TBCN

襤褸は着ててもロックンロール

意識しないと見えないもの

カーの短篇集『不可能犯罪捜査課』を読んでいたら、三話目に「ホット・マネー」という、ポー「盗まれた手紙」ライクな趣向の話があった。探偵役のマーチ大佐がかなり自信満々なので期待していたものの、日本人にはチト馴染みづらいネタで、いささか期待が外れた。
あまりに日常的でありすぎて、鼻先にあっても気づかない、といういわゆる「見えない」ものネタは、ポーやチェスタトン以来それ自体がひとつの趣向となって、つまり意識化されているから、いま単独でやるのはなかなか難しそうだけれども、その考え方というか技法は、その他の流れにも拡散して息づいているものと思う。
西澤保彦『神のロジック 人間のマジック』の最後、語り手が、それまで認識できなかったものを認識する場面がある。ちょっと劇的というか、(人間の認識として本当にこんなふうな見え方をするのかなあ)と少し疑るところもなくはなかったのだけれど、つい先日、極小スケールでそれに似た体験をした。
ふだんはもっぱらローマ字入力なので、もう二十年近くかな入力はしたことがない。ふと思い出し、小学生の時ぶりに(えーと、どこにどの文字があるんだっけ)と探そうとしたのだが、かなが見当たらない。(最近のキーボードにはかなが無いのか?)と疑問に思ったが、二、三秒して、次第にかなが見えてきた。
これには驚いた。いわゆる「QWERTY」なら「たていすかん」の文字がそれぞれのキーの右下にふられているのがまったく目に入らず、首をかしげた次の瞬間、黒地に白い文字が一気に広がって(ほんとうに、いちめんにひらがながひろがるように)見えた。
こんなにもすぐそばにあったのに――『神のロジック 人間のマジック』の語り手の気持ちを少し実感した私。

神のロジック 人間(ひと)のマジック (文春文庫)

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