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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

ミステリ ミステリ

麻耶雄嵩の新刊『あぶない叔父さん』は未読なんですが、ネマノさんの感想を読んでいたら次のようにあったので笑った。

縛りのなかで最大限読者を楽しませようと苦心はしていて、あの枠内では最大限機能している。豪腕ですよね。誠実ですよね。「最近の麻耶は量産のために手を抜いてる」とか言ってるクソどもは首をちょんぎって別のクソの胴体へ縫いつけてやるべき。あるいはてめえがもっと良いトリック考えろ。や、これね、一見どんづまりに見えて、結構発展性のある方角だとおもうんですよね、風水的に。開拓しても誰もすまない土地ですよってだけで。http://d.hatena.ne.jp/Monomane/20150629/1435588427

以前『メルカトルかく語りき』を読んだ時、私も次のような感想を抱いた。
〈今作は次へ向かう助走というか、通過点のようなものじゃないかと思った。これまでの長篇に比べれば、やはりどこか物足りなさが残った。「まだまだいけるでしょう」という感じ。〉
〈「本格ミステリ」の領土=限界まであえて行ってみることで、その領土を拡張しようとしているのではないか。〉
http://d.hatena.ne.jp/kkkbest/20121222/1356150630
あるいは、
〈『メルカトルかく語りき』は、『黒い仏』のような一回限りの冗談小説だろう〉
http://d.hatena.ne.jp/kkkbest/20140401/1396357200

『貴族探偵』(2010)『メルカトルかく語りき』(2011)『貴族探偵対女探偵』(2013)『さよなら神様』(2014)『化石少女』(2014)『あぶない叔父さん』(2015)と並べてみると、その意図はより明確になってくる。つまり一連の連作短篇集は探偵小説に不可欠な要素を洗いざらい問い直していった演算結果であって、一つの着想を違う角度からヴァリエーションとして試みるには長篇よりも一冊の中で何度も実験できる短篇集の方がふさわしい。真に驚くべきは、そんな「一回限り」を手を替え品を替えてコンセプト・アルバムとして作り続けられる実現力ではないかしら。とすれば、この量産はむしろ必要な量産と捉えることができる。
傑作の前には普通、いくつもの段階がある(たいていの場合は失敗作として)。しかしベストな解答が書斎で五年十年こねくり回されるよりも、そこに至るプロセスが商品としてじゅうぶんなクオリティーであれば世に還元された方が、読者としてもうれしいことなんじゃないでしょうか。
おそらくはその先にあるであろう、一連の実験の総まとめについても期待しつつ。
(ちなみに、木更津シリーズの長篇『弦楽器、打楽器とチェレスタのための殺人』は「小説宝石」にもう三年連載中だそうだけど、いつまとまるんだろう)