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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

最近特にここに書くことがないというか、腰を据えて読んだり書いたりしていないのですが、以下雑感です。

室井光広『わらしべ集』(深夜叢書社、2016)という本が出ています。
http://shinyasosho.com/home/book1610-01/
論考中心の【乾の巻】と書評中心の【坤の巻】という二巻本で、今は【乾の巻】を読んでいるんですが、これがすごい。圧倒されっぱなし。おそろしいくらいに本当のことしか書かれていない。
室井光広といえば現代日本でも最重要作家の一人でありながら、独特の文体ゆえか読者が少ない気がするのですが、その名著の数々には学ぶところ激甚(とりわけ「模倣」だとか「引用」だとかの奥義については)。目次を見て気になる方は手にした方がいいです。

浦賀和宏『緋い猫』(祥伝社文庫、2016)
珍しく1950年代を舞台にした、220頁くらいの中編。しかし読後感、重い……ある時点から登場人物が失明してしまうんですが、ジーン・ウルフ「眼閃の奇蹟」のような盲目小説の系譜でもあるかもしれない。
浦賀和宏の小説には奇妙な不安定さがある。たいていのミステリはもっと足場がしっかりしていて、探偵は事件を慎重に検討することができる。けれど浦賀作品では信用ならない人間があまりにも多すぎる。主人公含め誰も信用できない場合もあり、世界全体に対するこの根本的な不信感に私は、ディックや連城三紀彦に通じるものを感じる。
それくらい信用できない人間だらけだから読者は常に作中人物の会話には眉唾なのだが、若い主人公だと、眉唾感アリアリの話に即「怒った」とか「悲しんだ」とか直情的に反応してしまうので、「もっと慎重になった方がいいのでは?」と当惑させられる。つまり読者は主人公もそれ以外も何も信用できない不安感にさらされる。
この不安感が語りのレベルにまで及ぶ作品がいくつかある。『頭蓋骨の中の楽園』を頂点に、『こわれもの』『眠りの牢獄』最近だと『ふたりの果て/ハーフウェイ・ハウスの殺人』などだろうか。もちろんそういう作品は量産できるものではないから、最近は語りの操作を禁止して、あるていど底のレベルが見える作品を書かれている印象を受ける。
(主人公は今こんなふうに考えているが、こいつは必ずこのあと滅茶苦茶ヒドイ目に遭う)とあらかじめ知っているにもかかわらず、その詳細がわからないサスペンス感覚と、自分が読んでいるものがなんなのか、最後まで半ば推理を禁じられた不安感……浦賀作品のエッセンスとして、本書でその二点を想起しました。

最近、Ulverという人たちをよくきいています。ブラック・メタルとして出発しながらアルバム毎にスタイルを変えていき、オーケストラと共演したりウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」をアルバム化したりしている。特に『shadows of the sun』https://ulver.bandcamp.com/album/shadows-of-the-sunというアルバムは、ドラムもギターもない重苦しいアンビエントみたいな感じですごい。リプレイしています。