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襤褸は着ててもロックンロール

『円朝芝居噺 夫婦幽霊』を読んだ。

辻原登円朝芝居噺 夫婦幽霊』で読書会。私は当初、全編を楽しく読んだ。「夫婦幽霊」本編が終わった後の、「訳者後記」〜「円朝倅 朝太郎小伝」の部分、つまり全体の終盤、オチに関しては、駆け足の感もあり、「ここが評価の分かれ目かな」と思っていた。ところが蓋を開けると、オチどころか他の部分に関しても否定的な会員が大半であったので、少し驚いた。いくらなんでも、もうちょっと評価が高くて良いんじゃないだろうか。
あれからつらつらと考え、自分の中で整理されてきた点もあるので、ここに書く。
【以下、辻原登円朝芝居噺 夫婦幽霊』についてネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。】
円朝芝居噺 夫婦幽霊』は、基本的に3つの部分で構成されている。まずまくら。作中人物「辻原登」(以下、実際の作者と区別する意味で「辻原登」とする)が、亡くなった親友・橘菊彦の遺品の速記原稿を入手する。三遊亭円朝作ではないかと疑われる「夫婦幽霊」という作品である。そして「夫婦幽霊」本編。次に「夫婦幽霊」の作者を推理する「円朝伜 朝太郎小伝」。
私は、今作には少なくとも3つのレベル、層があると思う。
1.作中作「夫婦幽霊」内部の層
2.「円朝伜 朝太郎小伝」の層
3.作中人物「辻原登」の層
この3つの層について思うところを紹介していく。
1.作中作「夫婦幽霊」内部の層
何と言っても今作の主眼は、作品の半分以上を占める芝居噺「夫婦幽霊」にあるだろう。極論すれば他はオマケみたいなものだ。円朝の幻の落語が発見された、というパスティーシュなのだから、ここでウンと力をこめないと、作品の根幹がダメになる、作者が一番力を入れるべき部分だ。
そしてこのところが厄介だった。というのは、我々読書会のメンバーのほとんどは、あまり落語に詳しくなかったから。私も「芝居噺」というのを今回、初めて知った。そのくらいの知識だから何か言うのは難しいのだが、素人なりに思ったことを簡単に書いていく。
「夫婦幽霊」は四千両という金をめぐる話だ。藤十郎という侍くずれが、江戸城の御金蔵の大工だった富蔵に盗みの話を持ちかける。二人とも、女がらみで金が入り用だった。盗む。そこへ犯行の証拠をつかんだ棟梁の菊治が割り込む。三者間で駆け引きがある。
その基本のストーリーに、様々な要素が盛り込まれる。まず安政の大地震。鯰絵で儲けた藤十郎の出板。佐久間長敬、中村仲蔵といった実在の人物。幕末も近い。
さらにメタフィクショナルな仕掛けが加わる。あまりにも長く、物語の流れを断ち切る注釈。欠落部分。語り手円朝自身の登場。ロシア文学チックな内面描写。等々。
まずこの落語の部分が面白くない、という批判は、かなり根本的な批判になる。私は、え、面白いじゃん、と感じた。それは私がふだん千代田区に通うことが多いからなのだろうか。街の描写は楽しいし、文章も声に出して小気味いい。
たとえば

まず酒肴が豪勢にととのいます。八寸に吸物椀、硯蓋、盃台、銚子と並びまして、硯蓋には酒の肴が盛り合わせで、とこぶし、かまぼこ、玉ずさ牛蒡、こはく玉子、しおぜんまいといったところで、やがてうなぎ、鯛の塩蒸しとつづきます。酒は伏見の月の桂。/菊治は小半時をおおどかに、磊落に、のみねえ、くいねえと勧め上手で、あいさには富蔵の仕事ぶりをほめちぎり、子供の誕生はほんとうにめでたい、ますます大工渡世に身が入るというもの。それにくらべおれんとこはまだ恵まれねえ、この歳だ、もうあきらめた、とためいきついてみせるうち、ふいと身を乗り出して、ところで富蔵、とドスのきいた声をひびかせました。/「きのう、おまえにいったこと、忘れていやしめえな」/富蔵の視線がさ迷います。(p58-9。ほか、引用はすべて文庫版)

と、会食の席でふいに菊治が富蔵に迫るシーン。あるいは、

みな焼けております。川に死体が浮いております。吾妻橋は無事で、それを渡りましたが、下流では堤裂け、大地が割れて泥水があたりを浸しており、そこにも死体が浮いておりました。日本堤で夜が白みました。五十大塔の九輪が曲がっております。幸い風はほとんど吹かず、火はようやく終熄に向かいつつありまして、あちこちから集まって、大門をくぐる大八車、べか車はみなすでに救出と跡片付けにくりだしたもので、藤十郎はいかにもそれらの仲間の如く、澄まし顔で、無残な廓の中へ入ってゆきました。(p92-3)

と、藤十郎が焦土の街を、金の回収にゆくシーン。こういった辺り、私は読んでいて楽しかった。他にも、

藤十郎が〕浮かない気分でぶらぶらと駒込焙烙地蔵前を通りかかりますと、貧相な寄せがあり、「三遊亭円朝・鳴物噺『怪談牡丹燈籠』」と銘打った小さな幟がわびしげにパタパタと鳴っております。(……)もしもこのとき、彼がわたくしの噺を聞いていたら、これからの展開はどうなったことでござりましょう。(p69-70)

という箇所は、最近出た『東京大学で世界文学を学ぶ』(p215-6)を見るに、ドン・キホーテからの引用だろう――といったくすぐりも随所にある。
また、「夫婦幽霊」というタイトルながら幽霊が全然出てこないで最後まで引っ張るところ、戯作者(≒小説家)志望だった藤十郎の作品が発禁となり、再起をはかろうとしたところで語り手の円朝(=落語家)らによって御用となる点、脅迫者・菊治をためらいなく殺すものの、秘密を抱え悩む藤十郎……等々、印象的な断片はたくさんある。それらをまとめあげる手腕はさすがだと思った。円朝の真作と比べるとどうなのか、と言われると自信がないが……。
2.「円朝伜 朝太郎小伝」の層
辻原登」による、円朝の息子・朝太郎に関する記述が、作品の終盤を占める。要約すれば、先の「夫婦幽霊」は朝太郎と芥川龍之介による合作である、とするものだ。今作に好意的な評では、ここを完全に(作品内における)「真」とするものが多いようだ。私もそうだった。ただ、何度か読み返すうち、少し違う考えを持つようになった。
この作品は当初、「夫婦幽霊」の最後までが「群像」に連載され、単行本時に「訳者後記〜「朝太郎小伝」」が加えられた。連載では「辻原登」が、円朝作らしき作品を発見したので紹介する、という、事実を装ったものだった(間に受けた読者はいないだろうが)。読書会で、「事実を装った擬似ドキュメンタリーであるにしろ、単行本時に「小伝」を書き加えるなら、「夫婦幽霊」に関して調査中である、といった記述(「現在、橘がどのような事情と経路で、この符号を入手したのか、調査中である」p33 とか?)は、書き換える必要があるのではないか」というような意見があったと思う。それは「小伝」の内容を、「作品内における真」とした場合、正しい。私も「真」だと思っていた。でも今はそう思わない。
「小伝」の内容は、全然「真」ではない。いや、作中人物「辻原登」がかなり断定的な調子で書いているから、まるで『円朝芝居噺 夫婦幽霊』という作品自体が「小伝」を「真」としているように見えるが、実は全く「真」とは言えないことに、「辻原登」自身も気づいている。
まず根拠が弱すぎる。「芥川龍之介と朝太郎の境遇は似ている」「二人は交流した可能性があった」「芥川龍之介は『奉教人の死』で偽書を捏造した」……これらは「ありえた可能性」を示すものではあるが、積極的証拠ではない。時代小説なら、可能性さえあれば好きに創作しても無問題だろう。でも『円朝芝居噺 夫婦幽霊』は時代小説ではなく、現代小説である。そこに、「小伝」への違和感の源がある。
「小伝」は「辻原登」による、完全な創作だ。創作だから、「現在調査中」といった文言も、単行本時に変えることはできず残っている。「夫婦幽霊」の作者は、依然として不明のままなのだ。作中の「辻原登」は当然それに気づいていながら、「小伝」は「創作である」という事実を強調しない。留保はつけるが、弱い。言い落としではないだろうか。それについては後述する。
さて「小伝」の内容である。放蕩息子の朝太郎は、「速記」に興味を持つ(p230-1)。時は速記ブーム。速記本が売れ、速記が社会に浸透していった時期。でも平成の現在、速記はかつての勢いをなくした。そして三遊亭円朝の倅・朝太郎についても、詳しいことはほとんど分かっていない。この朝太郎が、「夫婦幽霊」創作に際し、速記を担当する。ここで、「朝太郎」―「速記」という、歴史の中に消えようとしているもの同士が重なる。「三遊亭円朝」―「落語」、「芥川龍之介」―「小説」という、トライアングルの構図も浮かぶ。
ただ、この「構図」は、「辻原登」が創り上げたものだ。構図について「小伝」で明確には触れられないが、「辻原登」が意図しているのは明らかだと思う。ここに「小伝」への、ひいては『円朝芝居噺 夫婦幽霊』への違和感がある。そういった構図を描きたいのなら、「事実」を強調したメタフィクションではなく、最初から時代小説で書けばいい。なぜ「夫婦幽霊」に隠れるように、創作物である「小伝」をそっと並べるのか。
3.作中人物「辻原登」の層
私は、それは『円朝芝居噺 夫婦幽霊』という作品が描くものの一つに、「辻原登」の欲望があったからだと思う。
「夫婦幽霊」に関して、「事実」と言えるものは何だろうか。「“三遊亭円朝作”をうたう速記原稿が見つかった」「しかし使用された速記符号からして、原稿が書かれた時期は、三遊亭円朝の死後らしい」これだけだ。そこから「辻原登」は、「小伝」の物語を、朝太郎と速記の物語を作り上げる。この「小伝」の意図と『円朝芝居噺 夫婦幽霊』の意図を、つまり作中人物「辻原登」と実際の辻原登を混同すると、誤ることにならないか。
「夫婦幽霊」の中で、語り手である円朝はこう述べる。中村仲蔵の楽屋で、藤十郎が事件の犯人である証拠を掴むべく佐久間長敬とともに思案するシーン。

仲蔵さんは時間が迫って、化粧前の動きが慌ただしくなりました。円朝めはそのようすをじっとながめております。/この円朝、私であって私ではありません。(……)以上のようなわけで、化粧前にいる仲蔵さんをじっとみつめている円朝を別人とおぼしめし下され。

つまり作中人物と作者の分離。これを敷衍すると、作中人物「辻原登」と現実の辻原登は別人ということになる。そんなことは当たり前だと思うかもしれないが、どうも「辻原登」の語りに乗せられて、つい混同してしまう。
だいたい、作中の「辻原登」は怪しすぎる。先述の言い落しもそうだ。いや、もちろん留保はつけているのだが、至る所で断定的な印象が強い。
「夫婦幽霊」に入る直前。

偽書の推理の線をひとまず捨てる。次の問題は、橘菊彦はいったいどうやってこの速記原稿を手に入れたのかということだ。そして彼は、これを三遊亭円朝の口演速記符号だと認識していたのか(p32)

その次のページ。

〔速記から起こした「夫婦幽霊」の文章を、「群像」掲載用に「辻原登」が手を入れる〕その作業中、しばしば橘菊彦が夢に現れて、さまざまなアドバイスをくれた。私はそれに素直に従った。なぜなら、本来これは橘がやるべき、かつやりたがっていた仕事だからである。/ふいに円朝の声が聞こえたような気がすることもあった。(p33)

橘菊彦が円朝に関心を寄せていたことは以前から知っていたと、p142で「辻原登」は言う。しかし、橘が「これを三遊亭円朝の口演速記符号だと認識していたのか」かどうかさえ分からないと書いたすぐ後で、なぜ「本来これは橘がやるべき、かつやりたがっていた仕事だからである」などと断言できるのか。いやその前に気になるのが「しばしば橘菊彦が夢に現れて、さまざまなアドバイスをくれた」という部分。円朝の声も聞こえたような気がした。ここには何の留保もない。単なるレトリックと読めなくもないが、果たしてそうか。「辻原登」は、あの世からの橘菊彦と円朝の声を本当に聞いたのではないか。あるいは、当人はそう思い込んでいるのではないか。
また、第四回の注釈で、橘菊彦が速記原稿を入手した経緯についての調査結果を述べた箇所。

では、いったい作者はどこにいるのだろう。(……)釜利谷書店が、同行の飲み仲間から聞いた話を官製はがきで知らせてきた。十五、六年昔、キタのクラブ有馬で、〔速記本収集家の〕富沢永吉先生、噺家の桂某、講談師の桃中軒某、それにロイドめがねのやせて小柄な大学講師ふうの中年の四人がよく集まって、ひそひそ話を交わしていた。ロイドめがねの男は橘菊彦であろう。どうやら有馬温泉で「百物語」の会を催そうという相談らしかった。(p148-9)

この会合については、この一度しか触れられない。何なのだこれは。「夫婦幽霊」と何の関係があるのか。「百物語」というのが怪しい。怪談である。しかも、百話を語り終えると、「幽霊」が出現する。「百物語」は本当にあったのか、「幽霊」は出現したのか、否か。
その真偽はわからないから置いておくとして、作中人物「辻原登」の信用できなさについては、注意する必要があると思う。冒頭、「鏑木清方の傑作「三遊亭円朝像」をみるたびに(……)円朝の口演を聞くことができるなら、この命を引きかえにしてもよいと思うほどである」とあるのも、レトリックかもしれないが、真面目に受け取ると不気味だ。彼は円朝の大ファンである。円朝を近代日本文学における超重要人物だと見なしている。そして「私の胸は騒ぐ。不詳の息子、というだけで私には強烈なシンパシーがはたらく。なぜなら、私もまた人後に落ちない不詳の息子であるからだ。/朝太郎を捜すことにした」(p207)とある通り、自身を「不詳の息子」とし、朝太郎にシンパシーを感じている。彼は「円朝は朝太郎を愛し、絶望し、愛した。この愛に息子は応えなければならない」(p236)ともいう。ここで、「父」である円朝に対し、「不肖の息子」である朝太郎と「辻原登」が重なる。「円朝倅 朝太郎小伝」を書くことによって、息子は父に恩を返す。
この「恩返し」の遂行は、「辻原登」による創作物の中においてである。第四回の注釈で「小説への欲望が円朝をとらえている」(p150)とあるが、実は彼自身も小説への欲望にとらえられている。彼は彼の欲望にしたがって「小伝」を書いた。それは、たとえばこんなところにも現れている。

『讀売新聞』2006年4月7日(朝刊)/ユダ 裏切ってない?/1700年前の「福音書」写本解読(……)「ユダの福音書」はローマ教会によって二世紀に地上から抹殺され、1970年代にエジプトで発見されるまでのおよそ1700年間、地中で眠りつづけた。しかも、存在が確認されてから解読されるまでに30年以上の時間がかかっている。(p29-31)

この新聞記事も「ユダの福音書」解読も現実のものだhttp://amzn.to/hLYAun。ここで「辻原登」は、「正典」に対する「ユダの福音書」の異端性、解読までの時間についてしか触れていないが、「不肖の息子」ならぬ不肖の弟子の名誉回復、という点をも無意識に重ね合わせているのは間違いないだろう。という意味で、この新聞記事の例示は実は、「辻原登」の欲望をさりげなく示すものだ。
つまり『円朝芝居噺 夫婦幽霊』は、作品全体としては、「夫婦幽霊」という送り手も受け手も不明なテクストをめぐる、推理の物語になっている。そしてテクストを受けとった「辻原登」は、作者を探す過程で、自身の欲望を重ねあわせた。恩返しをするつもりで、恩返しのために物語を作る登場人物の物語を作り上げた。
いまさら「信用できない語り手」か? いや、ただ単にそれだけではない。何よりも、作品全体の印象として、もっとも記憶に残るのはやはり、「夫婦幽霊」から聞こえる「円朝」の声だ。そして、落語らしからぬあのロシア文学チックな藤十郎の内面描写。四千両を盗み、富蔵とおりょうの死体を捨て、菊治を殺害し、秘密を抱え転落の予感におびえる藤十郎。その内面を語る円朝。内面を円朝に語らせるのは……どうやら円朝ではないらしい。朝太郎と芥川龍之介?は疑わしい。実は全て「辻原登」による創作?は大胆すぎるか。橘菊彦と有馬温泉で「百物語」を催した人々による創作? あの世の橘菊彦? はたまた円朝自身の亡霊? 
どちらの位置に立とうとしても、足場が悪く、不安定なままだ。そんな読者を尻目に、文章の中を声だけが響く。ただ円朝の声だけが。
といったありようを、私は「面白い」と感じたのだと思う。それを言葉にすると、これまで見てきた風になるだろうか。ここにはメッセージも主張もない。抽象的な構図を描こうとすると、微妙に明確な像を結ぶことができない。円朝も朝太郎も速記も落語も、抽象物ではない。具体物だ。その具体物のとりあわせを、私は面白いと思った。少なくとも、無碍に「駄作」と切り捨てることはできないと思った。
4.「私」の層
ここまで書いて、作品をパラパラと読み返す。私の感想は正しいのだろうか。恣意的にあちこちから引用し、私の欲望に沿って結びつけただけなのだろうか。どうだろうか。
「声」と「文章」、「語る私」と「語られる私」、芝居噺と落語と歌舞伎、明治維新を経た近代的個人と落語、円朝と幽霊、最後の朝太郎の予言、等々、他にも語られるべき点はたくさんあると思うけれど、今のところ私はそれらについて言葉を持たない。この辺りで筆をおきたい。

[追記12.26]実際の辻原登と作中人物としての「辻原登」について少しだけ。両者の区別は簡単で、最大のものは「夫婦幽霊」が偽書であるかどうかを知っているか、という点だろう。「小伝」はまさに「夫婦幽霊」の起源をめぐる話であるのだが、作中の「辻原登」はその「小伝」自体の起源性を隠蔽しようと振舞っているように見える。しかし、その「意図」(のようなもの)は、『円朝芝居噺 夫婦幽霊』内の記述から推測することができる、というのが上記での私の見方で、これは当然、実際の辻原登の意図がどうかということは、全く関係がない。また、上記で「真」という言葉で意味したのは、「「夫婦幽霊」の書き手は朝太郎と芥川龍之介である、は真か否か」ということだ。これは「小伝」の記述を信用すれば「真」であるが、『円朝芝居噺 夫婦幽霊』全体を通しては実は必ずしも「真」とはいえない、ということが私は言いたかった。説明不足に感じたので、追記する。

円朝芝居噺 夫婦幽霊 (講談社文庫)

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