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襤褸は着ててもロックンロール

「叙述トリック」についてのメモ(2)

叙述トリック」という言葉が指すもの
叙述トリック」という言葉は広く使われながら、論者によってその指し示す意味が微妙に異なるらしい。私も詳しくはないけれど(妙なところはご指摘ください)、とりあえずここでは我孫子武丸叙述トリック試論」の定義を参考にしよう。
・作者と読者の間の暗黙の了解のうちの一つあるいは複数を破ることによって読者を騙すトリック
これだけだと作中作や夢オチについての扱いが曖昧だけど(「試論」ではもっと踏み込んで書いてある)、それについてはひとまず置いておく。
よく「作者から読者に仕掛けるトリック」などともいわれるが、そのとき混乱が起こりがちなのは、「作者が読者に仕掛けるなんて、密室トリックも同じじゃないか?」というふうな反応も出てくるからだ。「叙述」ということに絡めてもう少し詳しくいえば、「物語世界を語るその語り方によって誤認を引き起こすトリック」だと言える。「語り方」とは、物事を説明する方法のことです。同じ出来事を述べるにしても、説明の順番を前後させたり、省略したり増幅したり、色々なやり方がある。「叙述」とはそうした方法のことだ。
ついでにいえば、「語り方によって誤認を引き起こす」というテクニック自体は、本格ミステリの要件である「作中の謎が論理的に解明されること」と必ずしも関係があるわけではない。「叙述トリック」は本格ミステリの要素の一つではあっても、単に「叙述トリックが使われている作品」というだけでは、イコール「本格ミステリ作品」という必要十分条件にはならないわけだ。
「言い落し」の不自然さ
前回http://d.hatena.ne.jp/kkkbest/20150729/1438166625紹介した「教程」でアザラシ氏が挙げている原理は、それぞれの大本に「ある時点でどういう情報を読者に伏せておくか」という「言い落し」がある。つまり「言い含め」や「言いぼかし」や「言い張り」にせよ、すべて「言い落し」から派生したバリエーションであると考えられる。
しかし上にも書いたように、そもそもすべてのミステリは、「真相」という図を説明するにあたり、情報開示の順番を操作し読者になんらかの誤認をさせることで成り立っている、ともいえる。「ある時点でどういう情報を読者に伏せておくか」という広義の「言い落し」がなんらかのかたちで含まれているわけだ。「叙述トリック」はこの操作の「語り方」の面に特に着目し、極端な使い方をした手法だということができるだろう。
私がいま最も興味を抱いているのは、この「言い落し」の必然性を、いかに読者に「自然に」感じさせるか、にある。
しかし、「教程」http://togetter.com/li/433684の「中級例題1−1」を見てほしい。これが一人称ならまだわかるけれど、三人称だったら、どうか。
真相:武々夫と文子は兄妹である(事実A)。しかし武々夫と学美はそれを知らなかった(事実B)。
冒頭の叙述:武々夫と文子は兄妹である(事実A)。(事実Bについては言及なし)
なぜ「地の文」は冒頭で事実Aについてだけ述べ、事実Bについては「言い落し」たのか? 不自然ではないか? その記述にはいったいどういう基準があるのか?
小説という形式は、文学史において比較的新しく現れた、その他の形式(詩歌、随筆、日記、評論、手紙、メモ書き、戯曲、……などなど)をなんでも自由にとりこめ、自由に構成できる形式だが他方、だからこそ、その際の多元的な取捨選択が自由自在であればあるほど、それを編集してまとめる存在の意思が如実に読者へ意識されてくる。「叙述トリック」を利用した作品においては、よくカットバック手法が用いられるけれど、なにゆえこのタイミングでこのパートは断ち切られ、次のパートが都合よく挿入されるのか? その編集はどういう基準によるものか?
上で挙げた「その記述にはいったいどういう基準があるのか?」は視点の記述に関する問題、直近の「その編集はどういう基準によるものか?」は複数の視点の構成に関わる。小説の「叙述」はこれらの問題をまとめて含むもので、つまり、視点や人称、構成といった問題と切り離して考えることはできない。
たとえば。
三人称多元で扱い易い形式の一つに歴史叙述がある。歴史という膨大な対象を記述するには、「語るべきこと」の取捨選択、つまり適切な省略=言い落しが要請される。「叙述される対象」が「叙述する者」よりも圧倒的に大きな場合、唯一の「作者」ではなく、たとえば複数の「声」の雑多な集積として書かれることもある。歴史叙述の場合、「叙述する者」あるいは「叙述を編集する者」は、「叙述される対象(=世界)」の外側に立って俯瞰していることが普通で、それなら三人称多元でも違和感はない。
しかし……。たいていのミステリは、叙述時における現在か、歴史とまでは呼べない近い過去を対象に語っている。ではその「外側」に立って自由自在にカットバックを用い「叙述する者」、なおかつ不自然な「言い落し」を許す者とは、いったい誰なのか。(つづく)