立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

 よく意味がわからない言葉の一つに、「呼んだだけ」というのがある。名前を口にして相手が振り向いたら、「呼んだだけ」と返して終わる、アレである。一度くらい見聞きした経験があるでしょう。
 あの一連のやりとりにいったいどういう意味があるのか。十年ほど考えてみたが、未だにわからない。その以前には肩を叩いたり呼びかけたりして反応した相手の頬に人差し指を突き刺すという、人間を人間とも思わぬ極悪非道としかいいようがない所業が流行ったような気もするが、最近はすっかり見なくなった。あれの後釜なのだろうか。
 先天的な真面目人間である私は無意味だとしか思えない行為にはこれまで毫も縁がなく、したがってその意図はまったく追跡不能だが、それが人間(じんかん)に跳梁跋扈してやなまい理由を想像力の限りを尽くし、いくつか考えてみた。
1 何か用件があったが度忘れした。
2 何か言おうとしたがやっぱり止めた。
3 特に用件はなかったが暇で構って欲しいため相手の気持ちを考えずからかうことで自分のちっぽけな快楽を優先した。
4 何者かに言わされた。言葉が不意に降りてきた。
5 本当は何者かに吹き矢で狙われていた相手を助けてあげた。
6 呼びかけた後で相手が我が友李徴であることに気づいた。
7 呼びかけた後で相手が既に死者であることに気づき、彷徨える魂をそっとしておきたくなった。
8 本当は、自分は貴方の家族なんだ――ずっと押し殺していた感情が爆発しそうになったが、今日も寸前で告白できなかった。そうして日常は続いていく。
9 えっ、そんな呼んだりしたっけ? ウッ、頭が……。
10 別に何をどう言おうが自分の勝手である。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、p(以下省略することにする)。
 過日、脳内アンケートを取ってみたところ、大多数の人間が1か2か9だと答えた。取った後で気づいたが、5と6と7と8と10は実質2に含まれると思われるから当然かもしれない。
 余談だが、ミハイール・バフチンはあるところで、「良い天気ですね」「良い天気ですね」という会話には革命的な可能性が秘められていると述べているそうだ。