読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

ユビキタス茶碗

野崎まど初のSF『know』(早川書房、2013)を読んでいるところ。
舞台は2081年の京都だが、現在よりも飛躍的・爆発的に情報量が増えすぎ、人間は脳に<電子葉>という機械の埋め込みが義務化されている。だから携帯電話などのデバイスがなくとも、手ぶらで情報空間につながり、高速のやりとりができる。そんな社会。

二〇四〇年、《情報材》の開発により情報インフラは革新する。
(……)通信と情報取得機能を有する極小サイズの情報素子が、コンクリート・プラスチック・生体素材等、様々な物質に添加・塗布されている。
情報素子はその一粒一粒が超微弱電磁波を主とする複数の手段を用いて常に周囲の状況をモニタリングしている。同時に通信システムの最小単位でもある情報素子は相互に更新し合い、情報材で作られたものは全て通信インフラの一部となって自らが取得した情報を世界に流し続ける。今日、都市部のあらゆる建物、道路、外装、内装、人工物のほぼ全てが情報材を用いて造られており、それらは今も世界の情報を無尽蔵に増やし続けている。
超情報化社会。
あらゆる情報が、あらゆる場所で取得できる時代が到来した。(p21-p22)

簡単にいえば、周囲のもの全てがネットワーク化された社会ということ。
この箇所を読んだ時、金井美恵子『目白雑録』の確か一冊目に出てくるエピソードを思いだした(しかし、その本は人にプレゼントしてしまったため、今回は記憶を頼りに書く)。
ユビキタス”という言葉が一般的に流行り始めた頃(21世紀初頭)、ある新聞にどこかの研究者がインタビューで登場した。ユビキタス社会の可能性とは何か。情報といつでもどこでも繋がっていられることだ。研究者はいう。たとえば料亭で食事を出す時などに、客の茶碗が“味噌汁の量が少なくなってきた”という情報を発信する。すると受信した店側は、裏にいながらにして“おかわり”をすっと差し出すことができる、そんな社会がくるかもしれない……。
もちろん、この話は、そんなバカなコンピュータの使い方があるか!という例で取り上げられている。味噌汁の“おかわり”など、従業員が目で確認したり、客が一声発すれば済む話ではないか。茶碗→厨房かどこかのモニター→従業員→おかわり、という経路は、現状ではあまりにもムダがありすぎる。しかし、『know』で描かれているのは、まさにそういう社会(身のまわりのあらゆるものが、無意・有意関係なく情報をたえまなく受発信している社会)らしい。いわば、茶碗と脳が直結しているわけだ。
『know』のような社会が実現するには、困難なハードルが多すぎるので、少なくとも私が生きている間はそんなことにはならないと思うが、しかしあの“ユビキタス茶碗”が、違うかたちで何かの可能性を持っているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

know (ハヤカワ文庫JA)

know (ハヤカワ文庫JA)

 ※
[2013.10.31追記]“茶碗”でなく“おわん”でした。

ユビキタスってなに?」(朝日新聞五月九日、オピニオン面)という坂村健東京大学大学院情報学環教授)と村井純(慶応大学環境情報学部教授)という対面なのだが、(……)<これからは、身の回りのものにセンサー付きの超小型コンピュータのチップを付け、現実の状況を知覚させることができるようになる>という坂村の説明を受けて、村井はきわめて具体的に<生活のあらゆるものがネットにつながると、いままで使えなかった情報を取り出して利用できます。たとえばおわんの仲の食べ物の量や汁の温度などの情報を呼び出して、熱すぎないか、お代わりが必要かなどを知ることができる。様々なものから情報を受け取り、それをもてなしなどに結び付ける新しい利用法が可能になるわけです>と解説するのだが、なぜここにいきなり「おわん」が登場するのかといえば、おそらく「おわん」の出て来る料亭で対談が行なわれたからなのだろうが、(……)たとえばなしにしても「おわん」にユビキタスは不要だろう。では、老人ホームや病院といった場所でそうしたチップ入り「おわん」は活用できるだろうか。チップ入りの「おわん」を使用して「おわん」の中身の「情報を呼び出す」以前に、解決すべき問題は山積してるだろう。(金井美恵子『目白雑録』「夏風は馬鹿がひく 二〇〇三年八月」)