立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

石川美子『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』中公新書、2015。
バルト本を何冊も訳してきた人物が、200ページ強の分量で彼の人生をザッと駆け抜ける評伝で、非常にクリヤーな書き方で面白くアッという間に読んでしまう。
権力的であることを一貫して嫌ったバルトの文章にはテクストI=恐れから反動的に書いたものとテクストⅡ=快楽のために書いたものがあるらしい。たとえば『テクストの快楽』というような題名のものも実は快楽のために書いたのではなくある立場、つまり抑圧的な・一義的な見方や読み方を突き崩すために書いたという。すると文章は断章的になり、扱われるテーマは著作ごとに移り、用語の意味も時代によって変化を被る。教壇から一方的に話しかけるスタイルではなく、対話的なセミナーから著作が生まれる。
バルトの文章には難解なところがあり、こういう解説を読むと「フムフム」と頷きつつもこれまで何度か実作にあたっては投げてしまった。文章の難解さというもの一般をどう捉えてよいのかについてしばらく前から興味があるのだが、これを読んでわかるのは、バルト以外の人間がこの「恐れ」なくして単にバルト的な書き方を真似るのはやはり最悪だということだ。バルト的なものに権威的に安住することこそ、最も反バルト的な行為ではないか。それは自伝を書くに際し年代をバラバラに綴ったバルトとは対照的に、その人生を編年的に平明に辿った本書が証明していると思う。死後、彼の周囲の親しかった人物が彼についてなかなか書けなかったり(これは誠実さゆえだろうけれども)評伝が出なかったり、というかつての状況への著者の視座が伺えるから。