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襤褸は着ててもロックンロール

一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(5)

殊能将之読書日記』を読み返していて、瀬戸川猛資の死去と殊能将之のデビューがほぼ同時期であることに思い当たった。以下、そのあたりのことをおさらいしてみる。
1999年3月16日、瀬戸川猛資が肝臓ガンにより死去。「メフィスト」編集部が座談会で『ハサミ男』の作者へ呼びかけた号の校了がこの直後だろうか。
4月3日、福井の田波正は書店で「メフィスト」を手にし、巻末座談会で『ハサミ男』の受賞を知る。
5月28日、創元ライブラリより瀬戸川の代表作『夜明けの睡魔』文庫版が刊行。解説は法月綸太郎。わずか二ヶ月だから、この文庫化企画が死去を受けてなのか生前から進んでいたのかはわからないが、四月に法月が『夜明けの睡魔』を読み返していたことは間違いないと思われる。
一方、四月、五月と田波は、急に決まった受賞作刊行へ向けて改稿作業を進めていた。その流れの中で、『ハサミ男』の推薦文を法月が書くことが決まる。法月が読んだのは六月〜七月にかけてだろうか。次の言葉が掲載されている。

最近、推理小説らしい推理小説がないとボヤいている人へ。そんな貴方には、『ハサミ男』との心躍るひとときがお勧め。小気味よいユーモアと警句、三重四重のたくらみを秘めた構成の妙、ありきたりの「狂気」に居直らない志の高さ──異能な才気がほとばしる注目新人の1st.は、久しく忘れがちだったミステリのダイゴ味をたっぷり堪能させてくれる。気分は〈クライム・クラブ〉系、ネオサイコ・パズラーの快作!──法月綸太郎

そして8月10日、講談社ノベルスで『ハサミ男』が刊行、店頭に並び始める。

『未発表短篇集』大森望の解説に、当時の殊能将之の言葉が紹介されている。

「法月さんに礼状出したら、返事の葉書をいただいたんですよ。けっこうマメな人ですねー。もう家宝ですよ。でもその葉書に、『次回作がんばってください』とか書いてあって、『他人のことを心配してる場合か、自分はどうした、自分は』とか思っちゃいましたよー、ははは」
とか、あいかわらずひねくれている。法月にいさんと呼ぶことにしたらしい。
そう言えば、全ミス[全日本大学ミステリ連合]合宿で聞いた話では、一部で法月綸太郎殊能将之説が出てるそうで、魂の兄弟かも。[攻略](1999年8月25日 新・大森なんでも掲示板

実際には二人は同年生まれで、殊能が1964年1月19日、法月は10月15日だから、学年は殊能の方が一つ上である。『密閉教室』は1988年刊行なので、作家デビューは法月の方が11年先輩。
殊能将之読書日記』の解説で、法月は次のように書いている。

本格ミステリの評価軸という面では、都筑道夫瀬戸川猛資スクールの門下生であることを隠していない。とりわけ瀬戸川氏の代表作『夜明けの睡魔』の文体を、ずいぶん意識しているようだ。(……)私の思い過ごしかもしれないが、殊能氏の言い回しに、往年の瀬戸川節のこだまを聞きつけたといってもいい。

都筑道夫ー瀬戸川スクール」という点を始め、この異色な二人の作家的スタンスには、かなり近いところがある。評論活動の実績があり、「本格ミステリ」を中心にしながらその枠に留まらない幅広い先行作品(特に海外の)を取り入れた作風、引用癖、駄洒落好き、エトセトラ。現役国内作家について触れることの少ない「memo」で例外的に、取り上げられていたのが法月綸太郎だった。また、リレー短篇集『9の扉』では、ふだんそうした客演を断っていたと思われる指名を法月からということで受け、「キラキラコウモリ」を執筆する。法月は同企画に書いた短篇「まよい猫」について、無意識的に『キマイラの新しい城』に影響を受けてしまったと、そのあとがきで吐露している。
このように『ハサミ男』以降、二人の作家はジワジワと近づいていった。再び、法月の『読書日記』解説から。

現し身の殊能氏が限りなく執着し、野心を抱いていた対象は、SFであったと推察される

殊能将之の死去が世間に知られたのは2013年3月30日。その数日前の3月27日、法月はSF設定を大胆に取り入れた短篇集『ノックス・マシン』を上梓し、のちにその年の「このミステリーがすごい!」一位、「SFが読みたい!」六位を得るなど高い評価を受けたほか、SFとしては2015年にも『怪盗グリフィン対ラトウィッジ機関』を刊行している(ちなみに刊行は『読書日記』の翌月)。
殊能将之先述のように、ポーと同じく1月19日を生誕日とすることを公言し、また本格ミステリとSFについて、

このふたつのジャンルは、ともにエドガー・アラン・ポーを直接の起源としており、双子の兄弟といってもよい。

と書いている。これで法月がポーの没日と同じく10月7日生まれなら、まさに「魂の兄弟」なのだが、もちろんそんな暗合はなく、10月15日生まれとして知られている(しかしわずか8日違いというのが微妙だ……なぜ法月先生はもう8日早く生まれてくれなかったのか)。
『夜明けの睡魔』の解説を読むと不思議なことに、法月はこのミステリ評論集を評して「センス・オブ・ワンダー」という主にSFに使われる語を用い、のちの弟分の文業にも当てはまるかのようなことを述べている。

誤解を恐れずに、断言してしまおう。瀬戸川氏の文体がもっとも生き生きと輝くのは、ミステリ作品の中にある種の“センス・オブ・ワンダー”を見出した時なのだ、と。(……)では、ミステリという形式に内在する “センス・オブ・ワンダー”とは、具体的にどういうものなのか。一口に言って “センス・オブ・ワンダー”は、固定観念に縛られない、フレキシブルな物の見方・考え方から生まれるものである。視点の斬新さ、あるいはフットワークの軽さと言い換えてもいいだろう。ここでいう固定観念とは、たとえば(あくまでも、たとえばの話)「ミステリとは、作者と読者の知的ゲームである」という尺度で、すべてのミステリを一元的に割り切ってしまうような融通が利かない態度を指しているのだが――。

さらに、『ハサミ男』推薦文の〈ありきたりの「狂気」に居直らない志の高さ〉というフレーズに注目していただきたい。法月は先の解説つまり『ハサミ男』を読む直前に執筆した解説で、こう書いているのだ。

瀬戸川氏は“現代の狂気”という無神経で、安直な言葉がミステリ界に蔓延していることに対する苛立ちと率直な怒りを隠さない。《こういうことばを無造作に連発されると、その背後に、歯のたたないものはすべて“狂気”という便利なことばで片付けてしまおうという俗っぽい逃避的姿勢を感じて、げんなりしてしまう》(一五四頁)。氏が我慢ならないのは、そうした内容空疎な紋切型の言い回しこそ、ミステリを先入観と固定観念で縛ってしまう元凶であることに気づいているからだ。このような《俗っぽい逃避的姿勢》が、“センス・オブ・ワンダー”からもっとも遠いものであることはいうまでもない。そのことを肝に銘じた後で、瀬戸川氏はスタンリイ・エリンに関する話題を持ち出してくる。

《スタンリイ・エリンに“異色作家”や“奇妙な味の作家”といったレッテルを貼るのは、まちがいである。ロアルド・ダールやジョン・コリアと同列に論じるのも、まちがっている。異色どころか、この人はとても普通で正常な人なのだ。あまりにも正常すぎるために、逆に異常と見られることのある作家なのである。(一五四頁)》

(……)ある意味で、これは瀬戸川氏自身のことを語っていると言ってもいい。健全な“常識”に裏打ちされたまっとうなミステリ観というのは、要するにこの章で示されたような洞察の深さのことである。“センス・オブ・ワンダー”を感じる土台には、こうした当たり前すぎて、時には残酷ですらある“常識”の裏付けがなければならない。その裏付けがあるからこそ、瀬戸川氏の文章は強いのだし、年月を経ても輝きを失わないのである。

田波正も“現代の狂気”という言葉について、基本的に同じ認識を共有していたと思われる。おそらく東京を引き払う直前の1995年7月、同人誌に書いた「ミステリ日記」の〈 告白するが、ぼくはサイコ・スリラーが大嫌いなのです。どうして嫌いかというと、理由はふたつあって……おっと、もうおしまいじゃん。このお話は次回に 〉と予告されるだけで結局書かれることのなかった「サイコ・スリラー批判」の内実とは、上で法月が述べているようなことではないか。『ハサミ男』の母胎となったのは、こういう感覚なのだ。
推薦文を書いた時点で、まさかその13年後、同い年の新人の追悼文を書くことになろうとは思わなかったはずだ。そのような経歴を持つ彼だからこそ、没後の著作の巻末でこんな「残酷ですらある」辛辣なこともいえるのだ。

殊能将之のような独特な才能の所有者には、あの程度働いたくらいで死ぬ権利はないのである。


ハサミ男』と「ハサミ男の秘密の日記」は、書かれた時期がごく近いこともあるだろうが、ラストにおいて近い演出がなされている。語り手は新しい生活へと否応なしに導かれ、これからどうなるかはわからない、周囲からはなんとなく持て囃され疎ましくもあるが、しかし不安とともに期待もある……そして、誰しも印象に刻まれる、ラストの一行=フィニッシング・ストローク

「〈メフィスト〉を見ていただければ、おわかりだと思いますが、いまうちの周辺はコミケ+インターネット状態なんですよ」Fさんはくすくす笑いながら、「ですから、業界騒然、という感じで推薦文ができれば……」
Fさんには悪いけれど、なんだかなあ、と思った。コミケ+インターネット状態で、業界騒然ですか。へえ、すごいですねえ。
こういう光景は一度見たことがある。サイバーパンク全盛期のSF界である。いまちょうど、ミステリ界はあの時期にさしかかっているんだな。大森望さんがなんなく適応できるのも、当然だ。
ということは、あと二、三年でミステリ・ブームも終わりか。
スター・ウォーズ エピソード1」が日本公開され、西暦二〇〇一年に「2001年宇宙の旅」が再上映されたあとは、またSFブームが到来するのだろう。みんな「ミステリなんてダサい。これからはSFの時代だ!」と大合唱しはじめる。そして〈新本格SF〉を名のる若手作家が多数登場し、昔ながらのSFファンは眉をひそめるというわけだ。SFファンの皆さん、よかったですね。(……)
べつに自分から隠居したわけではなく、あくまで病気のせいなのだが、田舎に引っこんでいてよかった、とつくづく思った。東京にいたら、「業界騒然」の渦中にまきこまれるところだ。そーゆーの昔さんざんやったから、もういいよ。(……)
わたしはワープロに向かい、磯達雄宛の手紙を書きはじめた。ひさしぶりに東京に行くのだから、磯くんにはぜひ会いたい。まあ、彼には事情を説明してもいいだろう。(「ハサミ男の秘密の日記」)

これからどうすればいいのだろう。
何か確実な方法を見つけて、自殺を成功させるか。
少女殺しをつづけて、今度こそ警察に逮捕されるか。
医師そっくりの男が言っていたように、実家に帰って、家事手伝いをすることになるのか。 (……)
どれもありえないことのように思えた。
だが、その一方で、どれも十分ありうる未来のようにも感じられた。
まあ、どうでもいい。医師がいつか言っていたように、人生はなるようにしかならないのだから。(『ハサミ男』)

私はこの二箇所を読み返すと、どうにも、奇妙な気分に駆られてしまう。すべてはまだ始まったばかりで、何も定まってはいない……これからすべてが始まる……そんな、新世紀前夜な気分に。

時々、「殊能将之は寡作家だった」という主張を見かけることがあるが、それは間違ってはいないか。何しろ、1999年から2004年の5年間で七冊を出しているのだから、なかなかのペースではないだろうか。単にその後の「沈黙」が長かった……つまり、作家生活の前半と後半で両極端だったのである。
2011年4月21日の呟き。

 

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この「プロジェクト」がどういうものだったのか、今となってはわからないが、その「あらすじ」としてリンク先に貼られていたのは、上のトランプの画像である(元サイトからは失われているため、「引用」として紹介させて頂く)。タロットカードで「あらすじ」を作るといえばイタロ・カルヴィーノ『宿命の交わる城』などが思い浮かぶが、トランプであらすじを作ることができるのだろうか……ご存知の方はぜひお教えください。

殊能の遺作について、法月綸太郎は追悼文で、ジョルジュ・ペレック『人生 使用法』のような大作を書いていたのではないかという伝聞情報を紹介している(先の「プロジェクト」と同一のものかは不明)。
このようにあれこれと推測するのは、永田耕衣の件などを考えると私はロクな読者ではないかもしれないが、しかし述べてきた通り、その作品世界はとりあえずの終わりのかたちをもとることなく中断を余儀なくされたのだから、どうにも生煮えの感情が残ってしまう。 『殊能将之未発表短篇集』を読むとその渇きは増してしまう。 ……私のような者が長々と語ることをここまで聞いてくれたあなたも、きっと同じ気持ちではないだろうか。だからどうか臆することなく領域へと踏み込んで、あなた自身のやり方で遊んでほしいと、身勝手極まりないことを願っているのだけれども。

  

殊能将之 未発表短篇集

殊能将之 未発表短篇集

 

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『読書日記』『未発表短篇集』と続けて読んできて、『鏡の中は日曜日』からはだいぶ開いちゃいましたが、次は『樒/榁』を再読していきます。