TBCN

襤褸は着ててもロックンロール

1999年4月――「ハサミ男の秘密の日記」を読んだ

 早朝に目が覚めたので、ニュースをいろいろ眺める。参議院は夜中もやっていたらしい。すごいな。結局、二時間ほどボーっと時間を潰してしまう。
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 昼休みに昨日発売だったという「メフィスト」2013年第三号を入手。さっそく、殊能将之ハサミ男の秘密の日記」を読む。Amazonの内容紹介にはなかったが、表紙には【発掘】とデカデカと出ている。
 デビュー前後のことをつづった文章で、作中の「イソベ刑事」のモデルである磯達雄氏に個人的に送られたものらしい。ざっと数えると、原稿用紙で55枚(2万2000字)ほど。本文後の作品紹介には、磯氏が編集部に提供されたとある。日記とも随筆ともつかない、あえていえば私小説かもしれない。冒頭からこんな文章が続く。

 一九九九年四月三日(土)
 近所の書店に出かけたら、〈小説現代五月増刊号メフィスト〉が雑誌コーナーに平積みになっていた。
 三月月末から毎日書店に通い、発売を心待ちにしていたので、すぐに手にとり、「原稿募集座談会」のページをめくった。昨年(一九九八年)十一月に殊能将之が投稿した長篇ミステリ『ハサミ男』がどうなったか、ずっと気になっていたのだ。
 結果はすぐにわかった。(……)

 冒頭から「殊能将之が投稿した」という記述に目を惹かれた。この文章はどういう性質のものか? 親しい友人に久しぶりの、しかも自分にとってめでたい知らせを送るものだという。テレ隠しはあったろうにせよ、「殊能将之が投稿した」と客観的に(おそらく投稿時に初めて使用しただろうペンネームとはいえ)、いわばハードボイルド的に突き放して書けることに舌を巻いた。
 先に「あえていえば私小説かもしれない」と述べたのは、かなりあけすけに書かれている部分もあるから。『ハサミ男』の受賞が決まったものの著者と編集部との連絡が取れなくなっていたエピソードはこれまでにも知られていたが、編集者や家族との詳しいやりとり、印税に関する推測など、細部にいたるまで非常に冷静な観察・描写が続く。
 こういう一節もある。

「あんたなあ、たかが七十万稼いで、どうすんの。先の保証もないんやろ? ちゃんと仕事見つけたほうがええで」
 姉は唯物論フェミニストなのである。本人はフェミニズムなんて言葉は知らないのだが、わたしから見ると、そうとしか思えない。だいたい、姉は小説なんか読まないのだ。
 一方、つい先々月まで同居していた兄は、三島由紀夫ファンの文学青年である。兄ならきっと、小説が出版される(かもしれない)こと自体を喜んでくれただろう。無事に出版されたら、ちゃんと読んで、批評のひとつも語ってくれたかもしれない。
 しかしながら、仮にも小説を書いた身でありながら、わたしは圧倒的に姉のほうと話が合う。われながら不思議なんだけど、兄の文学趣味はどうも好きになれない。たぶん、それが趣味にすぎないからだろう。

「(兄の)文学趣味はどうも好きになれない。たぶん、それが趣味にすぎないからだろう」にはギョッとする。――自分が就職活動から解放された時にSNSに書いた日記を思いだした。もちろんそんなものと比べるのは不遜だが、しかしその時のことを考えると、自分をこんな風に書けるのは並大抵ではないと、今更ながら恐ろしくなる。なにしろ、文中で編集者が「業界騒然、という感じで推薦文ができれば……」と話すほど、当時のメフィスト賞への注目はかなりのものだったろうから。『ハサミ男』以降一人称で書かれた小説はそう多くないが、基本的に文体を支えているのは、一人称でありながら計算された距離を保った、こうした隔離的精神ではないかと思う。
 末尾の作品紹介に、編プロ勤務時(二十代だろう)から個人誌を高い頻度で発行していたとある。私は一読者にすぎないので、当時のそれがどのようなものかはわからないが、本編ではタイトル通り、まさに小説『ハサミ男』そのままの文体のようだと感じる。たとえば終盤の、講談社で打ち合わせるための上京をめぐるこういう会話の記述。

「おはよう」と、わたしは言った。
「おはよう」姉は答え、「で、ホテルはどないすんの」

 日記や私信にこういう海外小説ふうの書き方は普通しないよね。エッセイでもしないと思う。ところどころ「memo」よりもかなり辛辣な、しかし客観的な視線をじゅうぶんに計算した文章で、あっという間に読み終えた。4月、5月、6月と、語り手は出版の準備に日々を費やす。そしてラスト――この世でたった一人の読み手にだけ向けたサプライズの一行がくる。
ハサミ男』のラストでは、「わたし」がこう述懐する。

 これからどうしようか、とわたしは思った。(……)
 どれもありえないことのように思えた。
 だが、その一方で、どれも十分ありうる未来のようにも感じられた。
 まあ、どうでもいい。医師がいつか言っていたように、人生はなるようにしかならないのだから。

 そして語り手は、この「日記」に書かれた日々を、35歳の「T」青年とミステリ作家「殊能将之」という二つの異なる顔をつなぐ蝶番のようにして、再出発する。1999年8月、『ハサミ男』が無事刊行。年末のランキングを騒がせた後、2000年2月には公式サイトを開設し、4月には第二作にして最長の『美濃牛』を発表。2004年8月『キマイラの新しい城』までのちょうど五年間の快進撃はすさまじい。ミステリ・シーンに関する「予言」も興味深いから、詳しくは本文にあたっていただきたい。
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 扱いが大々的なので、何か続きがあるのかと思ったら、特に予告はされていない。気長に待ちたい。
 それにしても、以来もうすぐ15年。当時から何が変わっただろうか? 「わたし」の視線は、昨日のようにみずみずしい。Days in the life of mercy snow still go on.