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襤褸は着ててもロックンロール

「『私にまさる妙手』に敬意を込めて」について、

そういえば、なぜいきなりエリオットの『荒地』の話題をしたのか、このブログには書いていなかったので、わかりづらかったかもしれない。

というのは、『立ち読み会会報誌』第一号を加筆修正するために調べ物をするうち、私は積年の謎、すなわち『美濃牛』冒頭の献辞〈「私にまさる妙手」に敬意を込めて〉とはどういう意味か? をやっと知ることができた。しかし、このわずか一行から、テクストの膨大なネットワークの海に投げ込まれ……この入り組んだ関係をどのように追い、整理すべきかと迷ってしまった。そのため個人誌では駆け足で済ませてしまったけれど、いちおう現時点での備忘録のために書いておきます。

今となってはどのように検索したのか忘れてしまったが、ある日、ヒロセユウイチ氏という方の〈「わたしにまさる妙手」(うたがう余地もなく il miglior fabbroの和訳)〉という指摘に辿りついた。

「il miglior fabbro」とは、T・S・エリオット『荒地』The Waste Landの冒頭に献辞として登場する有名なフレーズだという。なるほど、『荒地』かあ。
まずここで第一の衝撃。
『荒地』といえば確かに、膨大な引用でできた長篇詩として有名だ。それを踏まえたとなれば、『美濃牛』あの引用の多さはわからなくもない。だいたい、あの小説は作り方として、本文が先か、節冒頭の引用が先か、よくわからない。『ダ・ヴィンチ』のインタビューだと最初は500枚くらいの予定だったと仰られているけれど、現行版は1000枚あるからいいようなものの、その半分だと読み進めるのにいちいち支障が出そうだ。これまでなんとなく、引用文を骨組みとしてそこに肉(本文)を足していったように思っていたが、後から引用を付け加えた可能性もあるのではないか(『TVチョップ!』のインタビューによれば〈あれは『美濃牛』を書くために調べたんです(笑)。(……)一カ月間くらい毎日図書館に通えば、あれくらいは誰でも集められますよ〉とある)。
しかし、エリオット(Thomas Stearns Eliot 1888-1965)の詩といえば難解なことでも知られている(以前読んだ時は詩よりも散文のアンソロジー『文芸批評論』の方が面白かった)。文フリまで時間もないのに、今から読んで大丈夫なのだろうか。そこで手持ちの『エリオット詩集』(彌生書房、1967)の該当箇所を開いたが、どうも違う。2010年に出た岩崎宗治訳の『荒地』岩波文庫版では、〈わたしにまさる言葉の匠〉となっていて、確かに近い(「妙手」という訳語はまだ見つけられていないが、どこかにあるのだろうか[→追記参照])。
そして第二の衝撃。
問題の冒頭はこんなふう(岩崎訳)。

 じっさいわしはこの眼でシビュラが瓶のなかにぶらさがっとるのを、クーマエで見たよ。子供がギリシア語で彼女に「シビュラよ、何が欲しい」と訊くと、
 彼女はいつも「死にたいの」と答えていたものさ。

 

   「わたしにまさる言葉の匠」
    エズラ・パウンド

 

“Nam Sibyllam quidem Cumis ego ipse oculis meis
vidi in ampulla pendere, et cum illi pueri dicerent:
Σίβυλλα τί θέλεις; respondebat illa: ἀποθανεῖν θέλω.”

 

    For Ezra Pound
    il miglior fabbro

『荒地』原文はこちら。ウェブ上では何人かの方が、日本語による私訳を公開されています)
〈Nam(……)θέλω〉(ギリシャ語とラテン語)は全体にかかる題辞で、ペトロニウス『サテュリコン』中の「トリマルキオンの宴会」第48節からの引用。

そして続く献辞の「il miglior fabbro」(イタリア語)は、ダンテ『神曲』煉獄編第26歌(117行目)からの引用である。
では開巻いきなり「死にたいのよ」と願って読者をギョッとさせる「クーマエのシビュラ」とは何か? ローマ神話に出てくる巫女あるいは女性預言者で、不老不死(不死といってもだいだい千年くらいらしい)を願ったものの誤って「不老」の方は叶えられず、肉体がシワシワに萎んでも死にきれなくなってしまったキャラクターだという(余談だがこのクーマエのシビュラについては、かつて里見氏がサルベージされた「座右の銘」の典拠である『悲しみの歌』を書いたオウィディウスの『変身物語』にも同様のエピソードがある)。
すでに頭が沸騰しそうであるが、まだまだこれくらいでメゲてはいけない。
パウンド(Ezra Pound 1885-1972)といえばエリオットの先輩的詩人でかつモダニズム、イマジズムをリードしたとして現在では同じように20世紀を代表する巨匠であるが、献辞があるのは『荒地』を編集(主に短く)したためだという(またまた余談になるが私は法月綸太郎『ノーカット版 密閉教室』(講談社、2002)のキャッチコピーすなわち宇山日出臣が法月に送ったというアドバイス〈長すぎる。もっと簡潔に。〉を思い出した……が、このノーカット版の刊行は2002年の刊行なので、2000年4月の『美濃牛』とは関係ないのだろう。余談をさらに続ければ『密閉教室』英題は「A DAY IN THE SCHOOL LIFE」で、ビートルズの「A DAY IN THE LIFE」と関係あるのだろうか。「A DAY IN THE LIFE OF MERCY SNOW」はここから来ているのだろうか。「ハサミ男の秘密の日記」の「著者絶賛!」というジョークは『密閉教室』講談社ノベルス版袖「著者のことば」にある自分はこの本を自分に捧げますなぜなら自分はこの本でデビューできるのだからピース云々という言葉と関係あるのだろうか)。エズラ・パウンドは俳句や漢詩に影響を受けた詩人でもあって、『美濃牛』の句会のシーンでも一度だけ言及がある。
『荒地』は五部に分かれ、冒頭の〈死にたいのよ〉〈四月は残酷極まる月だ〉〈ダー(ダダイズム)〉には『美濃牛』への影響を感じるが、中盤との関連はよくわからない。最終の第五部「雷が言ったこと」は、天瀬と美濃牛の対決シーンと読み比べると面白い。
エリオットは作品末尾に付加された自注の冒頭で(ちなみに1922年に『クライテリオン』創刊号に発表された際はこうした注はいっさいなくテクストのみが掲載されたという)、この詩は聖杯伝説を踏まえており、ジェームズ・フレーザー『金枝篇』(1890-1936)とJ・L・ウェストン『祭祀からロマンスへ』(1920)から主な影響を受けたと述べている(特にウェストン著は自分の詩の難解な個所について自分の注よりも理解が深まるとしている)。
『美濃牛』がもし聖杯伝説を踏まえているなら、作中の「奇跡の泉」が本物であったことはその一環だろう。この物語の基本的なパターンにおいては、騎士が「危険堂」(亀恩堂?)をくぐり抜けることで水がもたらされ、「荒地」は再生するからだ(そして「水」の主題はまた『鏡の中は日曜日』へと引き継がれる)。
それで引き続き、『荒地』の主要な元ネタとされているウェストン『祭祀からロマンスへ』(丸小哲雄訳、法政大学出版局・叢書ウニベルシタス、1985)と、エリオットが学生時代に文学的開眼を遂げたとされているアーサー・シモンズ『象徴主義の文学運動』(山形和美訳、平凡社ライブラリー、2006)を手にした。
そこで第三の衝撃。
象徴主義の文学運動』にはボードレールマラルメについて割いた章がそれぞれ入っている。シャルル・ボードレール( Charles-Pierre Baudelaire 1821-1867)といえば『惡の華』であるが、エドガー・アラン・ポー((Edgar Allan Poe 1809-1849)の英語作品をフランス語に訳した人物でもある(『象徴主義~』にはポー仏訳についてのボードレールの所感が引かれている)。ポーはオーギュスト・デュパン物の舞台をフランスに設定したが(ボルヘスは『ボルヘス推理小説』収録の一編で、ポーが自分にとっての外国を舞台にしたことでそこに幻想的な効果が生まれたと述べている――私はここでどうしてもポール・アルテを思いだしてしまう)、ポーは死後、海を超えたフランスで巨匠となった。

ポー、ボードレールマラルメ、エリオット。〈天才たちが、互いに影響関係を持っている。〉(『美濃牛』第一章5節)――これだけ見るとちょっと西脇順三郎ふうだが、ここにラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft 1890-1937)を付け加えるとどうなるだろうか? すなわち、ラヴクラフトはエリオットの『荒地』を受けて「荒紙」Waste Paperという詩(1922-1923?。詩集Alone in Space収録/邦訳は倉阪鬼一郎、『定本ラヴクラフト全集7‐2 詩篇国書刊行会、1986)を書いた(ちなみに『荒地』発表前の1920年に書かれた初期作品だから偶然だろうが、「詩と神々」という合作扱いの幻想掌編(定本版第二巻、文庫版全集第七巻収録)では、「クーマエのシビュラよりも愛らしい巫女よ」という一節のすぐ後に「神々は詩において人間に語りかける。やがて雷を放つものが語った」とあって、一瞬驚いた)。
このように見てくれば、エリオット、ラヴクラフトマラルメという選択は、決して気まぐれなものではない。さらにそこに連なるのは、ウィリアム・フォークナー(William  Faulkner 1897-1962)だ。いつ見かけたのかもう忘れてしまったが、ウェブ上である方が『鏡の中は日曜日』第一部の語りを、フォークナーの『響きと怒り』と比べていた。実際に『響きと怒り』の第一部の語り(知的障害を患った33歳のベンジャミン・コンプスン青年による)の邦訳と読み比べるなら、これはフラッシュバックを明朝体(現在)とゴチック体(過去)で書き分けるという点でその影響はほとんど疑い得ない(原文はレギュラーとイタリックによる書き分けなので、もっとわかりづらい)。『新潮世界文学41 フォークナー1』(1971)巻末の加島祥造による解説を引こう。

原題 The Sound and the Fury はシェイクスピアの悲劇『マクベス』のなかからとられている。(……)第一部で沢山のイメージの破片をちらばす手法は、T・S・エリオットの長詩『荒地』(一九二二)の方法を散文で遂行したものといえる。第二部の錯乱した意識の独白はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(一九二二)の手法を追いつめ徹底したものといえる。どの程度意識的にフォークナーが欧州の新しい文学技法を追ったかは不明だが、それなしにはこの突然変異は(……)

この記述だけだと足がかりとしては弱いかもしれないが、しかし、2007年に新訳された『響きと怒り』岩波文庫の訳者の一人に平石貴樹が並んでいるのも、私にとっては意味深く思われてくる。
最後にもう一人を紹介しておこう。
『文藝』2008年夏号のアンケートで、殊能センセーは「好きな小説ベスト3」の一つにジュリアン・グラック『シルトの岸辺』を挙げられている。グラック(Julien Gracq 1910-2007)もまた聖杯伝説を複数の自作で下敷きにした作家であって、『漁夫王』(1948)というその名もズバリの戯曲をものしたほか、デビュー作『アルゴールの城にて』(1938)、第三作『シルトの岸辺』(1951)などがそれにあたる。
すなわち、殊能作品に通底するものとして、本格ミステリとジャンル・フィクションが表層にあるのはもちろんのこと、その一段下に、モダニズムや聖杯伝説という隠された層があるらしい。これは何を意味するのか、それとも意味しないのか? 私にはまだよくわかっていないので、第一号では自信をもって書くことができなかった――いろいろと手を伸ばしていくのはそれはそれで個人的に面白いのだが、ひと様にお読み願うとなると〈素材に話を聞いてもしかたないだろう〉(「memo」2006年4月前半)という強度を超えられるのかどうかがわからない(「そもそもじゃあこの妙手って誰だ」と訊かれると……)。第二号を作るならおそらくこのあたりが課題になるんじゃないかと思われるのだが、素人がニワカ勉強で追えるようなものなのかが心配だ。

それにしても、以上のようなことはすべて、〈「私にまさる妙手」に敬意を込めて〉というたった一行の参照元から始まったことだ。こうしたことは著作のどこにも、また公式サイトにも書かれておらず、いよいよ「サンプリングソースはすべて明記することにしてます」(「memo」2000年11月)という発言は疑わしい。まあ、〈(マイケル・イネスの)作中には文学的アリュージョンが頻出する。しかし、これは文学趣味ではないし、ペダントリーですらない。たぶん「このくらい常識でしょ?」という気持ちで書いていたんだと思う〉(「reading」2001年3月26日)ということなのかもしれないが、作家の韜晦はえてしてストレートには受け取れないものだ(たとえばラヴクラフトが書簡で『ユリシーズ』を読んだとか読んでないとか書いて煮え切らないらしいというのを読むと、その後のボルヘスがいくつかの箇所でラヴクラフトを読むべきとか読まなくてもいいなどとノラリクラリ述べる煮え切らなさに重なって見える……こうした韜晦や無意識の道筋を外野からつけるために「作者の話は聞かない」という立場が必要なのだろうか)。
それにしても常識知らずの私にとっては、ヒロセユウイチさんという方が「il miglior fabbro」という一節を書き留めていなければ、まったくわからなかった(妙手? 将棋のことか? などとずっと思っていた)。

ヒロセさん、どうもありがとーございます。

 

荒地 (岩波文庫)

荒地 (岩波文庫)

 

 

【追記】

ここに書いたその日のうちに、ある方より、「私にまさる妙手」というのは寿岳文章訳だとご教示いただきました。確かに、ダンテ『神曲 煉獄編』の寿岳訳(今だと集英社文庫ヘリテージ版がある)を見ると、該当箇所にそう書いてある。そうか、元の『神曲』から持ってきていたのか! いやー、いくら『荒地』を探してもないわけだ……勉強になりました。

この訳語は種類によってホントに全然違うので、そのうち比較してみるかもしれません。