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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

カズオ・イシグロの第二作『浮世の画家』(An Artist of the Floating World、1986年/ハヤカワepi文庫)を読んだ。イシグロ作品を読んだのは『夜想曲集』以来二つ目。舞台は1948年から1950年にかけての日本。語り手は大戦中に戦意高揚絵画を描いてかなりの地位までのぼりつめたが戦後すぐ引退した小野という画家で、次女の見合い話に自分の過去の行為が影響しないかヤキモキする、というのが大筋である。彼がなんのためにこの話を語っているのかは不明だが、回想録ふうな進み方で、現在時(戦後の日常)と過去の記憶(幼少時から画家として大成するまでのいきさつ)とを行ったり来たりする。
作者は小津安二郎成瀬巳喜男の映画が好みらしく、見合い話を中心とした話の進め方や家庭の描写は確かに共通する雰囲気があり、しっかりした技術で書かれているので、凄く巧い。いやらしいくらい巧い。しかし作者が幼少時に日本を離れたという先入観ゆえだろうか、実際の日本とはどこか違うのではないかという浮遊感もある。
イシグロといえば信頼出来ない語り手による一人称――といわれる。今回の語り手はもう、めちゃくちゃイヤな奴である。自分は頑迷ではないとか、自慢はしたくないとか、他人が自分をどう思っているかは気にしないなどと、度量の広い人間であることを繰り返し述べつつ、実際はそうではないことがよくわかる。周囲の人間が彼に対し感じているであろうイライラぶりもビシビシ伝わってくる。彼のそうした「語りたいこと(=彼が意識的に描いた自画像)」と「語られていること(=自画像から無意識的に漏れ出てくるズレ)」との乖離、ダブルイメージが本書の読みどころということになるのだろう。その点は教科書的なくらい見事に書かれている。
その乖離は端的にいって、会話文と地の文とのズレに表れている。現在時の会話文はそのまま切り取ってきたように即物描写的であり、「現実」とのズレは比較的少ない。それを地の文で取り囲み言い訳し装飾し解釈していくというのが、本作の基本的なスタイルである(回想場面での会話は自身言及しているように、より都合の良い脚色が施される)。したがって現在時の場面では会話文(=他者性)と地の文(=自意識)との間に常に強い緊張関係が見られ、そこにおいて表れる語り手の無意識に、読者は彼の性格を読み取ることができる。会話文の後、その対話が指す意味について地の文に主人公が連ねた解釈に感じる、「いや、そうじゃないだろ」「さっき地の文で言ってたことと違うだろ」という違和感が蓄積されることで、物語は推進していく。
しかしこうした乖離について、語り手自身も実際は頭の隅では気づいている。それは物語の核心部分、かつての弟子への裏切りと(最初から読んでくると唖然とする)、かつての自分の作品についての記述がクライマックス直前に置かれることにも表れている。つまり、何も気にしていないふうの好々爺を装いつつ、恥部については言いたくないからこそ後回しにされる。そこに登場する彼の画風は、説明を読むだけでもどうしようもないほど悲惨である。戦後の視線からすれば、彼にとっても直視したくないほど酷いクズだったに違いない(戦後に孫が作品を見たいと言うが、全部しまってあるとかで一枚も取り出されない)。しかし、一時はそれを正しいと信じ、本気(マジ)で追究しようとしたのだ。この戦前/戦後という視線の乖離と、自分は無縁であると言うことは難しい。
記号(会話文・絵画)は何も変わらない。記号の持つ意味を変えるのは、それを眺める者の意識である。なぜ同じ記号を眺めながら、違う意味を、時には正反対の意味を読み取ってしまうのだろう。戦意高揚画は、戦中には誇るべきものだった。しかし戦後にあっては、唾棄すべきゴミでしかない。語り手の子供世代(長女の婿)は語り手に激しい敵意を向けるが、現在の我々は、戦中に一般的だったであろう心情を、真逆の側から単に断罪し切り捨てるだけでは済まないことも知っている。『浮世の画家』のこうした構図は、二重三重に仕掛けられながらしかし非常にクリアーだ。実際に戦争をくぐり抜けた作家が書けば、もっと混沌としているようにおもう。そして朝鮮戦争がもうすぐ始まる、というところで小説は終わる。
終盤に、ちょっとしたどんでん返しがある。これによって、全体の辻褄が合わなくなってしまったのではないかと私はおもう(あれだけ高い地位にあったなら、受ける処罰が軽すぎる)。先にも書いたように、今作の語り手はめちゃくちゃイヤな奴である。自己欺瞞的で、嫌味たらしく、深いところがなんにもない。あまり深く付き合いたいとは思わせない。だがこういう人物は、今でもそのへんに掃いて捨てるほどいるのではないか、例えばそう――これを読んでいる自分なんか。そんな親近感を植え付けられるためか、読者(特に日本の)の中で語り手の小野を一方的に断罪する人は少ないだろうし、また、どんでん返しの瑕疵(?)を突いて本作を批判することもなんとなくしにくい。
まあ何が言いたいかといえば、一番の悪人はカズオ・イシグロなのだ。

 

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)