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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

【記録シリーズ20】「昔々、あるところで、……」

「昔々、あるところで、……」と始まる話を初めて聞かされたのはいったいいつのことか、誰に、どんな内容を語られたのか、いい加減忘れてしまったのですが、いや、もともと記憶に残るものでもなかったのかもしれませんが、そんな寝物語をしてもらうこともすっかりなくなった今でさえ、ふと物語の中に入り込むことのできる瞬間があります。
幼かった頃と同じように、そこでは人も物も風景も、何もかもが変わりなく、歳をとらないままに永遠の姿でただそこにある。変わったのは自分のほうで、あれからほんとうに様々な物事を見聞きし、色々な感情やルールを学んだ目にはふだん、こことは違う、そうしたどこか別の世界を再び訪れることが、懐かしさと共に拍子抜け――あれほど底抜けに大きく見えた何かが、実はそう珍しくもないありふれたものにすぎなかったということが、ひしひしと身に染みて感じられるような――に終わることのほうが多く、そんなふうに全身的に没入することは稀れです。
おそらく、目の前にある光景と、それに似た異なる何かを、たえず比較する理性、意識と対象とに距離を作ってやまない理性によって、無意識のうちに入り込むことを拒否し続けているのでしょう。過去もなく、未来もなく、つまり比較することのできる何物ももたず、ただ今この瞬間、この場所しかない物語のゆくえを見守る時、そしてそれが幸福のうちに収まるべきところに収まる時……それは他方、危険なものにもなりえます。もう失敗はさんざん。裏切られるのはゴメンです。これまで何度も信じてきたのです。そして生きるとは、幸福な夢が潰えるのにそうして自分の身を少しずつ引き離しながら、傷の深浅をかばいながら、その度ごとに違う傷の痛みを思い出しながら、日々をやりすごすことだったような気がしてきます。
夢の中にいる時、夢を見ている者は、自分が夢を見ていることに気づかない。そこには過去もなく、未来もなく、つまり比較することのできる何物ももたず、ただ今この瞬間、この場所しかない。意識と対象とのあいだに距離がない。そんな没入感覚、いや、没入しているということさえも意識できない時、そしてそれが過去のいつかに確かに見たものでありながら、まったく時間の経過を感じさせない時、永遠を見る時……。私は我を忘れています。
そのような時間を求めながら、私はふだん、そうした時間をつねに疑っています。もう裏切られるのはゴメンだから。子供の私を大人の私が監視しているのです。そうして、引き裂かれた子供と大人が二人とも、同じ方向を向いて我を忘れることのできる時間を、覚めることのない時間を、ほんとうには望んでいるのでしょう。
 ※
というようなことをこの前ディズニーランドに行った時に思いました。