TBCN

襤褸は着ててもロックンロール

「叙述トリック」についてのメモ(3)

作者と語り手
だいぶ間が開きました。雨続きですが、皆さんお元気ですか。見通しが立ってきたので、再開することにします。
この前からジョジュツ、ジョジュツといっていたが、そもそも小説にとって「叙述」とは何なのか。迂遠なようだけど、そのへんをこの夏は自分の中で整理してみた。

たとえば記録メディアがない大昔を想像すると、物語というのは、語り手が聴き手に話すパフォーマンスだったであろう……それが形式や媒体が発達し、現代に近づくにつれ、だんだん語り手の存在が薄れてくる。
ウェイン・C・ブースは『フィクションの修辞学』(水声社1991、原著1961)の冒頭で、「示すこと(showing)」と「語ること(telling)」の単純な区別を批判している。これはどういうことかというと、たとえば同じ物語を伝達するにしても、紙芝居のおじさんのような語り(telling)と、映画をそのまま見せるかのような客観的な提示(showing)とは、小説の叙述としてどっちがエライのか。実際の紙芝居の場合、(ああ、今この人が脱線を挟んだりしながら目の前で語っているんだな)ということはすぐわかる。しかし映画の場合、(これはどこからの視点なのか)とか(どういう編集になっているのか)ということは紙芝居より気にならない。つまり語り手や作者の存在が透明である。ゆえに映画のような客観的な叙述の方がエライし、小説家はみなそうした書き方を目指すべきだ……1920年代以降流行ったこうした議論をブースは否定する。「真の小説は写実的であるべきだ」? 「すべての作者は客観的であるべきだ」? 「真の芸術は受容者を無視する」? それらは程度問題であって、地の文が写実的・客観的でないから即ダメということはないし、作品から作者も語り手も聴き手も読者も消えることはない、云々。
実際、何かを客観的に描写する場合、大量の視覚情報が一瞬で入ってくる映像に比べ、言葉は直接盛ることのできる情報量が小さく、また配列や語彙選択に幅があるうえ、それをどのような言語で表現するか、ということ自体にも、発信者の人格性が宿ってしまう。
こうした発展を大雑把に図式化すれば、次のようになるか。
・小説が未だない頃のパフォーマンスの時代

・小説が発明され歴史が浅く、まだ語りのパフォーマンス性が当然だった時代

・小説における語りの客観性が言われだした時代

・ブースなどによる反論

現代
私が前回と前々回で気にしていた「不自然さ」は、このあたりに関連する。つまり「叙述トリック」を使用した現代小説は、まるで作者も語り手もいないかのような「透明な叙述」を装いながら(いわゆる三人称の場合)、あまりにも複雑な構成や言い落しの技法を駆使することによって、逆に不透明性が浮き上がってくる。この不自然さは小説の叙述に必ずついて回るもので、完全に消すということはできない。しかし逆に、テーマや設定が要請する必然性によって昇華することもできる。
なぜ作者や語り手は我々を騙すのか。それは究極的には、相手(読者ないし聞き手)を楽しませたいからだろう。つまりコミュニケーションの一環だ。もともとミステリという形式は他の形式に比べ構造的に、読者の存在を意識した強いコミュニケーション性を持っている。作者は読者が持つであろうイメージを設計し、読者はあれこれと想像しながら楽しもうとする。
小咄のテクニック
ネット上でたまに、「叙述トリックまとめ」というような、短いコピペを集めたサイトがあるが、あれらのほぼ全部は、昔なら単に「小咄」と呼ばれていたものだろう。確かに、いずれも短いエピソードのなかでなんらかの誤認が数秒(時には一秒未満)続くとはいえ、ミステリにおけるような叙述トリックとはいいがたい。なぜなら謎と謎解きがなく「騙り」自体が主目的になっているからで、そうした話術は遥か昔からちょっとした小咄としてあったわけだ。
……といって、私は別に小咄を否定しているのでもない。むしろ、叙述トリックの淵源には、そうした小咄的なコミュニケーションがあるのではないかと思う。「まとめ」にあるどの小咄も、言葉によるなんらかの誤認を利用している。そしてそれ(頓智話とか都市伝説とか海外ジョークとか怪談とか意地悪クイズなどがゴッタ煮になったもの)を「叙述トリック」だと信じて疑わない人が、これだけ大勢いる。叙述トリックを用いたミステリとは、こうした些細な誤認をテクニックとして積み重ね、異常なまでに酷使したものなのではないか。
「語りによる騙り」というテクニック自体は古くからある。ミステリ小説にも利用されてきた。しかし理論が整備されてくるにつれ、しだいに要求されるハードルは厳しくなってくる。フェア・プレイの問題だ。「騙り」とフェア・プレイは、どう両立するべきなのか。そしてそれは上記の「必然性」と、どのように結びつくのか。
次回、例を見てみよう。(つづく)