立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

加藤典洋『完本 太宰と井伏』

 

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 この著は文芸評論だが、太宰治の死の謎をめぐる一種の文学ミステリといってよく、興味ふかく読んだ。
 本の存在自体はずいぶん前から知っていたが、題材自体はありふれているように感じられ(タイトルも地味だ)、しかしそんな先入観は読み始めてすぐ、木っ端微塵に吹き飛んだ。「こんな本であると知っていたなら、もっと以前に読みたかった……」とも思うが、しかし今でよかったのかもしれない。これはいわばミステリの「解決編」であり、「問題編」である太宰治井伏鱒二の関係について色々知らなければ、腑に落ちる具合はもっと浅いものになっていただろう。加えて、その他の加藤本を読んでいなければ、ボリュームに比しての奥行きを感じることはたぶん、なかった。

 

2

 冒頭は『人間失格』再読。著者(加藤)はそれまで、太宰の死に関して、世間的な通念、つまり、「太宰は本当はそれほど死ぬつもりはなかったが、たまたま心中が成功し、死んでしまった」くらいにしか思わず、深く考えずにすませてきた。しかし『人間失格』を読むと、いかにも「最後の書」というにふさわしく、こんなものを書いた人間がそう長生きして作品を量産できるはずがない。また人物設定に関する違和感、猪瀬直樹ピカレスク』(および川崎和啓「師弟の訣れ」)に教えられたことなどからも合わせ考え、太宰の生涯の検討が始まる。
 太宰の作家としてのキャリアは、四度目の心中未遂(1937年)と五度目の心中(1948年)のあいだで、切れている。その間、作家として「復活」し、安定し、1947年半ばくらいまで充実期にあった。ところがそこから「暴走」が始まり、半年ほどで死に至る。作家としてのキャリアが短いぶん、太宰は常に奔放な生活を送っていたものだと(私も)思い込んでいたが、よくよく見ると「断絶」がある。「復活」の原因はなんであり、また再び「暴走」する原因はなんだったのか。……これが主な「謎」ということになる。
 太宰の生涯と作品を検討する鍵として、「後ろめたさ」が召喚される。太宰は金持ちの家に生まれたことが後ろめかった。これが若年期の「暴走」を読み解く鍵となる。そして生家が没落することでようやくその「後ろめたさ」は消える。しかし若年期の「暴走」はすでに、また別の「後ろめたさ」(一緒になった女性の死など)を引き起こしていた。この「後ろめたさ」につきまとわれることが、一方では創作の、一方では「暴走」の動因となる。
 このように、本書の主役は太宰であり、井伏はいわば脇役。しかも論点は「太宰の死」の一点に集約されるから、二人の作品をじっくり読み比べる、というようなものではない。しかし実はこの「謎」の設定にこそ、著者の他の文芸評論に、戦後論に、通じる核がある(だからこそ、類書が多いと思われるテーマについてあえて書いたはずだ)。

 

3

 私が加藤本を初めて読んだのはこの十年ほどのことなので、デビュー以来の評価については詳しく知らないし、他の読者がどう考えているのかよくわからないのだが(悪評のほうは多少知っているが)、「後ろめたさ」は太宰にかぎらず、文学にせよ、思想にせよ、「戦後」を論じるうえで、加藤が核とした概念だと、私はおもう。この「後ろめたさ」には幅があって、そこがおそらく加藤の論のわかりにくいところでもある。「後ろめたさ」を含むより広い意味のキーワードとして、「弱さ」がある。自分の〈弱さ〉を認め、〈肯定〉すること。ものすごく大雑把にいえば、この倫理にすべてが賭けられている。しかし単に「自分の〈弱さ〉を認め、〈肯定〉すること」とえいえば、実に他愛なく、ギマン的にも映るかもしれないが、そう簡単ではない。「自分の〈弱さ〉を認め、〈肯定〉すること」は、ふつうの人間には不可能、というか、日常生活をぶち壊すほど激烈な感情をもたらす行為であるから。
「後ろめたさ」とは、かいつまんでいえば、ある「悪い行ない」のおかげで自分は生きている、という「罪」の意識のことだとしてみよう。その「罪」の上に自分の生活がある。ふだんはそれを忘れて生きていられる。「忘れて生きていられる」というのは、「弱さ」である。だから他者からその「弱さ」を指摘されるとツラい。「暴走」してしまうほどにツラい。
 これは数年前、講演だったかで聞いた話だと思うが、そこで加藤はいわゆる「トロッコ問題」ブームを批判していた(うろ覚えなので話半分でお聞きください)。「トロッコ問題」は思考実験だから、「正解」はない。こうすればオールOK、なんの後腐れもない、という選択肢はない(もちろん、実際には「正解」がありうる、つまり問題が「ニセのトロッコ問題」である場合もあり、それについては解決の努力が極限までなされるべきであろう)。そして人間は時に「トロッコ問題」的な状況に巻き込まれることがある。その時、行動の主体となった人間は、事件から生き延びたあと、「後ろめたさ」に苛まれるだろう。それは他人からいかに倫理的に「その行為は許される」と判断されようと、本人にその「後ろめたさ」はどうしようもない。これを「許される」=「後ろめたさを抱えなくともよい」とする学があるとすれば、それはウソだ。どうしようもない「後ろめたさ」を抱え続けたまま、どうすれば生きてゆくことができるのか。それを考えるのは文学の仕事だろう、云々(つまり文学に「正解」=「後ろめたさを抱えなくともよい」という選択肢はない)。
 先に「罪」と書いたが、これは個人が主体として感じるもので、客観的には「悪い行ない」と判断されない場合もある。たとえば極限状況から生還した人(客観的に見れば被害者)が、死者に対し、「なぜあの人は死んだのに、自分は生き延びたのか……」という罪責感を覚えるということがある。これに対し「それは脳のエラーだ」とか「あなたは悪くない」などと単純に言っても、本人の「後ろめたさ」はどうしようもない。しかし「どうしようもない」とばかり言ってもいられない。この「後ろめたさ」をポジティヴに転換するには、もっと入り組んだ理路が必要になるだろう。
 私は十年ほど前、さしたる理由はないが「後ろめたさ」というものに捉えられ、これを解消する術がわからず、坂口安吾の「文学のふるさと」を読んで、あれこれと考え、ひとまず得心したことがあった。「モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります」という文言は、今でもよくわからないが、私はこれを次のように読み替えた。つまり、「救いがない」。だから苦しい。だから「救い」を求める。しかし結局「救い」はない。しかし「『救いがない』から『救い』を求めるものの『救いはない』から『救い』を求め続ける」ということ自体が「救い」になる、ということがある。「後ろめたさ」についていえば、「後ろめたくて苦しい」という考えから出発して、その苦しさを解消しようとする行為が何か多少なりともプラス(たとえば「文学」)になりうる、ということがある。もちろんそのプラスは「苦しさの解消」という理想の残骸でしかないのだが、しかし「理想の達成」は時に個別的なものである一方で、「理想の残骸」のほうがより普遍的に他人に届きうる、ということがある(そして時に、「理想の残骸」を求めて「悪い行ない」を為す、という転倒した考えを持つ人物もいる)。「解消しよう」と行為しているあいだは、おそらく「後ろめたさ」を本質的には忘れているかもしれない。それは「弱さ」である。しかしそういう「弱さ」があっても良い、というか、あったほうが良いのではないか。
 こういう考えは全然論理的ではないし、人を納得させもしないだろう。だから私はもっと丁寧に説明するべきだと思うが、今はとりあえず置いておく。

 

4

 この「後ろめたさ」というのは、同じ体験をして誰もが全員感じるというものではない。たとえば太宰(津島修治)と同じような環境に生まれたものの、太宰のようには感じなかった、という人物のほうがほとんどだろう。しかし加藤の考えによれば、太宰はこの「後ろめたさ」が呼びかける「声」に敏感だった(本書によれば三島由紀夫も)。「後ろめたさ」に敏感だからこそ、「暴走」し、さらに「悪い行ない」を重ねてしまう。そして「後ろめたさ」の底で、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」(「ヴィヨンの妻」)という一種の「開き直り」にぶつかると、復活する。この「後ろめたさ」と「開き直り」のバランスが取れると、作家として充実期に入る。単純に、「後ろめたさ」だけでも、「開き直り」だけでも、ダメ。両方を抱えていなければ、ダメなのだ(特に最初から「開き直り」一辺倒だと最悪だ)。「後ろめたさ」から出発し、「開き直り」にぶつかり、その両方を抱え続けるということ、おそらくそれが、加藤にとっての文学の条件なのではないかとおもう。
 これは、翻っていえば、加藤じしんも「後ろめたさ」に敏感、ないし、敏感であろうとした、ということではないかとおもう。
 たとえば、今年出た『村上春樹の世界』(講談社文芸文庫、2020)という文庫オリジナルの論集に、村上春樹の短篇「ニューヨーク炭鉱の悲劇」の読解がある(『村上春樹は、むずかしい』岩波新書、2016という本でも同様の主旨の記述を読んだ)。一見つながりのない三つの断片でできたその短篇に、加藤は、同じく全共闘世代の村上の、若くして死んだ者たちへの哀悼の念を読み取る。村上も、加藤も、ストレートには、その「哀悼の念」を、いわない。しかし『太宰と井伏』や『村上春樹の世界』といった講談社文芸文庫の巻末に付されている年譜を見ると、何か学生時代に大きく考えを変更させられる体験があり、鬱屈した時代を経て、表現者として表舞台に出た、としか思えない。浅薄な推察を重ねれば、それは、「同じような体験をして、死んだ同級生もいたが、自分は生き残った」という「後ろめたさ」だったかもしれない。そしてその「後ろめたさ」が、「戦後論」につながったかもしれない。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」の読解から、私はどうも、そういう感じを持つ。
 村上春樹についていえば、私は、ある事情もあって、その作品がよくわからない。「村上春樹の作品の背景には〈後ろめたさ〉がある」と整理しても(これはどちらかというと私の整理ですが)、グッと腑に落ちる感じがしない。「そうはいっても、なんかこう、肝心なところでいけすかないんだよな……」という感じがする。
 余談を重ねれば、2009年に「群像」で戦後文学回顧の対談(奥泉光高橋源一郎)があった。それは「戦後文学がいま、太宰から村上春樹ぐらいまでゴソッと忘れられている」という編集部からの指摘を出発点とするもので、その後同企画からは十年近くかかって佐藤友哉『1000年後に生き残るための青春小説講座』(2013)、奥泉光講談社文芸文庫編『戦後文学を読む』(2016)、高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』(2018)という三冊が生まれた。私はこのことについて、2009年に座談会を読んで以来、これまで考え続けてきたのだが、いま乱暴に考えると、「戦後文学」の動因の一つに、「後ろめたさ」の共有(作者と読者の間の、意識的・無意識的な)があり、それが消えてしまったから、「戦後文学がいま、ゴソッと忘れられている」ということになったのではないかと思う。「後ろめたさ」とは、いわば「戦前から1970年代くらいまでの世代的な暴力の(振るった・受けた)記憶」であり、高橋源一郎奥泉光には(特に初期の作中にそれがあらわれているように)、共有されている感覚があるのだが、二人と佐藤友哉との間には、質的な違いというか、断絶を感じる。このように考えてくれば、加藤の「戦後(文学)論」とは、是非はどうあれ、「戦後日本」を「追悼の時空間」と捉え、「『後ろめたさ』が消えようとしている中で、それをどのように抱えた続けたままプラスに転じることができるのか」という問題意識だったのではないかとおもうが、そこからさらに四半世紀を経た現在、「後ろめたさ」は、ほぼ、消えた。今の純文学を「戦後文学」とは呼べないだろう。
 閑話休題。加藤は太宰と三島を「後ろめたさ」の声に敏感な作家だったと捉えている。この「後ろめたさ」(太宰の場合は棄てた・見殺した女性、特攻で死んだ若い友人など)に素裸で向き合うなら、とてもマトモな日常生活など送れない。だから、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」という「開き直り」にぶつかり、バランスが取れているうちはいいのだが、「後ろめたさ」に傾くと暴走し、自死へと至ってしまう。その対象的な生き方として代表されるのが、タイトルにも表れている井伏鱒二で、有名な「井伏さんは悪人です」という太宰の遺言の読解を要約すれば、「井伏は『開き直り』に傾いている」ということになるとおもうが、加藤は太宰(後ろめたさ)と井伏(開き直り)、どちらの態度も否定しない。もちろん長生きしたぶん、最終的には井伏的な態度のほうをとるのだが、それは、井伏の中にも、太宰的なものがあったからだ(「後ろめたさ」抜きの「開き直り」だけで「文学」はできない)。「後ろめたさ」の声を聞くとは、「オレは死者を忘れないゾ」という追悼に代表される行為であるが、それは一面、デモーニッシュな行為に傾く危険性にも開かれていなければならない。つまり、それは単に安全な立場から「追悼してまーす」と口に出せば済むようなものではない。「仮にいま、死者が本当に蘇ったとしたら、オマエはその死者を本気で迎え入れることができるか」という、どちらかといえばドストエフスキー的な、かなりヤバイ「危険」のことであり、その「危険」を殺せば、「文学」もまた、死ぬ。『太宰と井伏』が考えようとしたのは、おそらくそのギリギリの地点であり、だから「ふたつの戦後」なのだろう。こういう話は、何も感じない人にとっては、本当に何も感じない、というか胡散臭い話だろうと思う(そして実は、私もその立場・感覚についてわからなくはない)。それがおそらく、著者の「わかりにくい」といわれる一方で、熱心な読者がいる部分ではないかとおもう。

 

5

 本書のいわば「文学的推理」は、太宰と井伏に直接証言がないぶん、年譜的事実と他のテクストから推測した「状況証拠」によるものであり、(ウーン、ホントかな)(ちょっとここは端折ってるな)と感じる部分もないではない。あくまでも加藤の関心に引き付けた読みではあるのだが、しかし私は動かされた。
 それはたぶん、本書が生前最後の著(文庫だが)となったことも関係しているだろう。『人間失格』は太宰の最後の作品の一つだが、『完本 太宰と井伏』はそのあとがきと年譜で、著者がかなり重い病の状態であると明らかにしたことでも目を引いた(実際、刊行から一週間もしないうちに亡くなった)。『人間失格』は主人公・大庭葉蔵の手記について、年上の小説家の「私」がコメントをつけるというかたちになっているが、『完本 太宰と井伏』は年下の評論家の與那覇潤の長い解説が付されている(つまり、「本文」と「解説」の書き手の関係が逆になっている。ついでにいえば、『人間失格』の脱稿日と本書の公式発行日が同じ5月12日で、ボリュームがともに同じく約200枚というのも、なんだか狙ったように暗示的だ)。その與那覇の「解説」に気になる記述がある。この文庫版には2013年の講演草稿「太宰治、底板にふれる――『太宰と井伏』再説」が増補されているのだが、それは本文とほぼ同じことを言っている、というのだ。実際、読んでみると、私も同じ感想をもった。
 その講演で加藤は、「太宰と井伏」の繰り返しになる部分があるが、として、太宰「姥捨」の読解に力点を置こうとしている。「底板にふれる」によれば、「太宰と井伏」初出時(「群像」2006年11月号)にはこの「姥捨」についての読解はなく、単行本で加えた。「太宰と井伏」を読むと、この「姥捨」についての読解は、ほとんど欠かせないものではないかと、感じる。ところが、単行本時点でも、加藤は「姥捨」読解をそれほど重視していなかったという。それが2013年、息子を亡くし、失意の中でも太宰についての講演を断れず、旧著を読み直すなかで、「姥捨」の読解がやはり重要だと思い、講演のなかでくりかえすことにした。「太宰と井伏」とは同じ素材を用いながら、違う調理の仕方をし、自分の太宰論について別の領域をひらくものかもしれない。とまでいう。しかし、にもかかわらず、やはり私には、この講演草稿は「太宰と井伏」と同じことをくりかえしている、としかおもえない。それくらい、「太宰と井伏」の論旨からいって、「姥捨」は重要な存在として登場する。だが、本人の見え方は、おそらく異なっていたのだろう。それがフシギだ。が、私はそのフシギさを大事にしたい。とおもった。

完本 太宰と井伏 ふたつの戦後 (講談社文芸文庫)

完本 太宰と井伏 ふたつの戦後 (講談社文芸文庫)

  • 作者:加藤 典洋
  • 発売日: 2019/05/12
  • メディア: 文庫