【殊能将之『美濃牛』の展開について触れていますので、未読の方はご注意ください】
まず前回、だいぶ酷い勘違いを一点書いてしまったのでその訂正を。
前回、『美濃牛』の叙述形式に関して、「三人称・多視点・現在」だと書き、また〈『美濃牛』において、語っている時点と語られている時点とは非常に近い。その近さに対する、三人称多視点という形式、及び広範な引用の配列という操作が持つ周到さは、人間の能力を超えているのではないかと思わせる〉として、その理由をああだこうだと推測した。
しかしその後、ちゃんと読み返すと、語りの時点は事件から一年後だと明らかに書いてある(「男の心は動物園にはなく、現在にもなかった。いまから一年近く前、まだ男が若々しく、少女と同じように生気に満ちていた頃へとさかのぼっていた。」/「プロローグ」)。事件が起こったのが1999年の9月(「洞戸村の思い出」/「インポケット」2003年4月号)で、エピローグとプロローグの時点がそれから一年弱ほど経った2000年の8月頃(?)。そしてエピローグには「事件から一年近くが経過したというのに、天瀬はまだ忌まわしい記憶に苛まれていた。記憶は悪夢となって襲いかかり、時にはいまのように目覚めているときにも呼び起こされた」とあるように本編は、全体が天瀬による回想ということになっている。ノベルス版刊行は2000年の4月だから、語りの時点は『ハサミ男』と同じように、刊行時より多少未来に設定されている、ということだろう。したがって、〈『美濃牛』において、語っている時点と語られている時点とは非常に近い〉云々というのは、大きな間違いでした。お詫びします。(前回のエントリは、一部修正しました)
※
気をとりなおして。
プロローグとエピローグに挟まれた本編が回想ということであれば、いくつかの推測が可能になる。つまり、事件から一年後、天瀬にとって暮枝村でのことは思い出したくない記憶となっているが、時折、フラッシュバックのようにして脳裡に去来する。このフラッシュバックによる回想は、主体的なものではなく(思い出そうと意志を持って思い出しているのではなく)、外からの力に強いられているのではないかと感じさせる。暮枝を去って後、天瀬は何度も、自分自身に決定的な影響を与えた事件のことを思い出しただろう。牛や鬼や迷路にまつわることが気にかかり、調べることもあっただろう。あの引用群は、プロローグ・エピローグまでの人生の中で天瀬が見聞きした文献中の言葉が、事件の記憶の進行に従って、意識の底から蘇ってきたもの……と考えることも、できるのではないだろうか。
『美濃牛』各節の視点人物を確認していくと、最も登場回数が多いのが天瀬であるのは勿論だけれど、一読異様に感じられるのは、第二章14節。羅堂哲史の遺体を載せた黒塗りの大型車が、葬儀のために暮枝に戻ってくる場面で、それぞれの登場人物の様子が俯瞰的にリレーされてゆくのだが、その合間に次のような正体不明の語りが何度か入る。
何を恐れることがあるのか。死は万人に平等に訪れるではないか。最も身近で平凡な出来事に、なぜおまえたちはおびえるのか?
そうか、おまえたちは無残な死体を恐れているのだな? 碧玉のように光る清流を左手に見て、白いガードレール沿いに大きく曲がりながら進んでいくこの車の後部には、おまえたちの推察どおり、首を切り取られた死体が載っている。だが、死体は首がないことなど気にしないだろう。死者に憂いはない。/血がこわいのか。肉がこわいのか。骨や臓物が恐ろしいのか。だが、それらはすべて、おまえたちの皮膚の下にあるものではないか。自ら皮袋に詰め込んだ血と肉と骨と臓物を、なぜ恐れる?
最後まで通読して、再びこの箇所に戻ると、「おまえたち」と呼びかけるこの謎の声の正体は、あの「美濃牛」なのだろうな、と推測される。この声の挿入は少し複雑になっている。つまり、『美濃牛』で語られる事件は、リアルタイムではなく、あくまで天瀬の回想、それも主体的なものではなく、外部から半ば強制的に想起させられた記憶だ。この記憶の中で車が進むのに沿って、「おまえたち」という呼びかけが挟まれる。
外部からの力は、もう一つ、「多視点」の説明にもなる。『美濃牛』刊行の少し前、映画『タイタニック』もちょうど似たような構成(冒頭とラストの“現在”で“回想”をサンドイッチする)になっていたが、明らかに回想主体であるヒロインの知りえないはずの場面まで過去シーンでは描かれるので、「これを思い出しているのはいったい、誰なんだ?」というちょっとした破綻(?)を指摘する意見が当時あった。天瀬の場合は、そうした何か人間を超えた幻覚的な力によって、自分の見聞きしていない情景なども含んだ回想になっている、と見ることもできそうだ。
『美濃牛』で大きく参照したと思われる『八つ墓村』や『獄門島』などの金田一耕助シリーズの場合、基本的に全体の叙述をまとめているらしいのは小説家の「私」という人物で、事件が全て終わったあと証言や記録をもとに再構成して書かれた、ということになっている。だから、地の文で登場人物を「○○さん」と敬称で読んだり、「あとから思えば、この時の××を金田一は深く後悔することになった」というような記述が頻繁に登場する。一方で『美濃牛』にはそうした記述は見られないから、その差異が気にかかる。
テーセウスたち
ところで、「平易な文章」について述べられた序盤(第一章5節)の次の一節は、印象深い作品自註として、『美濃牛』が語られる際によく取り上げられる。
(……)子規は頭が論理的にできている。何を書きたいか、何を言いたいかを正確に把握しているから、平易な表現で書きあらわすことができる。要するに、頭がいい、ということだ。
世の中には、平易に書く天才というものが存在する。子規がそうだし、漱石がそうだ。時代を下って、大衆文学に目を向ければ、岡本綺堂や、江戸川乱歩や、横溝正史が、平易に書く天才である。
綺堂の小説はどれも昨日書かれたようにみずみずしい、という評をどこかで読んだことがある。乱歩の初期短編は、昭和初期に書かれたとは思えないほど、読みやすい。そして、横溝はわかりやすい散文で、探偵小説の傑作をいくつもものした。
彼らの著作が、いまでも新刊書店の書架を飾っているのは、内容のすばらしさもさることながら、平易な表現に徹した文章が古びていないおかげであろう。
そして、これら平易に書く天才たちが、互いに影響関係を持っている。
つまり「平易=論理的な文章」の書き手という視点は、そんなことを書いている殊能自身の註釈にもなっている……というわけ。
俳句はのちのち、真相解明での重要な伏線となるが、ここでは「論理的」という共通項が、正岡子規と横溝正史ほかに見出されている。句会のシーンでは、横溝作の句も登場する。私は俳句に関する本はいくつか読んだのみだけれど、今回『美濃牛』を再読していて、子規について思い浮かんだことがあった。それは『私自身のための俳句入門』(新潮選書、1992)という本の、以下の一節(ちなみに、著者である高橋睦郎のデビュー詩集のタイトルは『ミノ・あたしの牡牛』である)。
(……)俳諧連歌の衰弱・非文芸化は何によって起こったか。逆説的ないいかただが、芭蕉が俳諧連歌の文芸化を窮極まで推し進めたため、俳諧連歌のままではもはやそれ以上の発達・進化の可能性がなくなった、ということではないだろうか。
このことは誰よりも深く芭蕉を敬慕し、天明の蕉風復興の中心となった蕪村の実作において、発句に較べて連句の数がきわめて少く、この傾向は以後ますます顕著になって、幕末・維新の衰退期を迎える。この時点において俳諧が文芸として生き残ろうとするなら、連歌という死に体の胴体を捨て、まだ息のある発句という頭部のみを独立させて生きるほかなかった。頭部のみを生かすという大手術によって窮極的に生かすのは俳諧なのだから、その呼称は従来の発句ではなく俳句でなければならなかった。子規による発句=文学宣言をこのように説明することも可能なのではあるまいか。(「切断 そして俳句誕生」)
正岡子規は「俳句」というジャンルを打ち立てる際、無より創るのではなくて、既にあるものから余計なものを削ぎ落とし、新たな形式として独立させ、アップデートさせた(より具体的にいえば、連歌というジャンルから発句である冒頭の五・七・五だけを取り出して、俳句という一ジャンルとした)。「頭がいい」人間でなければできないだろうし、力技でもある。
かつてそれなりの役割を果たし、しかし今や朽ち果てつつある形式の“本質”と、そうでない部分を、たとえばテーセウスがミノタウロスの頭(牛)と胴体(人間)を切り分けたように、「論理」という剣で切り落とす。そしてそれによって再生させる――この切断にはたとえば、横溝正史が戦後『本陣殺人事件』で与えた衝撃や新本格ムーブメントにも通じるところがあるのではないかと思う。
昨年「メフィスト」(2012年4月)の特集「My Precious 講談社ノベルス」に書かれたエッセイ「初めて衝撃を受けた講談社ノベルス――『十角館の殺人』綾辻行人著」では、次のように殊能氏は書いている。
すべてはここから始まった、といっていいだろう。
一九八七年といえば、わたしは二十三歳。いまでもそうだが、ぬるい本格ミステリファンだったわたしは、笠井潔や島田荘司を愛読してはいたものの、ジャンルとしての本格ミステリが復活するなどとは夢にも思っていなかった。このふたりは当時珍しく本格味の横溢した作品を書いてくれる貴重な存在だったのだ。
そこに登場したのが本書だ。
(……)とにかく驚いたのは作者の若さ(二十六歳)だった。いまでは信じられないかもしれないけれど、「若者が本格ミステリを書いていいんだ!」という衝撃があった。
さっそく購入して読了したところ、正直いって、不満もあった。わたしも若かったし、作者と年齢が近かった分、嫉妬の気持ちも大いにあったのだ。来るべき時代の胎動を感じた、と予言者を気取りたいところだが、それも感じず、この作者も一種の突然変異なのであろう、と思っていた。
大きな変化を感じとったのは、法月綸太郎、我孫子武丸らがあとにつづき、〈新本格ミステリ〉というジャンルが形成されはじめたときだった。(……)
いまや〈新本格ミステリ〉という嵐のようなムーブメントは、終わりを告げたといっていいだろう。しかし、『鬼面館の殺人』や『キングを探せ』が新刊として話題を呼んでいることから明らかなとおり、作家はいまも健在だ。そしてなによりも、新人作家が本格ミステリでデビューしても、かつてのわたしが感じたような驚きはなく、ごく普通のことと受けとめられる。
「新本格の終わり」が「このミステリーがすごい!」の誌面で囁かれていたのを見たのは確か、2000年代の半ば頃だったと思う。『美濃牛』の頃にはまだそれほど終焉感はなかった(第一回本格ミステリ大賞の候補作でもある)だろうし、私もこの小説によって革命的に新しい事態が始まったのだなどと強弁したいわけでもない。しかし思うに、デビュー作の『ハサミ男』自体、「サイコキラーもの」嫌いの作者による、“切断”としての「サイコキラーもの」だった。だから第二作にあたって、横溝で行きたい、そして、ゆえにこそできあがった全体は横溝とは全く違ったものになっている必要がある、として書かれていただろうことは、「ミュージックマガジン」2001年2月号のインタビューなどを読んでも伝わってくる。
「頭がいい」からこそ「平易な文章」が書ける――とはいえ、正岡子規や横溝正史、綾辻行人のように、何か決定的に新しい事態を招いてしまうことは、自分の力のみでどうにかできるわけではない。が、しかし、この小説は、「石動戯作シリーズ」の第一弾なのでもある。のちに『黒い仏』(わずか九ヶ月後だ!)で巻き起こされる賛否両論の伏線はこのとき、すでに敷かれていたのだろう。(続く)