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襤褸は着ててもロックンロール

藍川陸里さんの『探偵はその手を汚さない』(アミラーゼ、2017。私家版)を読みました。

これは北大推理小説研究会所属の方(来年卒業だとか)が今年書かれた(そして11月23日の文学フリマで頒布された)、黒岩涙香以来現在までの日本のミステリの歴史をたどった22万字におよぶ通史・長篇評論とのことで、ジャンルの成立、本格・変格論争から「大衆文学」という用語の来歴、東日本大震災以降の最近の作品まで、話題は多岐にわたります。

最初にその構想をウェブ上で拝見した時、私は、

(凄いな!)

と感嘆しました。もちろんご存知のとおり、ミステリ読者の世界には、年季の入った、というか、一生を賭すほどに詳しい方々がたくさんいらっしゃって、臆病者で不勉強な私などは、そのような射程をもつ論の構想をもし自分ならと考えるだに、トテモtotemo……と尻込みしたくなってしまうからです。実際、ある方面では微に入り細を穿った著作をものし喝采を浴びたプロの文学研究者の方でも、いざご自身の専門を飛び出して幅広い歴史的視野でのミステリに関するものを手がけると、あちこちから矢が飛んできて火達磨となる……そうした情景を目にしてきました。

そこでこの本です。

いつの間にかつまらない先入観に凝り固まってしまっていた私は、

(若者がこんな本を書いていいんだ!)

と衝撃を受けました。それは私の常識を変え、ある一つの勇気を、確かに与えてくれたのです。こんなことは久しくありませんでした。

藍川さん、ありがとうございました。

さて、以上は大雑把な感想です。以下では、私見というほどのものではございませんが、本の作りについて誰でも気のつくような、瑣末なことを、行きがかり上、あえて多少申し述べたいと思います。

 

【編集面で】

◯まず、あまりにもテーマが多岐にわたるため、用語の使い方がところどころ甘くなってしまっているかと思います。こうした評論のばあい、ふだんわれわれが何気なく用いてしまっている用語の解像度を上げて、時間的空間的なスケールでもって再考を促す、ということが主眼の一つですから、キーとなるワードに関しては、

 起源(内容の元祖)

 語源(用語の元祖)

 定義(その普遍化・定式化)

 あてはまる作品群の空間的ボリューム(ある時点において多数派か少数派か、など)

 あてはまる作品群の時間的ボリューム(いつからいつまで通用するのか、すでに衰退したのか拡散したのか、など)

をいちいち注意深く設定していきます。この起点の設定は、評論文の生命ともいえるため、開巻から

〈(まえがき)ミステリを目にする機会が増えています。〉

〈(第一章のまとめ)ミステリは幻想文学作家のエドガー・アラン・ポーにより打ち立てられたジャンルであり〉

というような文章に出くわすと、

(いつに比べてミステリを目にする機会が増えているのだろう?)

だとか、

〈「幻想文学」というジャンルは何だろう?筆者はソフォクレスディケンズバルザックやユージェーヌ・シューやについてどう考えているのだろう?〉

といった疑問を感じる読者もいらっしゃるかもしれません。そのため、「いや、わかっちゃいるけれど、議論の煩雑さを縮減するためにあえてここではこのような立場をとっているんですよ」というエクスキューズのチラ見せがあると尚良いかと思いました。

◯第二章「本格から変格へ」は前半が乱歩の登場、後半が「大衆文学」というジャンル的区分における「時代小説」と「探偵小説」の変遷の話に分離している、というか、二つのテーマが一つの章になっているため、他の章より二倍の長さになってしまっています(他の章は10〜20ページで、ここだけ50ページ近くあります)。ここはテーマを区切ることができる以上、二つの章に区切った方がスッキリするかと思いました。*1

◯一冊としてのスペース上言及できない作家についても、いちおうエクスキューズを述べておく必要があるかと思いました。たとえば本書中盤で詳しく述べられる「大衆文学」という用語は、この本にとって最重要キーワードの一つです。この用語において、「時代小説」と「探偵小説」という当時における二大区分が問題にされますが、となると、たとえばその両ジャンルにまたがって活躍した、山田風太郎柴田錬三郎笹沢左保都筑道夫といった、当時のメジャー作家かつ今でも作品の入手可能な人物について、いっさいあるいはほとんど言及がないと、アンバランスに見えてしまいかねない危惧があります。

◯もう一つ、「文学」と「ミステリ」という対立軸も重要なものとして登場します。そこで横光利一「純粋小説論」(1935)が何度か紹介され、例の有名な〈もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない〉という冒頭の言葉が、ピュア・リテラチャーとエンターテインメントの融合を目指す宣言として引用されます(全文は青空文庫で読めます)。が、この「純粋小説論」は、少し複雑な組み立てになっています。というのは、この宣言文は、横光自身によるそうした〈純文学にして通俗小説=純粋小説〉の実践としての『家族会議』(1935)とほぼ同時期に出されたもの、つまりマニフェストかつ自作宣伝的性格を帯びている文章だからです。ではその『家族会議』(もちろん現在の話題と知名度の点では「純粋小説論」の方が断然上ですが)以後はどうだったのか、に触れずに、同じ流れで横光作中現在最も人気のある『機械』(1930)を出すとなると、年代的にいってもチト苦しくなってきます(実際、横光の考えでは来るべき「純粋小説」とは長篇の分量をもつものであり――〈短篇小説では、純粋小説は書けぬということだ(……)私は、自分の試みた作品、上海、寝園、紋章、時計、花花、盛装、天使、これらの長篇制作に関するノートを書きつけたような結果になったが〉という言葉も同文中にあります――が、『機械』は短篇です。さらに加えて欲をいえば「純粋小説論」の冒頭は、単にシリアス対エンターテインメントの図式を描いたものでなく、〈今の文学の種類には、純文学と、芸術文学と、純粋小説と大衆文学と、通俗小説と、およそ五つの概念が巴となって乱れている〉という状況に言及されていた点にも触れていただければ、本書でのちにいう「文学対ミステリ」という図式も今少しスッキリするかと思いました)。

あと、見立てとして乱歩から清張へという線が主軸となるのですが、となると、このあたりはオモシロイ逸話が沢山あるので(編集長乱歩が依頼して『宝石』に『ゼロの焦点』が連載された話だとか、中央公論社の全集「日本の文学」事件だとか)、これも欲を言えばそのあたりにもサラリと触れていただくと尚オモシロイかと思いました。

◯第九章「京極夏彦以後」のあと、第十章〜第十三章は、より現在に近い作品を扱っていく章ですが、少なくとも、あるていど予備知識のある読者でないと、ここはさすがに危ういかと思いました。というのは、同時代を説明する仮説として見立てられた比較的新しい用語が生煮えのまま記述されてしまっているからです。すなわち、それまでの章では、「本格・変格」とは何か、「大衆文学」とは何か、あるいは「アンチ・ミステリ」とは、「新本格」とは、といった解説が、複数の見方・複数の実作者の紹介を通じて描かれていったのですが、この最近に近い章では、たとえば「動物化」(東浩紀)、「フラット化」(トーマス・フリードマン)といった若い用語が、歴史的な相克の薄い状態で紹介されています。確かにそれらのキーワードはジャーナリズム的に話題になりましたが、

 こうしたキーワードによるアングルは妥当か?

 そしてこれらのキーワードはどのようにミステリ小説についてあてはまるのか?

といった論述の手続きが、他の章と比べると弱くなってしまっているように思います(より細かなことでいえば、それまでは自身の言葉で咀嚼し述べられていた作品紹介に、〈世界を容赦なく切り裂くメフィスト賞受賞作!〉(p178 佐藤裕也〔「裕也」ママ〕『フリッカー式』)といった宣伝文からのコピペが以降いくつか紛れこんでしまっています)。

 

【校正面で】

◯あるていどの誤字脱字は仕方ないと思うのですが、「カルロ・ギンズガルグ」「X橋附近」「佐藤裕也」などは何度か登場するので、気になってしまいました。

◯これが単なる誤字脱字でなく、事実認識にまでおよぶと、なかなか厄介です(これもあるていどは仕方ないのですが)。たとえば、

 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』について〈p139 重要なのはこの作品が書かれた一九八二年という時代であり、(……)八〇年代当時はバブルの時代であり〉(→バブルは正確には1980年代後半~90年代初頭にあたるため、1982年はバブル前という感じがします)

 清涼院流水の作品について〈p181 読む順番を読者に選ばせ、その順番によって物語が変化する『Wドライヴ院』や、それをさらに複雑にした『19ボックス』が書かれました〉(→正確には、『Wドライヴ院』〔講談社文庫、2001〕は親本『19ボックス』〔講談社ノベルス、1997〕の四篇中二篇だけを再構成したものなので、時系列が逆になってしまっています)

 法月綸太郎「初期クイーン論」について〈p188 ゲーデルの不完全定理とは「①いかなる公理体系も、無矛盾である限りその中に決定不可能な命題を残さざるを得ない。②いかなる公理体系も、自己の無矛盾性をその内部で証明することはできない。」というものですが〉(→これも現状よくある誤解を招く書き方になってしまっています)

 中上健次について〈p198 中上健次はある種純文学の王道である被差別部落を扱った作品を描き〉(→こうした「王道」という単語の使い方は大変危険です)

などなどは、「あとがき」中の〈既に十分なミステリ愛をお持ちの方は「この解釈は間違っている」などと否定的に感じられた方もいらっしゃるかと思います。そして、そのご意見はある意味で正しいのだろうとも思います。しかし、その誤った解釈、若造の突飛な考えもまた楽しめるのもミステリのひとつの醍醐味なのではないでしょうか〉で仰られるところの、「楽しみ」「醍醐味」というよりも、気がついてしまうと、とりあえず我慢して読み進める、という感じになってしまうかと思います。

◯カッコで半角が使用されていますが、これは全角の方が読みやすくなります(日本語文の実際の商業印刷物では全角を用います)。たとえば、

 丸カッコ ( )→( )

 山谷カッコ < >→〈 〉

(詳しくはこちら)

◯ルビが丸カッコ内にそのままになっている箇所があります。これは付すかナシにするとより読みやすくなると思います。*2

◯データ制作環境は存じ上げないのですが、本文の左端がなぜか一行少ない箇所が多数あります。すなわち52字×25行が、24行になっている箇所があります。*3*4文章が抜け落ちているということはないので、内容的には問題ないのですが……。*5

◯全体的に、中見出しが太字になっているものとなっていないものがありました。具体的には……と途中まで数えましたが、中見出しと小見出しの区別がつけづらいため、止めました。見出しと本文の表記関係を整理されると、より読みやすくなるかと思います。

◯巻末参考文献は、著者名、タイトル(論文なら収録書も)、版元、刊行年を明記すると良いかと思います。 *6

◯引用箇所を区分する際、三字下げ+枠囲み+鍵カッコ囲みでわけられていますが、これは過剰な感じがあるため、どれか一つで良いのではないかと思います(フォントやサイズを変える方もいますが、オススメは字下げです)。*7

◯要点整理の記号で、◆(ダイヤ)や・(ナカグロ)が混在しています。ナカグロだと画像のように、カタカナ表記で「・オーギュスト・デュパン」などとなってしまうため、避けた方が無難かもしれません。*8*9

 

以上、たいへん簡単ではありますが、 瑣末な(しかし大事な)ことを申しました。

現在、下記のリンク先で販売されていらっしゃいます。

https://rikuriaikawa.booth.pm/items/615142
https://jp.surveymonkey.com/r/XZ99QWB

【目次】

日本のミステリを読み解くためのキーワード

第一章 イントロダクション――ミステリ前史と西洋探偵小説の誕生

第二章 本格から変格へ――江戸川乱歩と日本のミステリの特殊性・探偵小説と時代小説の交点

第三章 戦後の本格ミステリ――横溝正史坂口安吾らの本格ミステリの特質

第四章 戦後文学としてのミステリ――戦争と詩作と探偵小説との関係性

第五章 松本清張の登場――社会派ミステリの影響力

第六章 純文学とミステリ――横光利一「純粋小説論」と松本清張評価

第七章 アンチ・ミステリの系譜――ミステリの形式化とメタミステリへの志向性

第八章 新本格以降の展開――島田荘司以降の本格ミステリ

第九章 京極夏彦以後――京極・麻耶・メフィスト賞の特質

第十章 本格形式の臨界点――後期クイーン的問題とその周辺

第十一章 フラット化するミステリ――オタク文化・SF的設定・特殊ルール

第十二章 村上春樹とハードボイルド――日本のハードボイルド受容の特殊性

第十三章 総括――東日本大震災以降のミステリ

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個人的にいちばん気になったのは、文章や単語の重複で、おそらくうまく推敲すれば、文章のボリュームの20%は削減できるのではないかと思います。しかしそうしたことは、実際に長い文章を書いてみないとわかりません。だから、こうした本が執筆されたことは、やっぱり、良いことなのです。

たった一人でもこれだけの領域と資料博捜をオーケストレーションできるのだということがわかり、来年に向かって生きる気力をいただいたような気がしています。

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*5:具体的には、31-32, 37, 40, 46, 49-50, 52-55, 57-60, 62-64, 67, 69, 71, 75-78, 81-84, 91, 94-95, 97, 100, 102-106, 109, 114,-116, 122, 124-126, 130, 132, 140-147, 151, 153, 162, 165, 168-170, 178, 181, 185, 195, 204, 206, 208, 219, 221-222, 224, 226-227, 229-230, 237, 239ページの左端が欠けています。

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