昨年の文学フリマ東京40でリリースした『新・叙述トリック論集(サンプル・バージョン)』を改訂したpdfを無料公開しました。
https://anatataki.booth.pm/items/8562168
冊子版からは特に理論的な部分を大きく改訂しました。
当時お買い上げいただいた方には申し訳ありませんが……。
しかしこのペースでいくと、ホントに五冊分くらい作らないといけないかもしれないですね……。
よければご覧ください。
昨年の文学フリマ東京40でリリースした『新・叙述トリック論集(サンプル・バージョン)』を改訂したpdfを無料公開しました。
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冊子版からは特に理論的な部分を大きく改訂しました。
当時お買い上げいただいた方には申し訳ありませんが……。
しかしこのペースでいくと、ホントに五冊分くらい作らないといけないかもしれないですね……。
よければご覧ください。
分量・時間ともに長くなってしまったので、後は手短にいく。
3rdより。setlist.fmによれば、2002年以来久々に、このツアーのセットリストに組み込まれたとのこと。演奏曲が実質50曲くらいしかないグループがこれほど空けるというのは、ふだんどれだけ同じ曲ばかりやっているか、ということになるが……。
歪みのないしっとり系の曲で、ここでは暗い中客席じゅうにレーザーを流す演出だった。長さは5分に満たない。5th『Fear Inoculum』のモードなら、ここから爆発がくるところ。5th収録曲はいずれも10分超えで、2曲分の長さと展開を持っているといっていい。逆にいえば、『Fear Inoculum』曲の前半部だけを切り取ったような感も現在では受ける(実際、3rd、4thでは2曲セットで1曲、というものもある)。
2ndより。これも2002年以来らしい。代表曲の一つといっていいから、信じられないような気もするが……本当だろうか?
冒頭、ギターのアダム・ジョーンズがゆっくりと一音一音鳴らすたび、広い会場の隅々まで震えるほどの凄まじい歪み。アンプの力を感じた。こういう音圧はいくら音質の良いライブ盤でも味わえない。
4thより。「Lost Keys」という長めのイントロがフルでつく場合もあるが、この日は短め。様々なボーカルパターンと豊かな展開を持った、4thの代表的な長尺曲で、近年では毎回ほぼ演奏されるから、きっと聴けるだろうという安心感があった。中盤以降の永遠とも思えるようなうねりくりかえすギターパートが私は好きだ。
1stより。これも98年以来の演奏とのこと。珍しくブラストビートがある。80年代後半~90年代前半くらいまでのハードロック~スラッシュのやや陽な雰囲気がある。これくらい初期の曲ならもう楽々演奏できるのではないかという安定感もあったという(歌うのは大変そうだが……)。
5thより。一見、割とふつうに聴けるというか、あまり難解な印象は受けないのだが、実はリズムカウントが物凄く難しいので有名。私も公演後にいくつか動画を見て、ようやくなんとなく理解できた。
5thの曲は冒頭のFear Inoculum以来だが、スタジオ盤では終盤以外はアンビエントな印象だったこの曲を生で聴くことで、私は初めて5thの凄さを体感した(感想を見ると、そういう人は多いらしい)。4人がどのタイミングで、どういう動きをしているかを実際に理解することで、スタジオ盤がより立体的に迫ってくるようになったのだ。先にも書いたが、正直、この公演後は、1st、2ndの曲では物足りなくなってしまった。それどころか、これほどまでに作り込まれた作曲と実演を目指すなら、そりゃあ何年もかかるだろうな、とさえ思った。
4thより。メシュガー的リズムをTOOLなりに完全に消化したと思われる曲で、私はこれが一番好きだ。この曲については、できれば別項でとりあげたいと思う。近年のライブではほぼ毎回演奏しているから、人気があるんだと思う。
2ndより。ラッシュ的な変拍子を取り入れた曲。いろいろ逸話はあるが、これもほぼ毎回演奏されているのを見ると、やっぱり人気があるんだなあ。
ここで本篇が終わり、以降はいわゆる「アンコール」に入る。ステージ奥のスクリーンに「12:00」という数字が映り、カウントダウンしていく。
こういう方式の幕間は初めて見た。無駄に手拍子しなくていいし、時間を気にして休憩できるので、便利だ。さすが世界的なグループは違うなあと思った。
5thより。即興のインストで、一人だけステージに出てきたドラムのDannyが叩きながらデジタルパッドをいじり、電子音のシークエンスを次々と変化させていく。これもアンコール後の一曲目として近年ではおなじみらしい。スクリーンにDannyの顔が大映しになるので、64歳が超人的なテクニックとステージングで7分ほど一人奮闘する姿には圧倒された。
Black Sabathのカバー。この年5月に行われたOzzy Osbourne生前最後のイベントBack to the Beginningで初披露され(7月に死去)、以後このツアーでは毎回演奏されている。リリースも予定されているらしい。比較的忠実なカバーで、原曲と聴き比べるとどの部分を多少変えているのかがわかる。こういってはなんだけれど、まだ演奏期間があまり長くないからか、しっくりきていない印象を受けた。逆にいえば、これほどのベテランでも、そういうことがあるのだと思った。たとえばツェッペリンのカバー「No Quarter」(Salival所収)はもっと自分たち流に消化されていたように思う。スタジオ盤ではより化けるのだろうか。
5thより。これも「Pneuma」と同系統の曲展開だが、印象が変わった。なんというか、「4人がどの部分でどういうことをやっているか」という構造がより頭に入ってきた。おそらくそれまで、「スタジオ盤はしょせん作り込まれたもの」という考えが無意識のうちにあったのではないか。そうすると、ボーカルとバックトラックは別→バックトラックはいくらでも変容可能なもの、という意識になりがち。実際、バックトラックがライブを経てどんどん変容していくグループは多い。ところがToolの場合、作曲があまりにもがっちりと各パート組み込まれているためか、しばしば含まれる中盤のソロ風なパートを除けば変容可能な部分が少ない。つまりライブではスタジオ盤の再現に近くなる。するとどうなるか。10分以上の演奏というのは、綱渡りのようなものだ。それを観ることは、自分もそこに参加するような気持になる。複雑な箇所がうまく通過できるかを見守り、そしてそれは、本当にうまくいった! ……印象の変化を記せば、こういうことだろうか。
4thより。この曲のみ撮影OKのアナウンスがあった(これはインタビューでもそう答えていた)。冒頭曲としては3rdの「The Grudge」と同じく5拍を基調としながら、サビでは別の拍子も組み込むことでより自由度が高く躍動するような印象がある。近年の公演ではラストに配置されることが多く、曲としても貫禄がある。
そして二時間近い公演は終わった。最後、ステージにメンバーの家族が出てきた。他にも聴きたい曲は色々あった。「Schism」「Parabola」「Lateralus」「The Pot」「Right in two」「7empest」といった代表曲はせめて聴きたい。
そしてその余韻が数カ月、残っていた。3月頃、私はこのブログに記録を残そうと、英語記事を検索し始めた。次回では、その後知ったいくつかの動きについてメモすることにする。
先に、楽曲の長大化について触れた。
三枚目以降のプログレ化にともない、歌のない演奏部分が全体的に長くなった。
ボーカルのメイナードは楽器を担当していないので、他の三人(ギター、ベース、ドラム)が演奏し続けている間は、何もしないことになる。
いわば「手持ち無沙汰」になるわけで、この解消の仕方が、興味深かった。
その約一か月ほど前、マライア・キャリーが来日し、同じ会場で公演が行われた。(ちなみにいえばプロモーターも同じCREATIVE MANで、横浜・神戸会場の組み合わせもTOOLと同じ)
11月の半ば頃、近所の人がたまたまそのマライア・キャリーを観に行っていたことを知った。
私はKアリーナ横浜に行った経験を持つ人に初めて出会った。これは話を聞かない手はない。
「Kアリーナって実際どうでした?」
「あー、音よかったですよやっぱ。ただ、マライアが歌う時間は短かったですね。ダンサーとか、演出の時間のほうが長くて。実質、歌ってたの30分くらいですよ」
「30分!?」
「30分はいいすぎかもですけど。でも体感それぐらいで」
実際に体験した人ならわかると思うが、TOOLのライブにとってスクリーンはもう一つのパートといっていいくらい存在感がある。
ひたすらドラッギーでサイケデリックでグロテスクな映像がえんえん流れているインパクトはすごい。
そして異質なことに、スポットライトはボーカル以外の三人にのみ当たり、ボーカルはほとんどの場合、ドラマーの陰に隠れている。
つまり、「スクリーン映像の前景化」と「ボーカルの背景化」によって先のマライア・キャリーのような「歌わない時間」の違和感を解消していることになる。
楽曲の長大化と巨大スクリーンは、広い会場にこそマッチする。
アメリカではSphereという球体型の施設でも公演が計画されているらしく、実現したらどうなるのだろうと思う。
実はこの曲は長らく、その良さがわからなかった。
しかし去年のある時、(とりあえず5拍子で最初から最後までカウントをとってみよう)と思い実行したところ、急にばちーんと理解がやってきた。
(ついでに、「スパイ大作戦のテーマ」ってもしかして5拍子なのか?と気づき、確かめたら実際そうだったので、驚愕した。)
現在の眼で見ると、3rdの一曲目であるThe Grudgeはあらゆる意味で最もバランスのとれた、いかにもTOOLらしい曲に映る。
しかしリリース時、1st、2ndを経て初めてCDをかけこの曲に遭遇した人には、かなり異様に聞こえたのではないかと思う。
私も25年目にしてようやく聴き方がわかった。
聴き方がわかったのは、その前に2019年頃から、メシュガー(MESHUGGAH)を聴き込んでいたせいもあるだろう。
MESHUGGAHとTOOLは、ほぼ同世代の、リズム面で対極的な2大バンドだといえる。
簡単にいえば、MESHUGGAHはすべての楽曲のリズムを4/4に収めようという縛りがある(MESHUGGAHは変拍子でなく4/4拍子だ、という記述は現在、様々な人が語っているので、検索していただきたい)。
一方でTOOLは、もっと自由に変拍子を取り入れている(その意味ではたとえば、RUSH「Limelight」のような、いかにもプログレ的な戸惑いを受ける曲が多い)。
しかしたとえば、MESHUGGAHのように核となるマクロの拍子があり、それを変拍子でやるとどうなるか? というのが、この曲を作る際のチャレンジとしてあったのではないかと推測する(その意味で、様々な5拍のパターンを駆使しながら、完全にそれには収まりきらず、時折6拍が挟まれるのがズルいというか、惜しい気もする)。
The Grudgeといえば終盤のロングシャウト(スタジオ盤では30秒近い)が近年では短くなっている、というのが有名だが、やはりこの日も短かった。
しかしそんなことなど気にならないくらい、全体のテンションは高かった。
結論から書く。
この日の公演は、25年間の私のライブ体験の中で最高のものだった。
今後、これを超える公演体験の機会はあるだろうか。
私は、TOOLは世界最高のバンドだと確信した。
つまり、私は完全にTOOL信者になった。
あれから毎日、何かしらTOOLのアルバムを聴いている。
PLATINUM指定席の値段にびびったのは失敗だった。
この日、私の席は最後列だった。
最後列でも人生を変えられたのだ。
これが少しでも前のほうだったら、いったいどうなっていただろう。
なんとしても、もう一度観たい。
10万円くらいなら安いほうだ。
来日がないなら、自分から海外に行くしかない。
では、その当日のことを書く。
前日までに、近年のライブ映像は予習としていくつか観ていた。
しかしそのいずれもぴんとこなかった。
デビューEP『Opiate』には、迫力ある声のライブ音源が収録されている。
それと比較すると、ボーカルの衰え説は否定しようもないように思った。
その考えはある面では正しいが、ある面では誤りだった。
つまりバンドは、勝負どころをボーカルがどうのこうのとは別の面にとっくに移していた。
K-Arena Yokohamaの客席は、横に広かった。
私のいた席はレベル5と呼ばれる階で、最上階レベル7は客不在で閉められていた。
以下、セットリストに沿って一曲ずつの印象を書く。
Tool Concert Setlist at K-Arena Yokohama, Yokohama on December 11, 2025 | setlist.fm
今回観に行った多くの人が語っているのが、「ライブを経ると2019年のアルバム『Fear Inoculum』の聴こえ方が変わった」ということだ。
これは私も同感だ。
どういうことか。
音を聴きながら、曲のどの箇所で四人がどのような動き=働きをしているか、いちいち立体的に脳裏に浮かぶようになった。
『Fear Inoculum』はメタル感の強かった前作『10,000days』に比べ、激しい箇所は少なく(10数分のうち後半部)、マイルドでアンビエントな雰囲気が濃い。
だから批判も多い。
アルバムトータルでは当初「one giant song」にしたいという構想もあったという通り、(インタールードを除けば)一室でのスタジオライブをそのまま収録したような、よくいえば統一感のある、悪くいえばシンプルにすぎるトーンが他のアルバムとは異なる。
しかしそれは、アルバムのプロデュース方針によるものだったのだろう。
実演での『Fear Inoculum』収録曲は過去の曲と遜色ないどころか、真の意味でprogressive(前進的)に練り上げられた楽曲、すなわち最新=最高傑作であることを思い知らされた。
正直なところ、今では3rd『Lateralus』以降のモードの楽曲でないと物足りなくなってしまった。
表面的な激しさ、ポップさなどは本質ではない。
音楽家にとって重要なのは、空間と時間をどのように構成し直すかに他ならない。
2006年のアルバム発売時、解散説もあったというが、しなくてよかった。もし解散していたら、人類にとっての損失だった。
いいかげん当日のことを書く。
アルバム冒頭の表題曲「Fear Inoculum」は、「チュイーン」という謎の音で始まる。
スタジオ盤では一見(いや一聴)おとなしく聴こえるそれが、ビリビリ震えるほどの音圧で耳に迫ってくる。
25年前、14歳で初めてホールクラスのライブに行った際、私が驚いたのは、音とは振動であるという理科の知識でしかなかったそれが、物理として実感されたことだった。
このおとなしい「チュイーン」がビリビリくるほどなのだから、本編に入るといったいどれだけの音圧であったか、想像していただきたい。
舞台前方には、音と連動したシネマスクリーン並の巨大な映像が投写されている。
過去のアルバムアートワークでもおなじみの、不気味なイメージの連続だ。
「Fear Inoculum」のそれは、どういえばいいのか、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』終盤のカタストロフィックな色の奔流が、延々と続くようだ。
オーロラのように揺らめく、ベースの高音とギターの重々しいコード。
トライバルなリズムのドラム。
そこへ声が入ってくる。
あの何度も聴き慣れた歌が、体験したことのないかたちで再現される。
そして10分が過ぎる。
私は両手を握りしめて笑っていた。
興奮していた。
確信していた。
この公演は成功する。
それは、観客の誰もが感じていたことだと思う。
(続く)
もう三か月も前のことになるが来日したTOOLの公演を見に行った。
本当はすぐにその時のことをここに書こうと思ったのだが、あまりのインパクトのため、それを消化しきれず、こんにちに至ってしまった。
以下、そのことを書く。

TOOLは経歴・実力・売上などあらゆる面で世界的にトップクラスのバンドであり、カルト的にはまる信者も多いが、実は私はそれほどはまっていたわけではなかった。
最初に聴いたのは3作目の『Lateralus』(2001)がリアルタイムだったが、CDも一枚も持っていない。
しかし2019年に私がいちおう批評家として商業デビューしたということになっている「蘇部健一は何を隠しているのか?」という論考を書いた際、両者の試みを比較して「蘇部健一はミステリ界のTOOLである」(逆にいえば、TOOLは音楽界の蘇部健一である)という意味のことを末尾に記したことがあった。
であれば、この珍しい機会(単独では2007年以来、フェスを入れれば2013年以来)を逃す手はないのではないか?
と思い、申し込もうとしたら、チケット代にびびった。
https://www.creativeman.co.jp/artist/2025/12tool/
なにしろ、ピンキリで二倍以上の開きがある。
加えて、私はこれまでフェスを除けば最大で武道館クラス(5000人〜1万人)の会場にしか行ったことがない。
K-Arena横浜は最大2万人らしいので、どのような規模が想像ができない。
それだけ広ければどうせ売り切れることはないだろうし、とウダウダするうち、申し込み締め切りは何度か過ぎてゆき、結局三次先行でSS指定席にした。売れ残りの心配は当初からファンの間に出ており、実際当日まで低価格席はソールドアウトにはならなかった。
予想通りすんなりと席は確保できた。
が、結果的にこれは失敗だった。
中学生の頃に出た『Lateralus』以来、私がTOOLに再注目したのは、2019年に13年ぶりとなる5枚目のアルバム『Fear inoculum』が出たのがきっかけだった。
それまでストリーミング解禁されていなかった過去作が解禁され、一方で凝りまくりの新作パッケージも話題になった。
(パッケージの様子は↓など)
https://youtu.be/qj2AXS5YcRU?si=YgTQRQvSkP0Fmms_
ところが新作の評価は世間的に二つに分かれた。
プログレッシブ化を進めた結果、インタールードを除く実質的な楽曲6曲はいずれも10分超で、わかりやすくポップな盛り上がりに欠ける。
リリース時、このアルバムを何十回か聴いた私の評価も同様だった。
といっても、相対的には好みだった。
ちょうどそのアルバムリリースの頃、自分が2019年初めに新人賞に投稿した論考が同年末に掲載(といってもすでに電子雑誌に移行していた)されることが決まった。
私は改稿過程で上記の通り、半ば冗談のようにTOOLの名前を書き加えた。
2019年のこのアルバムがなければ、私は年末掲載の自分の論考にTOOLの名前を出すこともなく、そしてその経験がなければ、2025年のこの公演に行くこともなかったと思う。
チケット代を払い込んだ後で、私はTOOLの過去作を初めて真剣に聴いた(2万円を無駄にするわけにはいかない)。
数は限られているので、そう大変ではない。
Tool discography - Wikipedia
客観的に見れば、やはり3作目の『Lateralus』から楽曲の全体的な長大化が始まっている(以前からその傾向はあったが)。
よく囁かれるのは、これはボーカルのメイナード(1964年生まれ)の声の衰えを埋めるためではないか、というものだ。
実際、彼の他プロジェクトであるPusciferやA Perfect Circleなどを聴いても、高音でのシャウトは減ってきており、一理あると思う。
私は今年の他公演のセットリストを確認しながら、来たる曲目を推測した。
https://www.setlist.fm/setlists/tool-2bd6d836.html
ちなみに、横浜公演後、2日後の神戸公演との間に「TOOLが同一国内で連続公演を行う時は曲目を変える」というウワサがネット上で流れた(結果的に同じセットリストだった)。
↑のセットリストを眺めるとわかるが、それは誤りで、「同一会場で連続公演を行う時は曲目を変える」が正確だと思われる。
(2025年11月~12月のニュージーランド、オーストラリア公演を参照あれ)
(続く)
文学フリマ東京40の出店が無事終了しました。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。
今回は以下の記事で紹介した通り、三つの新刊をご用意しました。
https://anatataki.hatenablog.com/entry/2025/05/08/100301
残部をBOOTHにも登録しました。
『新・叙述トリック試論(サンプルバージョン)』
https://booth.pm/ja/items/6913680
『自炊探偵・雨恋真雪の冒険』
https://booth.pm/ja/items/6913721
*
今回、体力的な限界による推敲不足や、内容の自信のなさなどもあり、あまり宣伝をしなかったのですが、やはり事前に内容をしっかり準備して、自信をもってプレゼンしないと広がらないのだなあ、と思いました。
私は自分の文章を読み返して直視するのが物凄く苦痛なタイプで、煩雑な説明になると粗雑になってしまいがちだとよくいわれるのですが、それはプレゼンや宣伝にもつながることなんですよね。
自信があろうとなかろうと、相手にきちっと伝える、という意志。そのことを痛感した今回でした。近くリベンジしたいと思います
2025年5月11日(日)開催の文学フリマ東京40に出店します。
https://bunfree.net/event/tokyo40/
六年ぶりの出店です。
新刊は以下のものをご用意します。

①『新・叙述トリック試論(サンプル・バージョン)』
74ページ/500円
2021年5月に刊行を予告した文章から、具体的な作品を取り上げた箇所を抜粋して一冊にしました(全体の20%程度)。性格上、断りなしにネタバラシをする箇所が多々ありますので、ご了承ください。
無料配布にしようかと思いましたが、案外ページ数が嵩んだため、有料にしました。
この文章については、どうすれば再度エンジンをかけられるのか、自分でもわかりません。
どなたか連続読書会でもしませんか?

②『自炊探偵・雨恋真雪の冒険』
376ページ/1500円
前半をストレンジ・フィクションズに、後半をカクヨムに掲載した文章をまとめたものです。
基本的に、↓で全体は読むことができます。
https://kakuyomu.jp/works/16818093085996976796
10代の頃から、一冊分の小説を書いてみたいと思っていたのですが、まさかこのようなかたちになるとは思いませんでした。
自身に抱いていた幻想に裏切られ、実力のなさに直面し続けることは大変辛いことでしたが、あれほど手にしたいと願っていた様々なものを放棄していった果てに、拙いながらもようやく一冊にまとめることができ、近来にない達成感を覚えています。よろしければご覧ください。
③「大ガールズバンド時代」
無料配布
↓に掲載した「カモガワG奇想短編グランプリ」投稿作のペーパーです。
https://kakuyomu.jp/works/16818093092429399751
*
以上です。
よろしくお願いします。