読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

殊能将之を再読する/『ハサミ男』(1)

ミステリ 殊能将之

殊能将之氏が亡くなったという。
2013年2月11日。49歳。現存する作家の中では最も敬愛する一人だった。
このブログでは以前、『鏡の中は日曜日』と『子どもの王様』について読み返した感想を書いたことがあるが、訃報を聞いて久しぶりに『ハサミ男』から再読してみた。昔は気づかなかったこと、通読して思いついたことなどがいくつかある。殊能将之の本を読むには、再読というスタイルが実はふさわしいのではないかという気さえする。
そうしたことをこれからしばらく書いてみたい。まずはデビュー作の『ハサミ男』から。【『ハサミ男』の真相に触れていますのでご注意ください】
 ※
1999年
ハサミ男』(講談社ノベルス)というと、私はなぜかXTCではなくてナンバーガールのメジャーデビューシングル「透明少女」を思い浮かべてしまう。おそらく女子高生からの連想だろう。両者はほぼ同時期に発表された(「透明少女」のシングルが1999年5月、『ハサミ男』が同年8月)。が、1999年といえば私はまだ中学生だったので、もちろんリアルタイムではなかった。出会ったのはたぶんその2、3年後の、どちらも同じ頃だったはず。いまあらためて振り返ると、二つともその時の空気(1999年という世紀末の)を濃厚に帯びつつ、変わらずこちらの何かを掻き立ててくるように感じられる。手にした際の記憶が甦ってくるように感じられる。なぜだろう?
その疑問はおいておき、『ハサミ男』の話に入ろう。有名な作品なのであらすじは簡単に。舞台は東京。連続美少女殺人事件が起こり、「ハサミ男」とマスコミから名付けられた犯人である主人公「わたし」は未だ捕まっていない。三人目の被害者候補だった目黒の女子高生・樽宮由紀子をつけ狙いチャンスをうかがっていたある日、「わたし」は「ハサミ男」の殺害方法そっくりに殺された樽宮の死体を第一発見者となる。そしてその模倣犯を探すことに。一方、警察の方でも「マルサイ」と呼ばれる犯罪心理分析官を中心にした捜査チームが組まれた。
時代設定は2003年と、刊行(1999年)より少し先の設定。これは作中の警察における重要な官職「マルサイ」が現実には存在しないためだろう。
さて、『ハサミ男』のマジックはどこにあるか。まず、メイントリックは二つある。「わたし」が日高光一という男性ではなく、安永知夏という女性であること。樽宮由紀子を殺した犯人が、犯罪心理分析官・堀之内靖治であること。この人物誤認トリックの組み合わせは、叙述方法の構成によって成り立っている。アラビア数字で「1」から進行していく「わたし」による一人称パートと、「第一章」から始まり警察官たちの捜査を伝える三人称パート。この二つが交互につづられていく。
さらに殺害道具であり、また「わたし」の性別誤認を誘導するタイトルにも採られているハサミ。作者はこのハサミという道具に特に意味はなく、シリアル・キラーらしき名称を適当に作るべくXTCの「SCISSOR MAN」から思いついたとするが、読了した誰もが感じるように「ハサミ」は多義的な象徴性を持つ。
ハサミは、二つの刃で物を鋏むことで切り裂いていく。そして作品には二つの極が溢れている。二つのパート。二つの捜査。二人の探偵。二人の犯人。二人の死体発見者。殺人と自殺。〈医師〉とわたしの対話。……。もちろんこれらはミステリとして読者を誤認させる必要からくるのでもあるが、この「二つ」ということは、以降の作品でも重要なモチーフをなす(それは後述する)。
まず蝶番が消える
二つの刃はもちろん、蝶番によってつながれている。それが外れてしまった。小説はそこから始まる。目黒区鷹番を蝶番=「ちょうつがい」の連想から「たかつがい」と読むのだとばかり思っていた「わたし」は、樽宮由紀子のことを調査した帰り、土地の名の本当の読み方を知る。
〈円形の金属プレートには、大きく「たかばん」と表示されていた。「たかつがい」ではなかった。長い羽根をひろげて、悠々と青空を飛ぶ鷹の夫婦の幻影は、どこかに消え去ってしまった〉
蝶番の外れたハサミはもはやハサミではなく、ただの刃物だ。「わたし」による樽宮由紀子の殺し損ないは、おそらくこの時決定づけられた。
話は変わって、殊能作品が持つ特徴の一つに、風俗描写がある。「若乃花」「貴乃花」「知ってるつもり?!」「なぜ人を殺してはいけないのか」、……小説作法としては「あざとい」と敬遠されることもある、時代性を強く担わされ、我々読者のいる「現実」と作品世界が地続きである幻想を補強するこうした固有名詞を、作者はいつも積極的にとりこんでいく。それだけ世界構築に自信があるためだろう。
土地としての目黒区鷹番はもちろん実在する。最寄り駅である東急東横線学芸駅前は詳しく描かれる一方、「わたし」の住処(丸ノ内線の高架駅が近いらしい)と、樽宮の通う葉桜学園(これは架空の高校)の場所は、明らかにされない。〈四日前と同じく、丸ノ内線から日比谷線東横線と乗り継ぎ、学芸大学駅前を通りすぎて、葉桜高校のある駅に到着した〉。ハサミ→蝶番→……という連想で「鷹番」の地名を印象づけておき、その他の重要な場所がふっと消される。読者はこんなふうにして、自分の属する「この現実」から虚構へと足を踏み入れていく。(続く)