立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

文學界」2018年9月号に、金井美恵子が『「スタア誕生」』刊行記念で6月にB&B野崎歓と行なった対談が載っているのを読んだ。
 面白かった。
 しかしこの対談は様々な話題が数珠つなぎ式につながっているので、いざ紹介しようと思うと、なかなか部分だけでは取り出しづらい。少し長くなるが、たとえば以下のような箇所の物腰には、有無をいわさぬ硬い核のような感触があり、(さすがだなあ)と思い、また勇気づけられもする。

 まずは冒頭、芸術選奨を受けた『カストロの尻』について。

金井 芸術選奨というのは、この間亡くなった朝丘雪路さんももらっていて、略歴を見ていると、朝丘さんはその後も勲章を二つもらっているんです。だから、勲章をもらうための第一歩らしいですね。芸術選奨の三十万円という賞金がいかに安いかってことを書いた「50年、30年、70歳、30万円」の載った「新潮」を、文化庁の役人に送っておくようにと新潮の人に言っておいたので、勲章とかを今後もらうことはないわけです(笑)。
野崎 まあ、役人がちゃんと読めば、の話ですけれど(笑)。ともあれ、今までも数々の金井作品があったなかで、『カストロの尻』が芸術選奨を取るというのは痛快ですね。とにかく「尻」にはびっくりしました。スタンダールの『カストロの尼』というのは、ロマンチックな、パッション溢れる傑作ですよ。「恋愛はすべてを許す、しかし身を引くことだけは許さない」という調子の絶対恋愛主義の極地です。金井さんも間違いなくお好きですよね。それが、ある男が「尼」を「尻」と読み違えてしまったことから、全く印象の異なるタイトルが生まれて……。でも、この男に僕は惚れましたね。(……)金井さんのエッセイで触れられているとおり、この『カストロの尻』でお取りになった芸術選奨は七十歳を超えると対象にならない賞なんですね。どういうわけで、あのような年齢制限があるんでしょう。百歳まで生きても驚かないという時代に、暗に小説家には七十歳での引退を促しているんでしょうか(笑)。
金井 七十すぎたら芸術院賞、芸術院会員、という階級制度があって文化勲章で死ぬ(笑)というシステムだからでしょう。ちなみに大岡昇平は『レイテ戦記』で芸術院賞を断っていますね。大岡さんみたいに大々的に言いふらさないのですけど、瀧口修造さんから芸術選奨を断ったという話を伺ったことがあります。断りたい、という気持ちも当然ありましたけど、話の種ね、もらおうかと(笑)。七十歳という決まりがあったし、私は五十周年ということで小説を出したわけだし、賞をもらったのが三十年ぶりで、賞金が三十万円、すぐに、「50年、30年、70歳、30万円」という語呂のいいタイトルを思いついて、このタイトルを思いついたのが嬉しかった。これが万一、野間文芸賞で三百万円なんてもらっていたら、タイトルに決まりがつかないですもんね。三十万っていうのが、いかにもみじめでいいですね(笑)。

溝口健二の失われた映画『血と霊』をめぐって。

金井 「『スタア誕生』」を書きながら『成瀬巳喜男の設計』を時々読み返したんです。同時期に『カストロの尻』の連作も書いていたんですけれど、「新潮」の二〇一五年九月号に、四方田犬彦さんが「大泉黒石表現主義の見果てぬ夢:幻の溝口健二『血と霊』の挫折」を書いていらして、なかなか刺激的な文章でした。(……)四方田さんの文章に「溝口健二研究家の佐相勉は、背景部にいた久保一雄と渡辺造酒三が担当した可能性が高いと推理している」と引用されている佐相勉さんの本というのが、『1923 溝口健二「血と霊」』(筑摩書房)なんです。けれど、佐相さんの文章を読めば、推理という消極的なものではなくて、(……)これには続きがあって、久保一雄の「映画美術」という雑誌に載った回想を引用して、この映画を撮った年に大震災がガラガラと来て、向島の日活の大道具の人に「てめえらが変なひん曲がったものを作ったからあんな地震が来たんだ」とよく言われていたという(笑)エピソードも引用しています。
野崎 無茶な言われようだなあ(笑)。
金井 朝鮮人が虐殺された震災だったわけですからね。無茶ですよね。四方田さんが引用している佐相勉さんの本は、『成瀬巳喜男の設計』の翌年に、同じリュミエール叢書から出ているんです。けれど、四方田さんはお読みになっていないようですね。
野崎 僕は今挙がった本は一応全部読んでいるんですけど、仰ったようなことはさっぱり覚えてないですね。本当に情けない。今、隣で拝見していて、金井さんがいろいろメモをお取りになっているもの、それから切り抜き、それから書物、これらをつなぎ合わせながらお話しになる、これはまさに「金井美恵子の現場」を目の当たりにしたようで、興奮しました。

 十四年続いた時評「目白雑録 ひびのあれこれ」の連載が終わったのはもう三年近く前のことで、ある種のメディア批評の性格を持っていたこの連載は、2011年の東日本大震災の頃から微妙にトーンが変わった。「メディア」というもの自体の構造も変わった。私はこの連載をゼロ年代時評の三本指に入ると思い、また相当にいろいろなことを教わったと思う(他の二本は殊能将之「memo」と山城むつみ「連続するコラム」)。そのことを忘れないように、ここに記しておくことにする。

 

文學界2018年9月号

文學界2018年9月号