立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

【記録シリーズ15】十月

 十月のある朝、いつものように職場近くのO駅で降りた。改札を出てすぐ横断歩道の信号が点滅しているのに気づき、急いで渡ろうとしたところへ、とつぜん、烈しい風が目の前を通りぬけた。
 砂ぼこりが押し寄せ、思わず顔をしかめているあいだに赤に変わった。交差点を挟んだ向かいの植込を覆う葉群から、うすい桃色の花弁がぱらぱらと舞い上がる。強い風量だったにもかかわらず、まるでそこだけ別の時間が流れているかのように、鈍重に楕円を描きながらゆっくり上へ上へと昇ってゆく花びらを目で追うと、厚い雲ごしに、白くまばゆい光が目に入った。
 その瞬間、今日が十月四日であり、十五年前のこの日、私の地元の或る教会で、Uオバの葬儀があったのだということが、いきなり、はっきりと実感された。
 そうだった、あの葬儀の時もこんな、空一面が雲に覆われた日で、たしか――。
 と探りかけて、うまく自分とUオバの血縁関係を辿れないことに思いあたった。近い親族ではある。父か母なら詳しく知っているだろう。
 小さい頃、私たち家族が「オバ」(「おばあちゃん」の略)と呼んでいた人物は三人いて、U、Y、Iとそれぞれ住んでいる地域が異なったから、「∪のオバ」「Yのオバ」「Iのオバ」と、彼女たちを地名で呼び分けていた。
 私の実家も∪近辺にあり、∪オバとの交流はとりわけ深かった。深いどころか、私は幼少からかなり長い時期、∪オバの家に預けられ、その手で育てられた。だが父方、母方の本当の母親は先述したとおり、それぞれYとIに別にいる。とすれば、Uオバとはどのような間柄だったのか?
 今夜帰宅したら、久しぶりに父へ電話でもしてみようか。しかし、長い時間をすぐそばで過ごしたあのUオバの本名もきちんと知らないまま、これまでなんの疑問も感じなかったというのは――と、わが身の薄情さに呆れながら、彼女の葬儀に参列した親族の顔を記憶のなかからあれこれと思い浮かべるうち、その誰一人として、名前が出てこないことに気がついた。祖父母、おじ・おば、姉弟、両親……。
 そして自分さえも。
 困った。
 いや、私は、私の名は――。
 それは風が吹いてから信号が一つ変わるまでの、とても短い時間だった。釘づけになったように動けない私をよそに、ほかの通行人たちは向こう側へ進んでゆく。
 ふたたび巨大な風が吹きつけ、また私は、じっと身をこわばらせた。
 すると点滅する反対側の緑色の光を目がけて、私の背後から飛び出し一気に駆けてゆく黒い影が見えた。