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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

伝記のように

マコーマックの『パラダイス・モーテル』を再読したはいいものの、なんだかまだよくわからないところ多い。まあ、初読時よりはいろいろとはっきりしてきたけれども。
それはいずれ書くとして、梶村啓二のデビュー作『野いばら』を読んだ。
『パラダイス・モーテル』にもそういうところがあるけれど、このところ、誰かが誰かの人生を追う、という筋の小説に興味がある。『野いばら』は物語としては非常にシンプルで、現代サラリーマンである縣和彦が、幕末の日本に滞在したイギリス軍人エヴァンズの手記を偶然手に入れ読む、というもの。ミステリであれば、縣とエヴァンズの意外なつながりがやがて明らかになるのだろうが、これはミステリではないから全くそんなことはなく、作品の主眼はエヴァンズの方にあって、むしろ作中作の外に無理やりこじつけ的仕掛けを作っても、それはそれでツマラナクなってしまうだろう。
誰かが誰かの人生を追う、といっても色々なバリエーションがある。たとえばハードボイルドのように、依頼を受けた探偵が失踪者を捜索するパターンや、『パラダイス・モーテル』のように偶然、他人の人生に触れていく、ということもあるだろう。今最も興味があるのは、伝記を書くようにして対象の人物に迫る、というもので、たとえば最近邦訳が刊行された李承雨『生の裏面』のあらすじには凄く惹かれるものがある。これは、ある作家が執筆のために別の作家の人生をたどる話ということらしいが、それは自然、小説的に複雑な記述となるはずだ。
こちらの書評には、『生の裏面』本文中の言葉として、「すべての小説は虚構だ。しかし、真実を表すための虚構だ。混沌(こんとん)としている生に形態を付与するための人工的な混沌、小説的な真実は虚構の口を通して語られる」「すべての小説は自伝的だということだ。そしてすべての自伝的な小説は仮面を被(かぶ)っているということだ」が引用されている。こういった箇所は、『パラダイス・モーテル』を読んだ後、ますます響いて聞こえる。

野いばら

野いばら

生の裏面

生の裏面