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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

木曜夜に「アウト・デラックス」でふかわりょうゲスト回を観たら、なかなか興味ふかかった。
私は「芸能IQ」というのは、演者本人から見た自分と、観客から見た自分との距離を即座に察知し、より面白いと思われるほうへスライドしていく能力のことではないかと思う。この時現れるキャラクターは、では観客の思う通りに道化を演じればいいのかといえば、そうではない。なぜなら、観客は演者に対し期待するキャラクターがあるものの、ある程度それを越える、つまりその場の状況をより良い方向へ裏切ることがなければツマラナイと感じるだろうからだ。ゆえに、キャラクターの行動決定権は、演者だけにあるわけではなく、観客側だけにあるわけでもなく、いわばその中間にあることになる。
ところがこの回は、二十年の芸歴において何度か立ち位置を変化させたふかわりょうの自己認識と、他者からの認識が、いかにズレているかこそがテーマとなっていた。さらにスタジオには、矢部浩之マツコ・デラックスの横のひな壇に十数人がツッコミ役として佇み、時折茶々を入れる。そして何かツッコまれる度に、ふかわは「ああ、そういうふうに思われてたんですね……まったく逆です」というふうに返す。
これはいったい、会話なのだろうか。普通のバラエティ番組なら、演者のキャラクターは、強弱はあるにせよ確立されており、いわばピンポンラリーのようにして話が進行する。一方ここでは、そうしたペルソナをそもそもどのように作るかこそが主題となっており、ひな壇という外部から投げられた言葉が「ああ、そういうふうに思われてたんですね……」とブラックホールのようにスッ、スッとふかわに吸収されてしまう。こうした外部からの言葉は本来、「自分から見た自分」とは関係がない。しかしそうした言葉に瞬時に捉え、自己認識と他者からの認識の距離を測定し、キャラクターを調整する能力こそが「芸能IQ」と呼ばれるものなのだろう。
たとえばスピーチなどでは、他人から集まる視線が多ければ多いほど、私のような人間は緊張して失敗してしまう。しかしその場を期待を上手く汲み取り、湧かせるのに慣れている人もいる。それを極度に推し進めればスターになれるだろう。とはいえいくらスターといえど、そうした他人の目に写る自分と、自分から見た「本当の自分」は異なるはずだ(もしそうでなければ日常生活を送ることができない)。
もちろんテレビなのだから演出はあるにせよ、芸能IQというキャラクターの確立そもそもを問うような回で、笑うというよりは、精神分析的なリアルな緊迫感を覚えて、笑うことも忘れてしまうような不思議な番組だった。