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襤褸は着ててもロックンロール

書店で『ジーン・ウルフの記念日の本』とレム『短篇ベスト10』が隣に並んでいるのを見かけた。この二人の著作が新刊(しかもこのシリーズ)として出ると(そして来月に『読書日記』まで出るとなれば)、自分が受験生だった2004年の夏を思い出す。あの年は、
7月→『ケルベロス第五の首』
8月→『キマイラの新しい城』
9月→『ソラリス
という感じで、この時期は国内ミステリだけでもさらに麻耶雄嵩『螢』(8月)、綾辻行人暗黒館の殺人法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(共に9月)と立て続けで「グランドクロス」と呼ばれた年だから、ネットでも書店でもその熱狂はなかなかスゴかった。といってもバイトしている訳でもない金欠の田舎高校生はハードカバーに手が出ず、直接の実感としては『キマイラの新しい城』にかけられた茶色い書店カバーを惣菜パックのように巻き止める輪ゴムの感触を覚えているのみだけれども。

荒巻義雄『白き日旅立てば不死』読み終わる。
時間の断片性とか不連続性についてが議論のテーマとなる中盤、ゼノンのアキレスと亀の話、それに対するラッセルなどの反論が紹介される。ここはもう少しちゃんと読みたいなあ。時間の断片性とか不連続性についての考えが私にぐぐっと迫って来たのは、恩田陸『図書室の海』を読んだ時ではないかと思う。その時のことは以前ここにも書き留めたhttp://d.hatena.ne.jp/kkkbest/20130902/1378144662)。一昨年、この「ノスタルジア」という短篇を探している時、頭にあったのは、エリアーデがロング・インタビュー本『迷宮の試煉』で語っているらしい次の言葉。

一般に人は自分の人生を断片的に見ています。ある日、シカゴで、東洋学研究所の前を通りかかったとき、青春時代に始まってインド、ロンドンその他へ続いたこの時間の継続性を感じました。この経験には元気づけられます。自分の時間をなくしていない、人生を散逸させなかったと感じるのです。すべてがそこにある、たとえば軍務のような、無意味だと思って忘れていた時期さえも、すべてがあり、そうして自分はある目標に導かれていたということが分かります――ある指向性に。

「この経験には元気づけられます」という言葉には元気づけられる。
『白き日〜』の主人公の場合は、おそらくは過去の体験が大元となって記憶を喪失したり空想と現実が入り混じったりするのだけれども、過去をつなぎとめる作業はなかなか進まず、連続性を保証するはずの女性の姿も捕まえることができない。