立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

『ハイネ散文作品集』(松籟社)

『立ち読み会会報誌』第二号は『ハサミ男』『美濃牛』『黒い仏』の「参考・引用文献特集」の予定ですが、文フリまで全然時間がないことが判明したので、とりあえず「こういう感じで書いてます」というサンプルと草稿代わりを兼ねて、取り急ぎまとめたものをこれからいくつかここに載せていくことにします。

『ハイネ散文作品集』(松籟社)→全六巻。引用部は煙草を煮詰めたニコチンを飲んだ後に目覚めるシーン(「13」)。

ハインリヒ・ハイネは、雲の上に天国があるのなら、どうして金貨とか宝石が降ってこないのか、降るのは雨だけじゃないか、天国は水っぽいのか、と書いてるね」と、医師が言った。ハイネの名前くらいは、わたしでも知っているが、ロマンティックな詩人という印象しかなかった。医師の言うような皮肉な台詞を吐くだろうか。これも噓かもしれない。真偽のわからない引用をひけらかすのは、医師の悪い癖だった。

 ハインリヒ・ハイネ(一七九七‐一八五六)はドイツ出身のユダヤ系の詩人。原文はおそらく、第五巻「シェイクスピア論と小品集」所収の「箴言と断章」と題された短文集より。

人は、私が宗教をもたない、と言って非難した。そうではない、私はそのすべてをもっている、私はブラーマが……等々と信じている。/私がけっして天国を重んじてこなかったことは、本当であり、それもきわめて重要な理由がある。草地に仰向けに寝転び、そうして天国の豪華絢爛を思うとき、たびたび私は考えるのだ、いったいどうしてほんの一カケラも素晴らしい物が落ちてこないのだろう、たとえば時計の金バンドとか、ケーキなどなど――代わりに落ちてくるのは水ばかり――水っぽい天国――〔一八二六年〕

 ハイネは森鷗外上田敏、片山敏彦などの訳で日本でも知られている。「わたし」がいう「ロマンティックな詩人」という印象は、たとえばポピュラーな新潮文庫版『ハイネ詩集』の惹句(「祖国を愛しながら亡命先のパリに客死した薄幸の詩人ハイネ。甘美な歌に放浪者の苦渋がこめられて独特の調ベを奏でる珠玉の詩集」)などを読むとそのように受け止められるかもしれないが、上記『散文作品集』に収められた批評やジャーナルを読むと、相当舌鋒鋭くシニカルで喧嘩っ早い人です(ヘーゲルの弟子で、マルクスエンゲルスとも親交があった)。

 ハイネの立ち位置はよくよく見るといかにもセンセー好みというか、けっこう複雑だ。まず、ユダヤ人というアイデンティティがあり、かつ、ドイツ的なもの/フランス的なもの/イギリス的なもの、の狭間で彼は書いている。

 時はフランス革命直後の時代。反動的なドイツ政府にハイネは批判的で、何度か検閲や発禁処分を受ける。身の危険を感じてフランスに亡命するが、そこではスタール夫人の『ドイツ論』が流行。そこでハイネはジャーナリズムの求めに応じて「あーた達は本当のドイツというものをわかってないッ!」と啖呵を切って「ロマン派」や「ドイツの宗教と哲学の歴史」などのドイツ論をフランス人向けに書く(ルートヴィヒ・ティークなんかは結構ケチョンケチョンです)。一八四八年からは脊椎の病で寝たきりになりながら旺盛な執筆活動をしたというから、そのあたり、医師は正岡子規と重ねて捉えていたのかもしれない。
 ちなみにハイネにも「ファウスト博士」(一八五一)という舞踏詩がある(邦訳は内垣啓一訳、『ドイツの文学』第二巻「ハイネ」所収、三修社、一九六六)。学生時代の友人には「ゲーテと張り合うつもりなんかじゃないんだ。誰もがファウストのような作品を書くべきなんだよ」と語っていたそうです(一條正雄「ファウスト最後のモノローグにおける「瞬間」について」、「岐阜大学教養部報告」23号)。

 このあたりに、『ハサミ男』におけるファウストの主題、というのを感じますねー。

 

シェイクスピア論と小品集 (ハイネ散文作品集)

シェイクスピア論と小品集 (ハイネ散文作品集)