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襤褸は着ててもロックンロール

そういえば映画『この世界の片隅に』を見て胸中に思い浮かんだことごとを書いていなかったので、今のうちにそうした雑感をメモしておきます。


◯この映画には何か、見る者を引きつけ、それぞれが読み取りたいものを読み取ることができる、鏡のような、ブラックホールのような感触がある。この抵抗感のなさは凄い。
◯なぜこのような抵抗感のなさが可能なのだろうか。もちろん技術力の高さ、さらにそれを感じさせないだけの技術力の高さがあるのだろうことは、門外漢の私にもうすうすとわかる。しかし加えてアニメーションという表現媒体によるところも大きいとおもう。筋の進行は時系列通りに進むが、小エピソードの連なりというところは「サザエさん」的でもある。たとえば先の「抵抗感のなさ」は、「サザエさん」に抵抗感を覚えないのと同じようなものなのだろうか。これが実写だと、どう頑張っても違和感は出てくるのではないか。
◯しかしそう考えたとき、私はフレデリック・ワイズマンのいくつかのドキュメンタリーをおもいだした。ワイズマンの映画にも「抵抗」は感じない。この作品をめぐっては「ドキュメンタリー的」という評言をいくつか見たが、おそらくそうした感想が出てくるのは、そこにいる(いた)人々の日常の再現というところに主眼の一つがあるからだ。ではここで私のいう「抵抗感」の正体とはいったい、なんなのだろうか。
◯「抵抗感」とはおそらく、「作り物性が出過ぎていて、作中の中にうまく入っていけない」という時に覚えるものだ。だからアニメーションだろうとドキュメンタリーだろうと、「作り物性」が鼻につけば「抵抗」を感じるし、作劇技術の高いレベルにおいては、「抵抗」を打ち消すことができる。しかし「抵抗感のなさ」だけでは、ブラックホールのように「引きつける」までにはまだ、たどり着かない。「ここに描かれている世界とオレのいる世界とは、見た目は違うが連続しているのではないか」という強いリアリティの感覚が必要だ。
◯「太平洋戦争下の広島の日常」を題材として考えるとき、その情報量はとてつもなく大きい。ここでいう情報量とは、見る者がこれまでに溜めこんできた記憶の集積も含めてのことだ。誰もが何らかの記憶を持ち、時には目を背けたい、思い出したくない、ストレートに語ることのできない困難さ、まともに向き合えばいたたまれなくなってしまうからこそクリシェとして情報を簡略化することで精神の安定を図らずにはいられないほどのスケールの大きさ、またそうして消費してきたこと自体にまつわる後ろめたさ、胡散臭さ……等などが当然ある。
◯そうしたあまりにも大きなものをストレートに投げつけられると、見る者の器は壊れてしまう。良いピッチャーの球を受けるには、良いキャッチャーになる必要があるからだ。この映画を見ていると、間口の広い、低いところから、しだいしだいに高いところへ連れて行かれるような感じ、つまり二時間の中で自分がキャッチャーとして育てられてゆくような感じを持った。最初に直観した、「抵抗感のなさ」と、「見る者を引きつけ、それぞれが読み取りたいものを読み取り……」とはおそらく、そういうことだとおもう。だから、重くストレートなものは一度見ればグッタリしてしまうが、この映画はその大きさにもかかわらず、多くの人がくりかえし見られるし、実際に見るのではないかとおもう。
◯私は涙もろいので、だいたい開始五分くらいで堤防ぎりぎりとなり、流れこむ水になんとか耐えていたのだが、もちろん彼らを待ち受けるおおよその運命は知っている(原作未読)。最近、「歴史物は最初からネタバレ」云々などと口にする人がいるが、この場合、筋の結末を「ネタバレ」と捉えるのは適当ではない。以前、桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』角川文庫版の辻原登解説から、『オイディプス王』についての「劇的アイロニー」という言葉を引用した。

毎年三月、ディオニュソスの大祭のとき、アテネで上演された『オイディプス王』を観て、アテネ市民はその都度、オイディプスの運命を哀れみ、同情して涙を流す。劇が終わると、観客は涙をぬぐい、一種晴れ晴れと澄み切った気持ちで野外劇場をあとにした。
 なぜ、毎年、同じ劇を観、結末を承知しているにもかかわらず、人々は涙を流すのか。いや、そうではない。観客は、劇のはじまる前に、オイディプスの運命を知っているからこそ涙を流すのだといえる。
 観客は分かっているが、登場人物は知らないことになっている皮肉な状況、劇的アイロニーと呼ばれるこの状況が、じつは涙の源泉なのだ。しかし、おのれが何者なのか、と最後の最後まで捜査を推し進めてゆくオイディプスは、すべてを知っているつもりの観客の思惑を越えて、彼みずからを謎にみちた存在、怪物へと変貌させてゆく。
 その変貌に立ち合ったとき、結末を知っていると高をくくった観客・読者は、おのれの存在がいかに卑小なものであるかを思い知らされ、おそれおののく。このときだ、ほんもののカタルシスがおとずれるのは。

観客は、眺めている登場人物の「運命」を知っている。しかし、眺められている登場人物は、その「運命」を知らない。そしてまだその「運命」は到着していない……。この宙吊りの感覚を、「サスペンス」として捉える論にこのところ関心を抱いているのだけれども、それはひとまず置く。しかし私は、この一文を読んで以来、〈結末を知っていると高をくくった観客・読者は、おのれの存在がいかに卑小なものであるかを思い知らされ、おそれおののく。このときだ、ほんもののカタルシスがおとずれるのは。〉という感覚を、今回初めて実感した。それは登場人物だけではなく、「太平洋戦争下の広島の日常。ナルホド……」という事前の「高をくくった」感じを超えてゆく、制作側の突破力に対してでもある。
◯私はこれまであまり感じていなかったのだが、感想を見ていると、戦後教育への反発はこれほど強かったのか、と驚いた。もちろん知識としては知っていたが、自分が反発を感じたことはあまりなかった(というか私の場合、良くも悪くも、記憶に残るほどの反発や尊敬を覚えた教師を持っていないのだが……)。
これも以前引用したが、小林信彦の『時代観察者の冒険』(新潮社、1987)の一節を想起する。

41年前の8月15日を語ることの困難さは、まさに、この奇妙な〈明るさ〉にある。8月15日そのものは、41年前もたってしまえばたいした意味はないので、問題は、8月15日に終った太平洋戦争(ぼくの記憶の中では今でも大東亜戦争であるが――)をどう考えるかだ。(……)〈戦争を語り伝える〉というのも、ほとんど至難のわざである。そうした〈わざ〉を持続しておられる方々への尊敬の念は別として、ぼくはといえば、自分の子供さえ説得しかねているありさまだ。「戦争は……」と口に出しただけで、「クラい話!」という否定的な声がかえってきて、二の句がつげなくなるからである。〈語り伝えられる側〉の気持もわからないではない。ぼくが子供のころ、〈震災記念日〉というのがあって、当時からみても20年ほど前の関東大震災をしのんで、黙とうをささげたり、記録映画を見せられたりするのが、ひどく、うっとうしかった。こんなものがオレにどういう関係があるのか、と腹立たしくもあった。――今の子供が〈敗戦記念日〉〈終戦記念日〉について抱く印象は、あのいらだちに近いのではあるまいか。(「現代の奇妙な〈明るさ〉」初出は京都新聞1986年8月15日)

あるていど自我ができてくると、信条を押し付けられることに対して反発――抵抗を感じる。信条というものは自分で選び取ったほうが強い。くどいようだが、「抵抗感のなさ」というのは、時間が経ち、〈語り伝える〉側にも世代交代が起こったということも大きいとおもう。あまりにも近く、激烈なことというのは、発信者も、受信者も、屈折した、たどりにくい表現、すなわち、「抵抗感のなさ」に対する抵抗を伴うことが多いから。

◯押し付けは何も戦後に限らず、もちろん戦前からあった。しかし、「精神性は何も変わっていないではないか」と感じられるイヤ~な連続性は〈オレにどういう関係があるのか〉どころではなく、日常のそこかしこにある。数十年前の人物の運命に涙し、女優の不遇に憤りを覚えるその同じ心が別の誰かを踏みにじって〈オレにどういう関係があるのか〉と平然としていてもなんら不思議ではない。しかしたとえば玉音放送を聞いたすずが見せるあの「激情」のかたち、最後にとる行動の意味は、加害と被害は流動するということに気づかなければわからない。実は私は見ている最中はわからなかった。上のように考えてきて、ようやくわかったような気がした。〈関係〉を受け取るキャッチャーとなることを、押し付けではないかたちで自らが選び取る間接的な力となること、もし作品に何らかの力があるとすればその場所においてだろう(こういう重要なことは直接的にいうとそれはそれで胡散臭くなってしまうので、あまりいわないが)。

◯私が作品との〈関係〉で受け取ったのは、そんなようなことだった。