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襤褸は着ててもロックンロール

確率的な生

さいとうななめ氏が東浩紀『クリュセの魚』を評して〈偶然〉〈確率的な生〉というキーワードを出されている(2013年11月3日)。
作者の動向は近年あまり熱心に追っていなかったけれど、〈偶然〉とか〈確率的な生〉については、興味がある。『クリュセの魚』がそういう話だったら、読んでみたい。
個人的に近年、気になっているテーマだ。パスカルが書いたという対話、

A なぜ私を殺す?(そちらが優勢なのに。私には武器がないというのに。)
B お前は川の向こう側に住んでいるではないか。もしお前がこちら側に住んでいたとしたら、私は人殺しということになる。お前をこんなふうに殺すのは正しくない。だが、お前は、向こうに住んでいる以上、私は勇士であり、こうすることが正義なのだ。

を読んで以来、いっそう気になっている(山城むつみ「宝くじ的なあまりに宝くじ的な」を参照。このエッセイは少し前―――2002年――のものだが、ぜひ読んでいただきたい)。
樺山三英ハムレット・シンドローム』で読書会をした時、とば氏(@bibliotaph)から、最近のループものの隆盛について教わった。〈偶然〉や〈確率的な生〉についての考え自体は、昔からあったので、それほど目新しくはない。しかし、それに自覚的な創作物が増えていることは、多くの人が感じているとおり。ループものの隆盛についての論考はまとまり出してきているようなので、隙を見つけて読んでみたいと思っているところ。
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楽天ゴールデンイーグルスが巨人を破り、日本シリーズ優勝(2013年11月3日)。
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明日の第17回文学フリマで、名大SF研ブースで殊能将之氏の学生時代の原稿集が販売されるという。132ページ、700円。氏の初期の原稿は、いくつか読んだことがあるが、20代とは思えない完成度で舌を巻いた(自分が学生時代にどういった文章を書いていたかを思い出せば、その差が慄然と感じ取れる)。