立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

つらつらと8:続・「ロジック」を読むことについて

久々にこの話題に戻ってみた。
ミステリの「ロジック」の周辺について、いわゆる「後期クイーン問題」などとは別の面から考えてみたいと、個人的に思っている。
ミステリの「ロジック」は、ミステリファンのあいだでも、一種のリトマス試験紙のようになっている。ページを手でめくる間もおしく、一気に読んで、手っ取り早く驚きたい。七面倒な理屈なんかいらない。そういう、サプライズやドラマ性重視の読み手がいたとして、本格ミステリの「ロジック」は、チマチマとした細部にこだわった、展開に起伏の乏しく、説明的な、「人間」を描くことよりも人工的かつ幼稚なゲーム性を目的とした、味気ないものに映るかもしれない。「ま、テキトーに読み飛ばしちゃうよね」ってな感じで。
私も、どちらかと言うとそのタイプかもしれない。飽き性だし、堪える力がないから、なかなか、ジリジリとロジックについていくことができない。ただ、そういったロジックに淫した本格ミステリが、苦手であるにも関わらず、憧れは持っている。
  ※
「巻措く能わざる」「これぞページターナー」「一度読み始めたら止まらなくて、徹夜して一晩で読んじゃいました」
ロジックについて考えると、どれも浮ついた、上っ面の、胡散臭い言葉に感じられる。時間つぶしの単なる娯楽、と割り切るならいい。
でも、私は割り切りたくない。
さーっと読みきることのできる本なんて、本当に大事なものじゃないのだ。もっとじっくりがっぷりどっぷりがっつり取り組んで、悩んで、触発されて、時には長いあいだ放置して、それからまた気になって、たち戻っては別れて、そんな愛読書が欲しい。二度三度四度五度読んでなお気になる作品があったら良い。そしてそれがミステリだったらなお良い。
そんなふうに思う。
それには、読むのに時間をかける必要がある。ひっかかりの多い、一読で完全に理解しきれてしまうことのない、そんな作品。
一つの行き方として、ミステリの「ロジック」は、ミステリの「ロジック」の遅効性は、アリなのではないか。
なにしろ、この「ロジック」というやつはやたら複雑だ。やたら細かい。やたら用意周到だ。石橋を叩きながら、一歩一歩渡るようなものだ。ゆえに時間がかかる。
   ※
以前、保坂和志の「小説論」シリーズを読んでいたら、「小説は、小説を読んでいる時間の中にしかない」という言葉が、これは何度も出てくる言葉だけれど、あった。そしてまた別の本には、小島信夫の『美濃』か『寓話』かを読んでいて、何度も夢中になって読んだけれど、私はこの本のあらすじを、何も覚えていない! ということが、書かれてある。
そういった一節を読んで、あとになって私は、「本格ミステリのロジックも、そういうものではないだろうか?」と、ふと思った。
私は、自分が、エラリー・クイーンの『スペイン岬の謎』を読んだ時のことを、思い出した。ネタについてはまあ、何となく予想できた。実際、その通りだった。
ところが。
それを指摘するロジックが、予想を遥かに超えていた。「あれも伏線だったのか!」「これも!」「まさかそんなところまで……」その畳みかけるような波状攻撃。
圧倒された。ノックアウトだ。私はたぶんその時はじめて、本格ミステリに、「ロジック」に、感動を覚えたのだと思う。衝撃、というようなものではなかった。時間をかけて、じわじわととその論理が染みこんでくる、そしてそれによって深いところでリアリティを受け取る、そういう感動だ。
けれども。
現在、私は、『スペイン岬の謎』について、全く覚えていない。あれだけじっくりと読んだのに。まあ、とはいえ、たかが一、二度読んだ程度だし、もう五、六年は前のことだ。仕方あるまい。
本格ミステリではないけれど、矢作俊彦作品の複雑さについて、以前、保坂和志ファンと、酒の席で、話したことがある。
矢作俊彦作品が凄いのは、事件が非常に複雑で、何がどうなっているのか全然わからなくて、読んでしばらく経つと、事件の構図をほとんど覚えていないんです。でも、読んでる最中は、すっごく面白い。それって、最高じゃないですか?」
「ああ、それは良いね」
酔いも手伝って、そんな会話をしたような記憶がある。
   ※
本格ミステリのロジックも、まさに、読んでいる最中にしか面白さがわからない。あまりに複雑なロジックは、読後、覚えることができない。そしてその大きさに、圧倒される。もちろん、難しいだけでは駄目だ。美しくて、できるだけ穴がない方が良い。
しかし、保坂和志小島信夫カフカといった純文学の、あるいは矢作俊彦のファンが、本格ミステリの「ロジック」を、その「複雑さ」ゆえに愛読する、という話は、あまり聞かない。というようなくくり方も乱暴だが、私は、その違いが、「差」が、とても気になる。ミステリの「ロジック」は、小説にとって、いったい何なのだろう、という問いに、ここのところ取り憑かれている。
   ※
複雑といえば、法月綸太郎の作品を忘れてはいけない。『ふたたび赤い悪夢』『一の悲劇』『二の悲劇』。ほとんど覚えていない(と、かつて人に話したら、「えっ」と驚かれた。その人は、法月作品をよく覚えていた。私だけなのだろうか)。
あと、チャンドラーの『かわいい女』(確かこれは、バカミス関連の誰かの文章でも「プロットが爆裂している作品」として紹介されたはずだ)だとか。
私の貧しい経験からの感想だけれど、ハードボイルドは他のミステリと比べると、「謎」が不定形な印象がある。しょっちゅう動く。固まっていない。被害者も事件も現場も犯人も。往々にして、最初に探偵にもちかけられた依頼は、最後になるともうどうでも良かったりする。だから、密室不可能殺人状況といったような、「謎」の在り処がどこにあるか、はっきりと判明している作品に比べ、覚えづらい。
そこが良いのかもしれない。
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続きます。