立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

とぼとぼと

前回の締めに
「というわけで、ミステリについてつらつらと考えたことを、しばらく続けます。」
と書いて2週間、あの直後に地震が起きて、それどころの気分ではなくなってしまった訳だけれど、なんとか次回からとぼとぼと更新する予定です。
  ※
地震のあった当日、ちょうど、神保町にいた。大きかった。渋滞と歩行者の混雑は、割とすぐに始まったと思う。やがて夕暮れが来た。
その時、地震と神保町、ということで真っ先に思い出したのが、一昨年読んだ岩佐東一郎の『書痴半代記』(ウェッジ文庫)だった。関東大震災の時に古本を買い付けた、という話が、何か凄みを持って印象に残っていたのだろう。
今、目次をぱっとめくると、「大震災前後」という一文がある。関東大震災は1923年の9月だから、87年と半年前ということになるか。岩佐は1905年生まれとあるから、18歳くらいだろう。
関東大震災の話はこの本の他の箇所にも少し出てくるが、「大震災前後」の直前に置かれた「古本の売価」に、まさにその時の様子が描かれている。

その当時、ぼくは大森山王に母や妹や女中たちと共に住んでいた。法政大学予科に入ったばかりの青年だつた。その日は朝からむし暑くて、書斎で寝ころんでいるうちに、いつかうかうと眠つていた。/午前11時58分、地軸をゆるがす大振動にびつくりしてめざめると、同時に、左右の本箱がぼくをめがけて倒れかかつた。身体をはさむように倒れたが幸い少しの差で、生命は無事だつた。(……)日が暮れるにつれて、悪魔のような入道雲に赤々と映える日のものすごさ。これは東京の大半を焼いた炎であるとは、夜になつて生命からがら逃げのびて来た人々によつて知らされた。その人々の髪は焼けちぢれ、破けた浴衣や焦げたシャツに血や泥がついていた。流言蜚語の最たるものは「鮮人さわぎ」だ。フグは食いたし生命は惜しし、九月一日生命は惜ししの語呂合わせが出たのは数日後だった。

神保町へ行ったのは、これから少し経ってから。(「大震災前後」)

なにしろ各新聞社の活字棚が倒れてしまつたから一日の夕刊から一せいに新聞の発行は途絶し、やつと四五日して関西の新聞が街角に貼示される有様だつた。九月中旬すぎてから牛込の法政大学まで開講日時を尋ねに行つた帰りに、九段坂上に立つて眺めると、一望千里の焼野原だ。神保町まで埃りを浴びつつ歩いてくると、交叉点の先の焼跡で大八車に古書を一ぱい積み上げて、「一誠堂仮営業所」と記した布旗が立つていた。これがぼくにはじいんと胸にしみた。と同時に大八車が「仮営業所」かしらと思つたら微笑ましくなつてしまつた。ぼくはなけなしの財布をはたいて風呂敷包みがはち切れそうなまで買い入れた。あとで知つたのだが、一誠堂では罹災するや直ちに新潟へ古書を仕入れに行つて、その一部を大八車へ陳列したのだつた。意気壮なりだ。

先に、この本のことを「真っ先に思い出した」と書いたが、それからちゃんと開いて確かめたのは、今日が初めてだ。記憶と少し違った部分もある。
当日、神保町の様子は、人が多かったせいもあって、あまりよく見なかった。夜更けに、地下鉄に乗って帰った。
明けて、震災のニュースを眺め続けて憂鬱になりながら、夕方になって自宅近くを歩いた。いつもなら土曜日もやっている古本屋は、あちこちで閉まっていた。しかし、古書会館を覗くと、なんと開いている。そこでしばらく本を眺め、いくつか買って帰った。

広告を非表示にする