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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

【記録シリーズ11】鳥

記録シリーズ

ロラン=マニュエル おっしゃるとおり。わたしはただナイティンゲールの歌はわれわれの音階の音程の中に正確にかき込めないと言いたかったのです。ナイティンゲールにしてみれば、自分の言葉は、空気のごとく、自由なのですね。だが、われわれの音楽はひとつのシステムの中にとじ込められている。ナイティンゲールの歌の音程が悪いのは、われわれのシステムからみれば、という話にすぎないという説には、賛成です。
ジャック・イベール だからといって、あの歌がきれいでないわけではないのですからね。ローマで、ヴィラ・メディチ〔パリ音楽院のローマ大賞コンクールの優勝者はローマ留学の間この館に滞在する〕の留学生だったとき、わたしは夜な夜な、ナイティンゲールのすばらしい歌をきいてすごしたものです。ときには対話をいどむことだってやったもので、そうすると、先方もひきとって、わたしの口笛のふしをつづける……なんともいえない気持ちのよいものでした。(ロラン=マニュエル『音楽のたのしみ Ⅰ』吉田秀和訳)

最近この箇所を再読して、以前読んだ時の印象とずいぶん違うな、と感じた。
私の頭の中で改変されたのはこんなふう。ある若い作曲家が夜、留学先の宿舎へ帰ってくる。部屋は二階か三階だろう。一日のレッスンを終えて身も心もくたくた。それに異国の言葉にも慣れない。微妙なニュアンスがどうも伝わらない、もどかしい。自分がバカに見える。周囲からも同様だろう。そんな折、窓からナイチンゲール(サヨナキドリ)の声がふいに鼓膜をうつ。顔を上げる。こんなことは初めてだ。もう滞在して一カ月にもなるのに……。テラスへ出ると、廊下にぐるりを囲まれた中庭の暗がりにぼんやりと木々が浮かび上がっている。鳥の姿は見えない。彼の故郷にもナイチンゲールはいた。幼い頃から耳なじんだ声だ。あまりにも記憶にある声とそっくりなので、もしや、同じ鳥が自分を追ってここまできた? という疑問に強く捕らわれる。そんなことはもちろん、ありえない。しかし……。五分、十分とたたずんでいると、深まった秋の風が身にしみてきた。体をふるって、思わず口笛を吹いてみる。ガキの時は苦手だった、すっ、すっ、という音しか出ないので、おじさん達が羨ましかった、ずいぶん練習したもんだ……数年ぶりに吹いた口笛は、鳴き真似から簡単な童唄、そして今日のレッスンの復習となり、再びさえずりへと戻った。するとそれをひきとった鳥が、微妙な旋律を若い作曲家へと返す。それを受け、とっさに即興的なヴァリエーションを加えて暗闇へとさしだす。そんなやりとりが何度かくり返される。相変わらず、鳥の姿は見えない――。
そもそも、なぜ私は夜だと思っていたのか? おそらくナイチンゲール(Night-in-gale)という言葉にも由来しているのだろう、よく知らないが……調べてみると、日本には存在せず、やはり夜に鳴くということだった。また、このような声をしているらしい。
なるほど。こういう時に想起するのは、やはりあの作曲家のことだ、――。
ある男は、その情景を青いインクのペンでメモに走り書きする。それは評伝作者の本にはなかった架空の場面だ。知らず、「アオイバラ、アオイバラ」と呟いている。