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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

魚雷の目につられて

奈良美智氏の表紙が目をひく、筑摩書房のPR誌「ちくま」で、今年から荻原魚雷氏の「魚雷の目」という連載エッセイが始まった。
それまで荻原氏について何も知らなかったのだが、うーん、古本ライターというのだろうか? そういう方らしい。
不定期連載で、2008年9月号以来、二回もとまっている。9月号は持っていないから、あるいは終わってしまったのかもしれないとも思ったが、公式ブログを覗くと連載中らしいので、また次号、もしくは次々号に載るのだろう。
「ちくま」は、笙野頼子津村記久子と菅野昭正と……の連載が終わった今は、毎号ではなく、見かけたらたまに手に取るくらいなのだが、7月号に掲載されていた荻原氏の「魚雷の目」第五回は、なんとなく読んで、ひかれるものがあった。
十返肇、という作家兼批評家について書いた文章だった。この名前は、とがえりはじめ、と読む。カッコイイね。しかし、この作家についても私は全く知識はなかった。つまり筆者についても、作家についても、知らなかったのである。
にも関わらず、その短いエッセイを何度か繰り返し読み返した。そしてそのうちに、この十返肇の本が、読みたくて読みたくてたまらなくなってしまった。
十返肇は文壇で活躍する文人について、見たことや聞いたこと、あれやこれや交えて率直にわかりやすくものをいう「軽評論」で人気を得た人だそうだ。平野謙によれば、文壇の「記憶の宝庫」だったという。私がひかれたのは、十返の「ダメさ」について書かれていたからかもしれない。
十返の『筆一本』から引かれた、
「私は気の弱い、煮え切らない人間だ。いつまでも一つ事をクヨクヨしている人間だ。往生際の悪い奴だ。しかし、私はそういう自分の性格を嫌悪することはあっても、いまだかつて修養によって矯正しようと志したことはない。これからも未練たっぷり、グズグズ生きてゆくつもりだ」
という文章にはグッとくる。腹の底から出てくるような力がある。
私自身、よろずあきらめの悪い人間だ。何でも、スパッとあきらめて見捨ててしまうより、ダラダラとどうにか形になるまで、続けていたい、と思うところがある。そして私は、グズグズした人間が好きなのだ。荻原氏の「本のページを閉じた後、何日も、いや何年も考え込んでしまうようなことが書いてある。」という言葉も良い。それこそ私はこの言葉を、何年も覚えているだろう。
というわけで、エッセイを読んだのは7月だったが、今まで気になっていた。夏と冬の古本祭りで十返の本を探してみたが、見つからない。そこで先週、東京に行った際に寄った古本屋で、一冊だけ買うことが出来た。東方社版の『現代文学白書 文壇パトロール』だ。
「文壇パトロール」という副題が素晴らしい。時事新報連載時にはタイトルだったのを、東方社版に際し副題にしたらしいが、もうこれだけで、ちょっとしたおかしみで、嬉しくなってしまった。
まだ100頁ほど読んだだけだが、50年以上前に出た本であるにも関わらず、とても読みやすい。十返の率直な言葉がスイスイと入ってくる。「小説よりも平易で、愉しく読める文芸評論」という帯の惹句もウソではない。
『随筆 筆一本』も読みたいのだが、なかなか手に入らないらしいので、どうなるか。


ところで、今週か先週の「週刊読書人」は「全集特集」で、そこで今度は荻原氏が「辻潤全集」を紹介している。
辻潤? 誰だろう。翻訳者。宮沢賢治の発見者。ダダイスト。ふーん、面白そうな人だね。著書に『絶望の書』『ですぺら』。あーあ、講談社文芸文庫にあったなあ。読んでみようかなあ。

というわけで最近、荻原氏の文章から目がはなせない。