立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

一年後の、いま

地震から一年が経つ。早いようなそうでないような、不思議な感覚がする。
私は東京に住んでいて、被害はほとんど無かったし、被災地にも行っていないし、身近な被災者もいないので、報道を見ているとどことなくバーチャルに感じられる時がある。もちろん、自分なりに考えていきたいとは思っているのだが……。
振り返ると、様々なことが思い出される。直後の数日、周辺の店からパンが売り切れ、私は食糧対策など何もとらずに、備蓄していた米を食べていた。そこへ「最近、何食べてます?」と知人から聞かれ、「ウーン、パンがないので、ご飯ですかね」と答えたところ、ヘンな顔をされたこと(本当はパン以上に米がよく売り切れていたのだが、私は気づかなかった)。商店街を歩いていると、普段はその辺りで店を開いたりたむろしているお兄さんたちが、「とにかく行ってみよう」とかなんとか、そういう話がよく聞かれたこと。年末のある夜、人気のない車道脇を歩いていて、道沿いに続く街頭が本が読めるほど煌々と明るく、「あの節電ムードはどこへ行ったんだ」と思ったこと。あの日の帰り道に入ったバーが、年末に突然消えたこと。等等。
色々なことが変わり、というか、元に戻りつつあり、あの当時の切迫した、「すわ、日本終了か」といった気分はさすがにもう、薄れつつある。
そんな時、たまたま読んでいた小林信彦の『時代観察者の冒険』(新潮社、1987)に気になる一節があった。

41年前の8月15日を語ることの困難さは、まさに、この奇妙な<明るさ>にある。8月15日そのものは、41年前もたってしまえばたいした意味はないので、問題は、8月15日に終った太平洋戦争(ぼくの記憶の中では今でも大東亜戦争であるが――)をどう考えるかだ。(……)<戦争を語り伝える>というのも、ほとんど至難のわざである。そうした<わざ>を持続しておられる方々への尊敬の念は別として、ぼくはといえば、自分の子供さえ説得しかねているありさまだ。「戦争は……」と口に出しただけで、「クラい話!」という否定的な声がかえってきて、二の句がつげなくなるからである。<語り伝えられる側>の気持もわからないではない。ぼくが子供のころ、<震災記念日>というのがあって、当時からみても20年ほど前の関東大震災をしのんで、黙とうをささげたり、記録映画を見せられたりするのが、ひどく、うっとうしかった。こんなものがオレにどういう関係があるのか、と腹立たしくもあった。――今の子供が<敗戦記念日><終戦記念日>について抱く印象は、あのいらだちに近いのではあるまいか。(「現代の奇妙な<明るさ>」初出は京都新聞1986年8月15日)

恥ずかしながら、「震災記念日」がある(あった?)ということを、このエッセイを読んで初めて知った。現在、書店に並ぶ数々の「3.11」や「原発」の文字を思い浮かべながらこの一節を読むと、冷水を浴びせられた気になるが、非常に現実的でもある。
この一年を振り返って最も印象的なのは、やはり原発のことだ。多くの反対デモが行われ、書店にもネット上にも関連する情報があふれた。これまでいろいろ読んできて、やはり私も危険にしか思えないが、それより恐ろしいのは、事故の起こる前、原発のことなど普段まったく気にかけていなかったことだ。福島のどのあたりに原発があるかも知らなかった。そういう人は多いと思う。それが、雪崩を打ったように反対にまわった。別にそのことの是非ではなくて、なんというか、ベールが剥がれたというか、憑き物がとれたというか、それまで何とも気にしていなかったものが、急に問題化してきた。問題だということが「わかった」。私はそのことが恐ろしい。今は原発が渦中にあるが、いま、自分たちの気づいていないことで、物凄い問題が実は着々と進行しつつあるのではないか、やがて何年後かに取り返しのつかない事態となって(原発のように)噴出するのではないか、という気がしてしまう。日常を信じられなくなってしまう。それでは神経が参るから、やがて段々と麻痺してくる。居直ってくる。疑惑は薄れていく。そしてある日……。
ということを、小林信彦のエッセイを読みながら、思った。
たとえばちょうど一年ほど前の夜、私はたぶん平静よりも浮き上がった気分のなかで、こういうスレッドを見て、なんだかなごむものを感じた。しかし今見ると、とてもその時と同じ気持ちにはなれない。「信じられなくなってしまう」とはそういう意味だ(勿論、一年前にも、直後の政府発表を疑わしく思っていた人はたくさんいただろう)。
地震から少しした頃、誰かのツイートで、文学者や哲学者のすべきことは、拙速に作品を作ることよりも、時間を経て、誰もがリアリティを忘れつつある時、このことを風化させないようにすることだ、というような意味の言葉を見かけた記憶がある。去年は言葉の力、文学の力がよく取り上げられた年でもあった。実は私は、その(特に詩の)クローズアップにあまりピンとこないタイプだった。それは先述のように、私が傍観者的だったからかもしれない。確かに、言葉を必要とする人がいて、それで支えることができるのなら、そういう作品があっても良いと思う。あるべきだと思う。ただその言葉を必要とする切迫感が薄れた時、作品の持つリアリティも変わるだろうな、とも思う。つまり危機の言葉は、平和な時にはどこかピントがズレて見えるのではないか。
そこが難しい。
大学一年の時、『筒井康隆文芸時評』(河出文庫、1996)を読んで、そこに出てきた「飢えた子供の前で、文学は可能か」という(たぶんサルトルの)問題に、「ウーン」と詰まったことがあった。しかし今は、文学が、たとえば食糧のように物理的に役に立たなくても、それは当たり前だと思う。むしろ、直接的に役に立つと困ってしまうこともある。だいたい設問がおかしい。食糧が必要なら、言葉よりも食糧を確保するべきだ。私だって生きるか死ぬかの瀬戸際にあったら、ミステリや詩のことなんぞ洒落臭くて考えていられないだろう。でもある程度一息ついて、これからの長期的生存を考えたら、やはり再度必要とするだろう。そしてまた、一握りの食糧は、放っておけばすぐに腐ってしまうだろうが、一つの作品が命脈を保ち、長い時間をかけて世界に大きな影響を与えることはできる。はずだ。
それは本当だろうか?
一年という時間を経た私は、そういった気持ちを忘れないように、このエントリを書いた。

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