「いきなり最終回を見た視聴者」と同じ立場にあるので、山田が更地に見出しているであろうおびただしい懐古的イメージを共有することができない。

去年見た映像で、「これは単位時間あたりの走馬灯効果が最も高いな」と思ったのは、SUUMOのCM「最後の上映会」である。

youtu.be

引っ越し前日の夜、ひとり暮らしの部屋が急にこれまでの数年間の映像を映しはじめる。ここではこの効果を、音楽がより高からしめている。音楽の効果を具体的に述べると、
1「なごり雪」という曲。ある程度以上の年齢の日本に長年暮した視聴者ならば、「なごり雪」を聴いたことのない人は少ない。その、かつて聴いた過去の時間と現在のCMを眺めている時間とのギャップ。
2 曲の歌詞における「春」という季節、語感。春は出会いと別れが周期的にめぐってくる季節であるから、それだけで過去と現在とのギャップを想起させやすい。
3 湯川潮音によるカバー。「なごり雪」を知っているほとんどの人が想い出すであろう、かぐや姫のバージョンないしイルカのバージョンとも違う、過去と現在とのギャップ。
4 曲の転調。CMの終盤、サビの調子が一挙に物悲しいものに変わる。おなじみのフレーズが別の印象を与えることのギャップ。
 曲自体にこれだけのギャップが仕込まれ、しかもそれに併せられる映像はまさに走馬灯的イメージそのものなのだから、「泣ける」というよりも「死」を連想させるほど、強烈な情動のテクニックが駆使されている印象を受ける。

同じイメージに別のイメージを重ねるということ。もちろんこれ自体は最終回にかぎらず、さまざまに利用可能である。

いきなり最終回」について別のたとえをすれば、麻耶雄嵩に『さよなら神様』という連作短篇集がある。これは各話の冒頭で「犯人は○○だよ」といきなり犯人の名前が告げられるのだが、これがネタバレにならない、つまり読者のサプライズを引き起こさないのは、読者が犯人について何も知らない、「いきなり最終回」状態にあるからだ。犯人の名前を知った後、事件が回想的に語られ、そこで○○が犯人でありえないだろうことがわかる。にもかかわらず、やはり○○が犯人であったと理解するとき、結末部において○○という固有名は読者にとり、既に別の意味を持っている。だからこそ、驚くことができる。

懐古的イメージを怒濤のごとく急激にほとばしらせる技法は、物語においてそう何度も使えるものではない。最終回とか、ひねったかたちでは「エピソード・ゼロ」のような番外編などで利用される。

しかしこれは、パロディ、パスティーシュ、二次創作などにおいても利用可能である。最近読んだ中では、mikioという人の書いた「最初の事件」という短篇がまさにそうした技法を利用したものだったけれど、ここで感じ取ることのできるものは、おそらく、読み手がシャーロック・ホームズシリーズについて多少なりとも知らなければ、ピンとこないに違いない。「本編」を借景としているからこそ、つまり作品外で時間を滞留させているからこそ、パスティーシュとしての短い作品内でその時間的エッセンスを爆発させることができる。

「叙述トリック」についてのメモ(7)

叙述トリックについて思うところを最後に書いて一年近くが過ぎた。
http://anatataki.hatenablog.com/entry/2016/04/29/130020
当初はそれなりにやる気があったはずなのに、なぜこんなに間隔が開いたのだろうと考えると、たぶん、今の私は叙述トリックというものにそれほど価値を置いていないからだと思う。
にもかかわらず、「来るべき云々」などとまるで叙述トリックというものに未来を見ているかのようなポジティブなタイトルを付けてしまった。それがツラかったのだろう。

数日前に、ぱずる(a.k.a.秋好亮平)さんという方がこんなふうにつぶやかれていた(勝手に引用してスミマセン)。

 

私は当初(最初のツイート時)、「歴史的視座の忘却」ということがよくわかってなかった。というのは、新本格ブームが始まって以降、「このミステリーがすごい!」などのランキングによる年刊アーカイブス本も続々出てきて、評論の賞も増えて、探偵小説研究会などもできて、インターネットで過去の言説にも比較的気軽にアクセスできて、評論の同人活動を行なう人も少なくなく、あんまり「忘却」という感じはなかったので、そりゃあ昔の「抑圧」を知る人も少なくなって、敵味方に分かれたり論争したりは(そんなに)なく作家の立場というものも液状化していると思うけれども、という感じだったのだけども、自分なりに考え直したところ、しだいにある一つの大きなものが、この三十年近くなんら大きな傷を負うことなく生き延びている気がした。
それが叙述トリックである。

なぜ自分がこれほど叙述トリックというものに愛憎を抱くかというと、19歳の頃に初めて書いた短篇(150枚はあったから中篇かもしれない)の恥の記憶が消えないからである。それはある毒殺事件を扱うように見せかけて、実は愛知万博の時代と大阪万博の時代とを読み手に取り違えさせようというバカ丸出しの稚拙極まりないものだったが、毒殺事件の論証的な部分はほぼミステリの体をなしていないにもかかわらず、なんとなく推理小説を書いたような気になっていた。しかし後から考えれば考えるほど、その頃の自分は間違っていたとしか思えない。2005年に19歳だった私をして推理小説を書いたような気分にさせていたものは、いったいなんだったのだろうか(単に頭が悪かったのか)。それはおそらく、人をして「ネタバレ厳禁」とテクストを密教化に走らせ、ショックによって冷静な判断力を奪い、忘却の中でひそかに生き延びるものなのではないか。

ハッタリめいたことをいうと、私は個人的には、叙述トリックというものには一度死んでもらいたいと思う。死んでもらうというか、自分の中で葬り去るというか、とりあえず納得のいく説明をつけて、大きすぎもせず小さすぎもせず、今後は等身大の単なる一手段のものとしてお付き合いさせていただく感じ。流行児ではなくてそのへんのありふれた平凡な人という感じ。おお、あの人は今。それくらいだったら、今の私もたぶんツラくない。かつてはそれなりに輝いて見えた語りというものがなんの根拠もなく無意味にヒネられ量産された凡庸なドヤ顔をこれからもずっと読んでしまうのは、やっぱりツライ。一度は愛したあの人に大人の階段をそこそこゴーイングしたはずの私はどんな顔を取り繕えばいいのかわからない。卒業式でもらった第二ボタンの処分の仕方がわからない。そのことが苦しい。いったいどうすれば、赤の他人のような元の気楽な関係に戻ることができるのだろう。私がこんなに思い悩んでいるというのに、あなただけそんな何も変わらないような顔をしているのはずるい、もっともっともーっと、傷ついてほしい、云々。……こんなふうに仮想敵に見立ててツッカかってしまうのは結局は私怨というか憑物落としみたいなものだが、同じように感じてくださる方もわずかにはいるんじゃないかとおもう。
そう考え直すと、少しだけモチベーションが湧いてきた。
なので、これまでのタイトルも変えてみました。

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

すっかりミッド・ウィンターですね。

これは前にも同じことを述べたような気がするんだけど、何か書く(あるいは作る)時のやりかたを有酸素運動無酸素運動にたとえれば、私はかなり無酸素系である。ゆっくりかつ悠々と語る資質に欠けていて、あるていど見取り図ができてきたら、短時間で一気にバーっと書いてしまう。別にそれが良いと思っているわけではなく、どうもそういうやりかたしか(今のところ)できないんですね。

なんというか、こう、日々の呼吸を取り入れながら目論見を達成していきたいなあ、とおもう。

そういえば映画『この世界の片隅に』を見て胸中に思い浮かんだことごとを書いていなかったので、今のうちにそうした雑感をメモしておきます。


◯この映画には何か、見る者を引きつけ、それぞれが読み取りたいものを読み取ることができる、鏡のような、ブラックホールのような感触がある。この抵抗感のなさは凄い。
◯なぜこのような抵抗感のなさが可能なのだろうか。もちろん技術力の高さ、さらにそれを感じさせないだけの技術力の高さがあるのだろうことは、門外漢の私にもうすうすとわかる。しかし加えてアニメーションという表現媒体によるところも大きいとおもう。筋の進行は時系列通りに進むが、小エピソードの連なりというところは「サザエさん」的でもある。たとえば先の「抵抗感のなさ」は、「サザエさん」に抵抗感を覚えないのと同じようなものなのだろうか。これが実写だと、どう頑張っても違和感は出てくるのではないか。
◯しかしそう考えたとき、私はフレデリック・ワイズマンのいくつかのドキュメンタリーをおもいだした。ワイズマンの映画にも「抵抗」は感じない。この作品をめぐっては「ドキュメンタリー的」という評言をいくつか見たが、おそらくそうした感想が出てくるのは、そこにいる(いた)人々の日常の再現というところに主眼の一つがあるからだ。ではここで私のいう「抵抗感」の正体とはいったい、なんなのだろうか。
◯「抵抗感」とはおそらく、「作り物性が出過ぎていて、作中の中にうまく入っていけない」という時に覚えるものだ。だからアニメーションだろうとドキュメンタリーだろうと、「作り物性」が鼻につけば「抵抗」を感じるし、作劇技術の高いレベルにおいては、「抵抗」を打ち消すことができる。しかし「抵抗感のなさ」だけでは、ブラックホールのように「引きつける」までにはまだ、たどり着かない。「ここに描かれている世界とオレのいる世界とは、見た目は違うが連続しているのではないか」という強いリアリティの感覚が必要だ。
◯「太平洋戦争下の広島の日常」を題材として考えるとき、その情報量はとてつもなく大きい。ここでいう情報量とは、見る者がこれまでに溜めこんできた記憶の集積も含めてのことだ。誰もが何らかの記憶を持ち、時には目を背けたい、思い出したくない、ストレートに語ることのできない困難さ、まともに向き合えばいたたまれなくなってしまうからこそクリシェとして情報を簡略化することで精神の安定を図らずにはいられないほどのスケールの大きさ、またそうして消費してきたこと自体にまつわる後ろめたさ、胡散臭さ……等などが当然ある。
◯そうしたあまりにも大きなものをストレートに投げつけられると、見る者の器は壊れてしまう。良いピッチャーの球を受けるには、良いキャッチャーになる必要があるからだ。この映画を見ていると、間口の広い、低いところから、しだいしだいに高いところへ連れて行かれるような感じ、つまり二時間の中で自分がキャッチャーとして育てられてゆくような感じを持った。最初に直観した、「抵抗感のなさ」と、「見る者を引きつけ、それぞれが読み取りたいものを読み取り……」とはおそらく、そういうことだとおもう。だから、重くストレートなものは一度見ればグッタリしてしまうが、この映画はその大きさにもかかわらず、多くの人がくりかえし見られるし、実際に見るのではないかとおもう。
◯私は涙もろいので、だいたい開始五分くらいで堤防ぎりぎりとなり、流れこむ水になんとか耐えていたのだが、もちろん彼らを待ち受けるおおよその運命は知っている(原作未読)。最近、「歴史物は最初からネタバレ」云々などと口にする人がいるが、この場合、筋の結末を「ネタバレ」と捉えるのは適当ではない。以前、桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』角川文庫版の辻原登解説から、『オイディプス王』についての「劇的アイロニー」という言葉を引用した。

毎年三月、ディオニュソスの大祭のとき、アテネで上演された『オイディプス王』を観て、アテネ市民はその都度、オイディプスの運命を哀れみ、同情して涙を流す。劇が終わると、観客は涙をぬぐい、一種晴れ晴れと澄み切った気持ちで野外劇場をあとにした。
 なぜ、毎年、同じ劇を観、結末を承知しているにもかかわらず、人々は涙を流すのか。いや、そうではない。観客は、劇のはじまる前に、オイディプスの運命を知っているからこそ涙を流すのだといえる。
 観客は分かっているが、登場人物は知らないことになっている皮肉な状況、劇的アイロニーと呼ばれるこの状況が、じつは涙の源泉なのだ。しかし、おのれが何者なのか、と最後の最後まで捜査を推し進めてゆくオイディプスは、すべてを知っているつもりの観客の思惑を越えて、彼みずからを謎にみちた存在、怪物へと変貌させてゆく。
 その変貌に立ち合ったとき、結末を知っていると高をくくった観客・読者は、おのれの存在がいかに卑小なものであるかを思い知らされ、おそれおののく。このときだ、ほんもののカタルシスがおとずれるのは。

観客は、眺めている登場人物の「運命」を知っている。しかし、眺められている登場人物は、その「運命」を知らない。そしてまだその「運命」は到着していない……。この宙吊りの感覚を、「サスペンス」として捉える論にこのところ関心を抱いているのだけれども、それはひとまず置く。しかし私は、この一文を読んで以来、〈結末を知っていると高をくくった観客・読者は、おのれの存在がいかに卑小なものであるかを思い知らされ、おそれおののく。このときだ、ほんもののカタルシスがおとずれるのは。〉という感覚を、今回初めて実感した。それは登場人物だけではなく、「太平洋戦争下の広島の日常。ナルホド……」という事前の「高をくくった」感じを超えてゆく、制作側の突破力に対してでもある。
◯私はこれまであまり感じていなかったのだが、感想を見ていると、戦後教育への反発はこれほど強かったのか、と驚いた。もちろん知識としては知っていたが、自分が反発を感じたことはあまりなかった(というか私の場合、良くも悪くも、記憶に残るほどの反発や尊敬を覚えた教師を持っていないのだが……)。
これも以前引用したが、小林信彦の『時代観察者の冒険』(新潮社、1987)の一節を想起する。

41年前の8月15日を語ることの困難さは、まさに、この奇妙な〈明るさ〉にある。8月15日そのものは、41年前もたってしまえばたいした意味はないので、問題は、8月15日に終った太平洋戦争(ぼくの記憶の中では今でも大東亜戦争であるが――)をどう考えるかだ。(……)〈戦争を語り伝える〉というのも、ほとんど至難のわざである。そうした〈わざ〉を持続しておられる方々への尊敬の念は別として、ぼくはといえば、自分の子供さえ説得しかねているありさまだ。「戦争は……」と口に出しただけで、「クラい話!」という否定的な声がかえってきて、二の句がつげなくなるからである。〈語り伝えられる側〉の気持もわからないではない。ぼくが子供のころ、〈震災記念日〉というのがあって、当時からみても20年ほど前の関東大震災をしのんで、黙とうをささげたり、記録映画を見せられたりするのが、ひどく、うっとうしかった。こんなものがオレにどういう関係があるのか、と腹立たしくもあった。――今の子供が〈敗戦記念日〉〈終戦記念日〉について抱く印象は、あのいらだちに近いのではあるまいか。(「現代の奇妙な〈明るさ〉」初出は京都新聞1986年8月15日)

あるていど自我ができてくると、信条を押し付けられることに対して反発――抵抗を感じる。信条というものは自分で選び取ったほうが強い。くどいようだが、「抵抗感のなさ」というのは、時間が経ち、〈語り伝える〉側にも世代交代が起こったということも大きいとおもう。あまりにも近く、激烈なことというのは、発信者も、受信者も、屈折した、たどりにくい表現、すなわち、「抵抗感のなさ」に対する抵抗を伴うことが多いから。

◯押し付けは何も戦後に限らず、もちろん戦前からあった。しかし、「精神性は何も変わっていないではないか」と感じられるイヤ~な連続性は〈オレにどういう関係があるのか〉どころではなく、日常のそこかしこにある。数十年前の人物の運命に涙し、女優の不遇に憤りを覚えるその同じ心が別の誰かを踏みにじって〈オレにどういう関係があるのか〉と平然としていてもなんら不思議ではない。しかしたとえば玉音放送を聞いたすずが見せるあの「激情」のかたち、最後にとる行動の意味は、加害と被害は流動するということに気づかなければわからない。実は私は見ている最中はわからなかった。上のように考えてきて、ようやくわかったような気がした。〈関係〉を受け取るキャッチャーとなることを、押し付けではないかたちで自らが選び取る間接的な力となること、もし作品に何らかの力があるとすればその場所においてだろう(こういう重要なことは直接的にいうとそれはそれで胡散臭くなってしまうので、あまりいわないが)。

◯私が作品との〈関係〉で受け取ったのは、そんなようなことだった。