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襤褸は着ててもロックンロール

ピエール=ルイ・マチユ『象徴派世代』(窪田般彌訳、リブロポート)

 同人誌の感想はいくつかいただいたんですが、nemanocさんの
〈孔田さんは(……)必要な文献をていねいにあたり、フィードバックして、複雑な殊能世界をときほぐしていきました。〉
 という過分な言を目にして、そういえば参考文献について、スペースの関係でいくつか書き漏らしたことがあるなと思ったので、思い出せるうちに記しておくことにします。

 ピエール=ルイ・マチユ『象徴派世代 1870-1910』(窪田般彌訳、リブロポート、1995)はいわゆる「象徴派」について主に美術の面から解説した本で、大判正方形200頁強の書物はさながら画集の趣きを持つ。
ハサミ男』作中、ミートパイが何度か登場する店として印象を残す喫茶店「おふらんど」についてこういう記述がある。

(第「17」節――久しぶりに喫茶店を訪れた場面)
壁には写真複製の絵画が数点飾られていた。わたしは美術にはうといので、誰のなんという絵かは知らない。
 遠目に一枚の絵を見やると、紗がかかったような色調で、雪山に横たわった女性が描かれているようだった。眠っているのか、死んでいるのか、両目をつぶっている。雪山遭難を描いた絵なのだろうか。それにしては、女性の衣服が薄着すぎるように思えた。

 ここで「わたし」は〈誰のなんという絵かは知らない〉と述べるのだが、由紀子との夢の語らいでは、

(第「20」節――夢の場)
 ねえ、食べないの?
 食べるさ。ここのミートパイは絶品だ。店主が勧めるだけのことはある。
 不思議な絵ね。彼女は自分のミートパイには手をつけずに、壁の複製画をながめていた。
 雪山のなか、女の人があおむけになって、宙に浮かんでいる。いったい、なんの絵かしら。
 ジョヴァンニ・セガンティーニの「淫蕩の罪」だ、とわたしは解説した。十九世紀末の象徴主義の画家だよ。彼はイタリアに生まれ、インドにあこがれ、スイスの高山にこもり、山小屋で若くして死んだ。このコレクションから察するに、どうやら、店主は象徴主義がお好きらしいね。

 ここでいうジョヴァンニ・セガンティーニの「淫蕩の罪(涅槃のプリマ)」はこういう絵。

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 リアルな雪山を背景に、宙に浮かんだまま眠る二人の女性がファンタスティックかつ異様な印象を与える(「堕胎の罪」を表しているのだという)。

 ジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini、1858-1899)はイタリアの画家で、アルプス山脈を斬新に描いた数々の作品で知られる。『象徴派世代』ではこう書かれている(少し長くなりますが……)。

ジョヴァンニ・セガンティーニ「邪淫の懲罰」
 画家はインドのバンジャービー語の詩篇から着想を得たこの主題に、数点の油絵を寄せている。《はるかの高み、青みがかった無限の空間のなかに、涅槃が光り輝いている……かくして邪悪な母は、一本の枝も緑とならず、一輪の花も咲かない、永遠の氷に鉛色となった谷で、たえず転がりまわる……あの女を見よ、一枚の葉さながら、不安げにさまよう。そして、彼女の苦悩のまわりでは、一切が沈黙している》。

「エンガディンでの死――ジョヴァンニ・セガンティーニ
 画家ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)は、悲惨主義小説の主人公となりえたかもしれない。ごく幼少のときに孤児となり、殆んど無学文盲であったが、それでも何とかブレラ・アカデミーの講義を受けられるようになり、その画業の当初からヴィットーレ・グリュビチに注目された。(……)
 当時からすでに一種の伝説に包まれていた彼の生涯と作品は、一人の画家を扱った、ごく初期の精神分析研究の対象となった。フロイト側近の弟子の一人カール・アブラハム博士は、たえず死の観念に取りつかれていた人間における一種の自殺願望を、この夭折にはっきりと認めている。
 芸術家はミレーの影響を受けて画業にふみだしたが、主題の感傷的レアリスム(羊飼いや羊の群れ、農民生活の風景)によってだけでなく、様式からも、彼はこの高名なバルビゾン派の画家に近い。隠れ家のなかで、セガンティーニは非常な教養をつんだが、こうして1891年以後、ニーチェ――彼は『ツァラトゥストラはかく語りき』のイタリア語版に挿絵を描きさえもした――や、その根本のペシミズムが彼の深部の自我と通じあうものがあったショーペンハウアーの著作を発見した。ショーペンハウアーを読んだことで、彼は輪廻を信じ、インド文学に霊感源を求めるようになった。1893年に彼はこう書いている。《そう、真の生活は唯一つの夢にすぎない。可能な限り遠くにあって、高められ、物質の消滅にまで高められた理想へと、次第に近づいていく夢である》。
 こうした瞑想から、1891年から1897年にかけて、邪悪な母たちの運命を想起させる一連の作品(初版「邪淫の懲罰」)が生み出された。このなかで芸術家は、母性よりも邪淫を選んだ女たちに運命づけられた刑罰を、いささか、ダンテ『地獄篇』風に描写している「バンジャービー文学」のインド詩篇の数節――氷の広大な空間の永遠の彷徨――を絵としている。奇妙な主題に加えて、セガンティーニはこれらの油絵において、技法上の非常な独創性を発揮したが、それは分割技法のタッチにだけではなく、万年雪のなかで風景を写生するように彼をかり立てたその根源的な自然主義に帰するべきである。このような作品の深層の意味に関しては、カール・アブラハムが、若きセガンティーニの自分自身の母親に対する無意識的な抑圧の表現であると、正当な解釈を下した。

 小説の夢の場面では、セガンティーニへの言及の後、次のように続く。

〈おふらんど〉という店名も、ポール・ヴァレリーの「消えた葡萄酒」の一節からとったのかもしれない。
 わたしは少し考えた。あるいは、ミステリファンなのかな。同じ一節から題名をとった、有名なミステリがあるから。
 あなたって博識なのね。彼女は笑った。

 このポール・ヴァレリーの「消えた葡萄酒」に絡めて言及される「ミステリ」とは、もちろん中井英夫の『虚無への供物』を指す。
 Paul ValéryのLe Vin perdu第一連を引こう。

J'ai, quelqe jour, dans l'Océan,
(Mais je ne sais plus sous quels cieux),
Jeté comme offrande au néant,
Tout un peu de vin précieux...

  すなわち、「おふらんど」とはoffrande(ささげもの)の意で、「虚無への供物(offrande au néant)」をひらがな表記すれば、さしずめ「おふらんど・お・ねおん」などとなるだろう。

「ひとつだけ質問していいですか」

「なんでしょうか 」

「〈おふらんど 〉って、どういう意味なんですか 。辺鄙な土地、かな」

「なるほど、〈オフ・ランド〉ですか。そういう解釈は初めて聞いたな。はやらない店には、そのほうがふさわしいかもしれない」

 店主は感心したように笑って、

「じつはフランス語なんですよ。〈捧げ物〉という意味です」

 わたしにとって、店主から得た情報は、欲しくもない捧げ物だった。(第「17」節)

「ミートパイ」は「葡萄酒」の対として登場するのだろうか

 磯達雄さんへのインタビューでも申し上げたのだけれど、私は、中井英夫と殊能作品とは微妙な関係があると思っていた。

 (……)中井英夫という作家もこうした作り方をするところがあります。作者本人の志向としては、完璧なフィクションを作りたい。それもコンスタントに発表したい。しかし、いざ書くとなると、どうしても現実的な素材が入り込んでしまう。このあたり、殊能さんと似たものを感じていたところ、この前『BMS』を読み返していたら、冒頭あたりで「私は中井英夫はあんまり好かんので」と仰られていて、おお、と思いました。二人とも若い頃から批評眼が鋭く、大学を中退して編集者になり、ミステリ作家として出発し、詳細な日記をつけ、テレビが大好き。親しいお姉さんもいらっしゃいます。そういった経歴や読み手としての好みは二人とも近いように感じていたんですけれども、作風ないし文体は微妙に(いやかなり?)異なります。

 ここで挙げなかった点がもう一つある。「ユリイカ」1999年12月号での作者インタビューにおいて、

三年間家に籠ってブラブラしていて、暇だから昼のワイドショーをよく観ているんです。去年の八月くらいに、テレビを観ているうちに、『ハサミ男』の話が出来ちゃったんです。出来たと同時に、書き出しや途中やクライマックス、結末まで分っていて、これは完成した、と思ったんです。それでしょうがないから……。

 この「デビュー作の構造を自然に思いついた」という発言は、中井のあの有名な自注を彷彿とさせる。

 昭和三十年一月に鎌倉で太田水穂氏の葬儀があり、「短歌研究」編集長の私はぜひとも出掛けねばならない。当時の鎌倉はひどく遠い所に思えたので、往復の車内で読む本を何にしようかと考えた。結局貸本屋からディクスン・カア『ユダの窓』を借り、楽しく読み進んで行くうち、何とそれ(早川ミステリー)は肝心なトリックの説明部分がそっくり欠けている落丁本だった。私はがっかりもしたが、そこまでは楽しくてならなかったので、自分でそのトリックをあれこれ推理してみた。その中で、いくら何でもこんなお粗末なオチではないだろうなと考えた、そのお粗末が完本を読むとまさに同じだった。
 軀から火を噴くという言葉はあっても、頭から火を噴くことはない。しかしその時の私はまったくそうだった。本当に一瞬の裡に、この長編の隅から隅までが出来上った。(『中井英夫作品集』第10巻、三一書房、1987)

 中井が『ユダの窓』を読んだのは、まだ三十代の始め。『虚無への供物』は完成までに十年を要したが、ほぼ同じ年頃で着想された『ハサミ男』の執筆はもっと短かったようだ。
 また、デビュー作における『虚無への供物』へのささやかな言及といえば、もう一つのつながりをどうしても連想する。『ハサミ男』の作者が実際に目にしていたかどうかは知らないが、おそらく執筆の最中であっただろう、1998年9月にハルキ文庫から復刊された、連城三紀彦『変調二人羽織』巻末の法月綸太郎の解説だ。

サンプリングとカットアップ(コラージュ)を自在に駆使し、さらにリミックスを施したような「変調二人羽織」の破格の構成を掌るキーワードは二つある。伊呂八亭破鶴の売り文句「八方破れでございます」と、狂言回し役の亀山刑事が洩らす「どうやら私は今度も結果の後の人生を生きてしまった」という一行がそれだ。(……)右のように言うのは、具体的には『虚無への供物』のことを指している。新人賞の選考委員に、中井英夫が名をつらねていたせいかもしれないが、「変調二人羽織」の作者は、明らかに黒鳥館主人こと塔晶夫の語り口を意識した書き方を選んでいる。新聞記事や登場人物の地の語りを交えた多彩な話術の妙、二転三転する真相と「解決篇だけの推理小説」という逆説的な言い回し、なかんずくエピローグにそっと書き込まれた「アリョーシャ」という人名――こうした符号が偶然でないとすれば、大晦日の東京の空をいずこへともなく飛び去る一羽の鶴、という映像的な書き出しは、『虚無への供物』の名高いラストシーン、漆黒の翼を震わせて闇へと翔び立つ凶鳥のイメージをネガポジ反転したものと見なすことができるだろう。

 そういえば『ハサミ男』の冒頭でも鷹が飛んでいたなあ(想像の中でだけど)、それに確か当時のメフィスト賞には、『虚無への供物』を文庫化させた宇山日出臣サンがいたはずだし……などと連想してしまうわけですが、まあそこまでいくとコジツケすぎかしら、と思わなくもない。

 この無名の新人のたくらみは、大胆不敵としか言いようがない――中井英夫が自作を「アンチ・ミステリー」と命名することで、「探偵小説の終焉」を宣言したとするなら、連城三紀彦は「最後の探偵小説」が終った地点から、その終りを始まりへと反転させることによって、自らのミステリー作家としての経歴をスタートさせたのだから。そしてこうしたたくらみが一度きりの思いつきではなく、確信犯的な「反復」の意志に裏打ちされていたことは(……)

 終わった場所から始めること。反転と反復――。
『虚無への供物』の刊行は1964年で、殊能と法月がこの世に生まれ出た年でもある。つまり、
 殊能将之(1964年1月19日)
 『虚無への供物』(1964年2月29日)
 法月綸太郎(1964年10月8日)
ハサミ男』の作者は、執筆時にこの解説を意識していたか、否か? もししていたとすれば、どの時点で?(受賞決定後に、あるいは帯文の推薦者が決定した後に書き加えたという可能性もなくはない)……しかし仮にそれが「偶然」に過ぎなかったとしても、その結びつきは、ある種の小説的「必然」として読むことができるとおもう。