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襤褸は着ててもロックンロール

狭義の叙述トリックとその他の分類――「叙述トリック」についてのメモ(8)

(6)で書いたことを、より詳しめに整理してみよう。

 以下でとりあげる概念は巷間、「どんでん返し」だとか「叙述トリック」だとかと呼ばれて色々混同されているが、それらは実は各々異なると示すことで、議論をスッキリさせたいというのが私の目的である。「叙述トリック」の内容面での分類はおそらく羊毛亭氏の区分が本邦で最も詳しいと思われるが、私の場合はそれをナラティヴの形式面で分類してみたい、ということになる。かなり独断に頼る部分があり、誤りや見落としも多いだろうから、批判的に捉えていただければ幸いです。

1.狭義の叙述トリック

「言い落し」を基本原理として読者を騙すもの。地の文で作中現実と異なることを書かずに、「言い落し」およびそこから誘発される意味の多義性・曖昧性を利用して読者を誤読に導く。特徴は、一人称でも三人称でもOK、ということである。
叙法型:ある一つの視点で語られるパートにおいて、重要事実を伏せていたことが終盤で明らかになるパターン。一人称においてこのトリックを用いる場合、いわゆる「信頼できない語り手」(ウェイン・C・ブース)の概念と重なる部分が多い。
構成型:複数の視点間のつながりにトリックがあるパターン。長篇に多い。

 注意点として、ネタは一作品につき一つとは限らない。単一視点による作品の場合、利用できるネタは必然的に「叙法型」となるが、複数視点を持つ作品の場合、ある一つのパートで「叙法型」のネタを用い、パート間で「構成型」のネタを用いる、というような“合わせ技”も存在する。

2.妄想・幻覚・夢オチ

 作中現実と見せかけて、実は語り手の現実認識に著しい誤りがあったことが判明する、ということに力点があるパターン(したがって、基本は一人称である)。上記「叙法型」との違いは、地の文で作中現実と異なることを書けるかどうかにある。つまり、
一人称・叙法型(≒信頼できない語り手):何らかの理由で現実認識が正確ではないが、事実と違うことは語らないパターン。=叙述トリック

 しかし地の文に虚偽が混じると、狭義の「叙述トリック」からは外れ、以下の概念にあてはまる(ただし、語り手は故意にウソをついていないものとする)。

妄想:語りに事実と異なることが混じるパターン。ただし、誤りは現実判断のレベルに留まり、身体的認識にまでは及んでいない。
幻覚:視覚や聴覚といった身体的認識における誤りが作中現実とまだらに混じり合って記述されているパターン。
夢オチ:語り手の身体的認識の全てが基本的に作中現実と異なっている――つまり作中現実と独白の階層が異なっていることが判明するパターン。

 現実認識の誤りの度合いにおいて並べるなら、
  一人称・叙法型<妄想<幻覚<夢オチ
 の順に、地の文に混じる虚偽が占める割合は強くなる。

3.階層トリック

 作中現実と見せかけて実は、というサプライズに力点があるパターン。「言い落し」による隠蔽を利用しているということでは上記叙述トリック」と変わらないではないか、と思われるかもしれないが、ナラティヴの階層差に主眼があることから立項した。さらに、語りが「創作物」であるか否かを目印にして、仮に下位区分を作ってみよう。

作中作トリック:読者が読んでいたものが創作物であることが後になってサプライズとして判明するパターン。作中作であることがあらかじめ明記されている場合は、これにあてはまらない(その場合は前記「構成型」に該当する)。いわゆる「夢オチ」との違いは、作中作の場合、それが意図的に作られたものである、という点に特徴がある。手記であれ小説であれ映像であれ、それは物語の登場人物も触れることのできる創作物である。「夢オチ」の場合、一人称内的独白の記述は、作中現実には存在しない。
人称トリック:三人称と見せかけて一人称、一人称と見せかけて三人称、というようなパターン。
語り手・聞き手トリック:呼び方をどう表現して良いのかわからないのだが、とりあえず仮に名付けて立項してみた。物語が特定の語り手を持つことが明らかで、かつ、終盤に至って初めて、語り手あるいは聞き手が物語の内容に深く関わっていたという「正体」が判明するという、階層侵犯がサプライズになっているパターン。我孫子武丸『探偵映画』で紹介されている某映画がわかりやすい(私の拙い文章で恐縮ですが、その映画からインスパイアされてショートショートを書いたことがあります……。ああこんな感じね、と印象が伝わるかもしれません)。

✳︎

 以上では、小説におけるナラティヴの階層(物語の階層と語りの階層)差の操作をなんらかの効果をもたらすものとして実際に使用されているものを挙げてみた。ざっくりとした区分なので、抜け落ちているものもある(たとえば一人称語り手が故意に嘘をついている場合だとか、作中作に故意に虚偽がまぎれこませてある場合だとか、……)。

叙述トリック」といえば通常、本格ミステリにおけるものを意味するが、以上のように、それをナラティヴの階層操作の一環と捉えれば、それは本格ミステリに限らず、サスペンスに由来するより広いエンターテインメントの文脈、さらに、純文学的分野においても、20世紀の後半以降、多く利用されてきた。

 我孫子武丸は1990年代初頭の段階において、「叙述トリック」が今後流行するとは思っていないと述べた(「叙述トリック試論」)。しかしそれから四半世紀が経ち、われわれはその後の「叙述トリック」の隆盛を知っている。なぜ「叙述トリック」は流行したのだろう。それは、本格ミステリの枠を超えた広い小説領域でナラティヴの操作がこの半世紀ほど行われたということが一つある。付け加えられるのは、「試論」において「叙述トリック」という語で呼ばれたテクニックは、今回真っ先に挙げた「狭義」のもの(および、「階層トリック」で挙げたものの内の一部)がおそらく想定されていた一方、実作の発展では、作中作だとか、妄想・幻覚・夢オチまでをも含む、作中の現実レベルや視点の構成においてより複雑な組み合わせが開発されてきた……すなわち、(日本型)本格ミステリの文脈に留まらない「広義の叙述トリック」が使用されてきた……という、「ズレ」があったからではないだろうか。

 ここからは、議論の整理のために便宜上、我孫子叙述トリック試論」における用法からも離れて(さらに一般的なイメージからも離れて)、「叙述トリック」という用語の狭義と広義を作業仮説として次のように区別してみる。

 狭義の「叙述トリック」=上記1のみを指す。

 広義の「叙述トリック」=上記1、2、3すべてを含めたもの。(以下、狭義と区別するため、「語りのトリック」と仮に呼ぶことにする)

 先述したように、一つの作品は一つのネタ(トリック)のみをもっているとは限らない。たとえば三部構成になっていて、第一部は信頼できない語り手の一人称、第二部は幻想的な三人称の作中作、第三部は三人称で、かつ全体のつながりに構成型トリックが用いられている、……というような場合も考えられる。

 加えて、誤解されがちではあるが、こうした語りのトリックが用いられている作品が即本格ミステリであるかというと、そうではない。「本格ミステリ」というジャンルの要件は「謎と論理的な謎解き」であって、「叙述トリック」の使用はあくまでも副次的なものに留まるからだ。たとえば上記の「語り手・聞き手トリック」を用いた作品がそれだけで本格ミステリかというと、そうではない、ということは誰でもわかるとおもう。語りのトリック自体は単なるテクニックだから、純文学だろうとSFだろうとファンタジーだろうとホラーだろうと何にでも利用することができる(実際に作例もある)。「謎と論理的な謎解き」があり、読者の誤導をサポートするテクニックとしてこうした語りのトリックが使用される時、その作品は本格ミステリというジャンルに分類される。つまりある小説にジャンル的分類を適用しようとする場合、語りのトリックが使用されているか否かは無関係なのだ。

 よく、「叙述トリックは使っていることが分かるだけでネタバレ」などといわれる。それはなぜか。

「〇〇は密室トリックを使った長編で……」と言及しても、それだけではネタバレではない。それは「密室トリック」という言い方は、「謎」に対する呼称だからだ。一歩進んで、「〇〇で密室トリックを構成するのは一人二役トリックで……」などといえば、それは「ネタバレ」である。すなわち、同じく「〜トリック」と呼称するにしても、「トリック」という用語で呼ばれる意味内容にはズレがある。「密室トリック」「アリバイトリック」というような言い方は、作中の不可能現象=「謎」に対する呼称であるが、「叙述トリック」「一人二役トリック」などは作中の謎解き=「ネタ」を指すからだ。とりわけ「叙述トリック」は、謎を謎と悟られないことで成立する類いのネタ=サプライズである(それはおそらく先述の階層差にも由来する)。

叙述トリック」に関する議論は、現状、思春期男子の性知識のようなものだ……それは、確実にそこにあり、喧伝されている。集める興味も大きい。にもかかわらず、その内実を大っぴらに語ることはタブーであり、誰もが「ネタバレ」を避けてひそひそ声で囁きあう。そのことによって、歴史的伝言ゲームが不明瞭なものになっているのではないかと、私は思う。「目的から手段へ」(我孫子武丸「手段としての叙述トリック」/日本推理作家協会編『ミステリーの書き方』幻冬舎、2010 )という表現はつまりこうしたテクニックが実験室での技術開発競争から一般応用化へと拡散してゆくタームに既に入って久しいということで、私としてはその転換点をキチッと抑えておきたいと思っているのだが、……。

 以上書いてきたことはすべて、未だ思いつきの域を出ず、自前の用語をいくつも捏造したために、お読みになる方の理解に負担を強いている部分も大きいかと思う。今後、細部をより見ていきたいと考えております。