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襤褸は着ててもロックンロール

木元哉多『閻魔堂沙羅の推理奇譚』

 木元哉多『閻魔堂沙羅の推理奇譚』(講談社タイガ、2017)を読んだ(実は読んだのは二か月前ですが、ぼやっとしているうちにもう続刊が出たらしいので、急いで一巻目の感想を書き付けます)。

 この小説はフシギな構造をしていて、主人公(三人称視点人物)の探偵役もとい推理役が毎回変わる(『笑ゥせぇるすまん』みたいに主人公が各話変わると思ってください)。すなわち彼らはみな殺人の被害者で、天国行きか地獄行きかという死後の審判の場(閻魔大王の娘が判断する)において自分にまつわる殺人事件の謎を解き明かせば生還できる、という推理クイズが毎回設定される。そうした短編が四話入っており、あえて各話のおおよその流れを起承転結構成で腑分けすれば、
 起:主人公の日常
 承:主人公が死に至る事件
 転:推理クイズ&解答
 結:謎の完全解明(+説教)&エピローグ
などというふうになるか。
 つまり謎を解くのは頭脳明晰な名探偵でもなんでもない殺人被害者=ただの一般人で、一般人が解くのだから事件の難易度は比較的易しめではあるが、しかしそれにしたって、老若男女誰もがいきなりこんなふうにきっちりと探偵役を務めることができるのだろうか? 私は読みながら城平京『虚構推理』(2011)のことを想起した。『虚構推理』という長篇はかなり難しいことをやろうとしていて、その分(ム、ム~ン)と合点がいかない部分が私は大きく、たとえばその一つは、自身の推理内容に対する探偵役の真剣さというか緊張感だったと思う。それに比べるならば、『閻魔堂沙羅の推理奇譚』の探偵役たちはみなずいぶん「真剣」だ。自分の命がかかっているのだからそれも当然だ。いってみれば、散文的に引き伸ばされた「比類のない神々しい瞬間」(バーナビー・ロス)が毎回しつらえられてあるようなものだ。固定キャラクターの閻魔堂沙羅(閻魔大王の娘)は「出題役」だが、とうぜん「真相」はすべて承知している。推理の多少のとりこぼしは大目に見てくれる。この推理空間はずいぶん安定している。ナルホド、『虚構推理』のように死後の世界を作中現実に繰り入れるという設定をこんなふうに組み替えて、これほど安定した短編のフォーマット(『黒後家蜘蛛の会』や『退職刑事』などのような)を作ることができるのか、と驚いた。

 略歴を見ると、この著者は生年などのプロフィールをほとんど明らかにしていなくて、デビュー作ながら「新人離れした筆運びと巧みなストーリーテリング」と紹介されてある。第一話の女子高生の話を読んだ段階では、学校を舞台にした割とありがちな作りに見えていて、そこに挟まれる

智子は、処女である。

 というような箇所に、(ウ~ム、そうであるか~。処女なのであるのであるか~)と、こういうことを「である」文体でわざわざ記述する若干のオジサン感を感じないでもなかったのであるのであるが、第二話の鶏肉卸業者の話を読んで考えを改めさせられたのである。この第二話の会社員が死に至るまでの日常業務内容描写はかなりしっかり書き込まれていて、これは作者が実際に関連業界にいたのでなければ、よほど取材力がしっかりされているのだなと思った。デビュー作でのこうした取材力は、たとえば同じメフィスト賞では早坂吝『◯◯◯◯◯◯◯◯殺人事件』でも感じた。早坂氏のその後の活躍はご存知の通り。この木元という方も、わずか二か月で続編を刊行できるほどだから、かなり基礎体力をお持ちなのではないかしらん?

 といっても、各話は基本的に「イイ話」なので、結末は時に人生訓的というか、自己啓発的というか、そういう説教臭さに落ちるところもないではない(特に第二話)。この安定した推理空間にも、書き継がれるうち次第に亀裂が入ってくるはずだが、それはどういったものになるのだろうか?

 

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

 

 

 

閻魔堂沙羅の推理奇譚 負け犬たちの密室 (講談社タイガ)

閻魔堂沙羅の推理奇譚 負け犬たちの密室 (講談社タイガ)