TBCN

襤褸は着ててもロックンロール

ジェルジ・リゲティの『グラン・マカーブル』

ジェルジ・リゲティのオペラ『グラン・マカーブル』は、『黒い仏』を再読する上では欠かせない作品であるが、日本語で読めるものとしてはたぶん以下の資料が詳しいのじゃないかと思う。

全編のテクスト(日英対訳)としては、巻末文献にも挙げられているとおり、ソニーから出ているCDの解説。リゲティ自身の文章も載っている。

 

 

このオペラにはリゲティ自身による改訂、あるいは翻訳や演出によっていくつかの異なるバージョンがある(上述のCDは1997年版)。日本初演は2009年http://www.schottjapan.com/news/2009/090127_150105.htmlリゲティ没後の2011年版は日本語字幕付きのソフトが出ている。

 

 

(このDVDをいま検索したら、個人誌を書いていた時は品切で入手不可だったのに入荷されていたから驚いた……)

作品のアカデミックな分析で最も詳細なのはおそらく次の論文だと思う。

 

ジェルジリゲティ論

ジェルジリゲティ論

 

この中に 『グラン・マカーブル』についての一章があり、成立過程や楽曲分析がくわしく記されている。私は楽曲分析はよくわからないが、たとえばリゲティのインタビュー集から引用しての、成立過程にまつわる次のような分析は面白い。

『グラン・マカーブル』はリゲティ唯一のオペラであるが、実はリゲティがオペラを構想した機会は1963年以来、四度あった(中にはオイディプスに材をとったものもある)。しかし実現したのは最後の『グラン・マカーブル』だけだった。この作品は1972年から構想され77年にいったん完成、初演は78年。以後、何度か手がくわわっている。この作品をリゲティはなぜ「アンチ・アンチ・オペラ」と呼んだのだろうか。

アンチ・オペラとは20世紀初頭までの伝統的なオペラを否定する概念であり、1960年代の音楽演劇の追求したテーマである。リゲティでは《キルヴィリア》と《オイディプス》がアンチ・オペラにあたる。これに対して、アンチ・アンチ・オペラはアンチ・オペラの否定、すなわち前衛の音楽演劇を否定し、しかも伝統的なオペラとも異なる「オペラ」の新しいあり方をめざすものである。それは「ジャンルや形式を懐疑的にとらえたり、それを破壊したりするものではない。むしろそれらを新たな形式で満たすもの」である。作曲者自身はこれに関して「《マカーブル》は《アヴァンチュール》や《ヌーヴェル・アヴァンチュール》よりも伝統的ではあるが、やはり実験的な音楽でもある。同時に古典的なオペラ、とりわけモンテヴェルディモーツァルトとも結びついている」と述べている。また、《マカーブル》と関連して行なわれた次のような前衛の伝統批判に対する批判も注目される。「このような批判的解体は、何ももたらさない流行現象である」。革新はむしろ伝統的な音楽の中にのみ見つけることができると考える彼にとって「伝統と革新は共存する。私自身はつねに革新者であり伝統主義者なのであって、そこには何ら矛盾がない」。

伝統(オペラ)があり、それに対する批判(アンチ・オペラ)がある。そしてそれに対する反批判(アンチ・アンチ・オペラ)は、伝統と結びつきながらそれと似ていない、また批判とも似ていない、そのどちらでもないものになる。

こうした分析は、次のような「結論」に結びつく。

最終的な基盤を失いながら、根拠となるものを別の形で求めようと試みること、それが今日の芸術にもっとも適した姿なのである。このことは、《ル・グラン・マカーブル》のテーマでもあった。(……)「結局われわれは、音楽を作る-聴く(生産-消費)というプロセスの1つの回路のみに支配権を委ねるような仕方で音楽を捉えることはできないであろう。あたりまえのことかもしれないが、生産と消費という2つの回路の双方に接触するように視点をとり、それらの連鎖の中で音楽を捉えていく必要があるのではなかろうか」

このような歴史的な文脈の中で、リゲティはどのような立場にあるのだろうか。作曲家としての彼の信条を探ってみると、いわばこの大文字のモダン、第2のモダン的思想ともいうべき独特の考え方がその根底にあることに気づく。彼と1970年代以降のいわゆるポストモダン音楽との関係を見ると、彼はこの種の音楽に対して批判的な見方をしている。われわれはそれを、前衛音楽やミニマル・ミュージックポストモダン音楽の批判的受容や、またそれらに対する批判的表明である一連の作品で確認してきた。その一方で、《ル・グラン・マカーブル》での引用技法は時代様式としてのポストモダンから影響を受けている。「1960年代であれば、私はこのようなオペラを書くことはできなかったでしょう。これは70年代の作品です」。この意味では、オペラはリゲティの創作とポストモダン音楽の並行関係をはっきりと示すといえる。ただし、それはコスタケヴァのいう「リゲティのメタオペラ構想、あるいは音楽のジグソーパズル。あらゆる世界像と価値が既視感覚をもつような、飽き飽きしたポストモダンの時代を批判的に反映したもの」に終わるのではなく、われわれの確認したように、両義的にもとづく複数の中心と有限な全体を示すものと理解しなければならない。

このような発想の背景には、彼の置かれた特殊な政治的・歴史的環境があると考えられる。彼は、伝統的な西洋の芸術音楽や東欧の民族音楽にもとづく教育は受けたが、ハンガリー社会主義的政策のために西側の前衛芸術にほとんど触れることができなかった。また、亡命後はセリー主義の成立に立ち会えず、いわば遅れてやってきた者として外側から距離を取りながらかかわるといういきさつもあった。さらに、コスモポリタンを標榜するハンガリーからの亡命ユダヤ人であることは、マーラーを彷彿とさせつつ、さらに多核的な実存を実践しているといえなくもない。リゲティはつねに、自己を含めたすべてに対して批判的な態度でのぞみ、意図的に個人主義者あるいはアウトサイダーとしてふるまう。単純な賛同や否定によって特定の立場に立ったり、事象の一端だけを見てそこにかかわったりするのではなく、多面的に考察しながら批判的に問題に取り組みその整理点を取捨選択する。そうすることで、さまざまな問題を統合した解決という、いわば両義的な策を見出してきたといえるだろう。彼が「私はどこにも属さない」というとき、このような立場をさす発言として理解しなければならない。

この姿勢が先に述べた大文字のモダンに通じることは明らかである。どこにも属さないということ、いかなる立場にも立たないということは、両義的な立場に立つということ、すなわち創造的なモダンとしての立場をはからずも表明するということにほかならない。それは、セリーのようにモダンでないのはもちろん、その全面的な否定や反動としてのポストモダンでもない。彼の創作の目的は、その特殊な状況や姿勢から導き出されながら、そうした二者択一を越えたところで要請される芸術を作り出すことではないだろうか。

「私はどこにも属さない」という言葉は、私の中ではどうしても、次のような言葉と結びつく。

イネスはもっと自由です。本格ミステリへの愛情も憎悪も持ち合わせていないがゆえに、本格でもミステリでもない作品を平気で書くことができる。(「reading」2001年12月30日)

この『ジェルジ・リゲティ論』、もし1990年代に出版されていたなら、必ずや『黒い仏』の参考文献に挙げられていたことだろう。

というのは、このようにして書かれた『グラン・マカーブル』はブラック・ユーモア全開のコメディだからだ(以下のような舞台写真を見ていただければ、雰囲気がおわかりになるだろうか)。

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リゲティ自身へのインタビューとしては、短いながら次の本も入手しやすい。

われらが時代のビッグ・アーティスト―高松宮殿下記念世界文化賞受賞者12人へのインタビュー

われらが時代のビッグ・アーティスト―高松宮殿下記念世界文化賞受賞者12人へのインタビュー

 

 


リゲティに関するこうした言及をふまえれば、ごくたまにいわれることのある、〈『黒い仏』は本格ミステリに対する批判である〉という意見は、そのままでは当たらないということがわかる。というのは、それはむしろ、本格ミステリの伝統と結びつきながらそれに似ておらず、かつ、本格ミステリへの批判に対する反批判でもあると読めるからだ。

 

そういえばピエール・ド・マンディアルグの短篇『満潮』は私はアルフォンス・イノウエの挿画が入っている奢灞都館の普及版(正方形くらいのかたちのうすい仮フランス装のもの)で読んだんですが、これは若い男が少女を騙くらかしてひと気のない海辺に連れていってフェラチオをさせるというだけの、口内射精文学(そんなものがあるとすれば)の中でもシンプルにそれのみに絞った究極みたいなハナシですが、語り手の性感の高まりと潮の満ち引きがシンクロするというところがミソになっています。

で、『インモラル物語』(原題はContes Immraux。すごいタイトルだ)というオムニバス映画の第一話として映像化されているんですが、なんとなくこの潮の高まりは小説を読んでいる時はジワジワと次第に上がってくる感じをイメージしていたんですが、映画ではけっこう波が最初からザブザブ激しくて(最後は二人とも汀でずぶ濡れになる)、(ウーン?)と首をひねったのを覚えています。

 

インモラル物語【ヘア無修正】HDリマスター版 [DVD]

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ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』

ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』(安藤元雄訳、白水uブックス、1989)。上京した夜に初めて買った本だから、九年近く前か。裏の見返しに「500円」というシールが貼ってあるが、この古書店ももうない。
グラック28歳のデビュー作で、1938年刊。はしがきで『ユードルフォの謎』『オトラントの城』『アッシャー家の崩壊』というゴシック小説の歴史的代表作を挙げて〈強力な奇蹟が動員されて、その鎖や、その亡霊や、その棺桶などが保持して来た呪いの力を、これらのかぼそい章句にいささかでも乗り移らせてくれるといい〉と願っているように、フランスの古い城(このアルベールというのは架空の地名だが)で起こるゴシック的雰囲気まんまんの幻想的な小説。特徴的なのは会話文がいっさい無いことで、城周辺でうごめく主に三人の様子の映像的な描写に賭けた感じは、ラヴクラフトロブ=グリエ(特に『嫉妬』)の間においてみると面白い。
冒頭、主人公の二十歳の大学生アルベールが長期休暇にこの城へやってくる。〈高貴で裕福な家柄の血を引く最後の一人〉で〈実に遅くまで、片田舎にある人里離れた塀の中に厳重に閉じこめられ〉、〈十五歳にして、あらゆる天与の才能と美とが彼のうちに花開くのが見られたが、パリでは誰もが類のない確信をこめて成功を約束してくれたのに、それへ背を向けてしまった〉。〈友人をほとんど作らなかったばかりか、とりわけ一貫して女性に目もくれ〉ず、〈ときたま、ことのほか貴重な材料をたっぷり盛りこんだエッセイだの、膨大な独自の資料に裏づけられた論文だの〉を書くこともある。彼はとりわけへーゲルに心酔している。〈弁証法こそはアルキメデスが嘲笑まじりに要求した、世界をすら持ち上げるあの梃子のようなものだと考えて、いまブルターニュの人里離れた屋敷に赴くにも、わびしい地方の、陰鬱で無味乾燥だろうとしか思えない日々をたっぷりと埋めるために、へーゲルの著書を運びこもうとしていたのである〉。
実際、文中にへーゲル『論理学』から引用される。

《(……)回復の原理は思考の中に、そしてただ思考の中にのみ、見出されるのだ。傷を負わせる手は、また傷をいやす手でもある》。喜ばしげな確信がこれらのページから飛び立つように見えた。
たしかに、アルベールがこれまでいつも敢然と殺しおおせて来た侮蔑的な自然の愛情ではなく、ただ認識だけが、彼を彼自身と永遠に和解させるのであり、彼が自分で間違いさえ犯さなければ必ずそうなる筈なのだ。《善と悪を知ることでおまえたちは神々のようになるだろう》というのが楽園追放の原因だったが、それがまた、あり得べき唯一の贖罪でもあったのだ。そして彼はさらに読み進んだ。《(……)子供の無邪気さは大いに甘美かつ魅力的であるには違いないが、その理由はひたすら、精神がそれ自体のために究極的に何を征服せねばならぬかを、われわれに思い出させてくれるところにある》。この堂々たる弁証法は、アルベールの不安に対する天からの答えのように思われた。つまりは認識だけが解放をもたらすのだ。本質的な、生きた認識だけが。アルベールは胸のうちで自分の引き籠もりがちな学究生活をふり返って、それを誇りとともに全面的に正当化した。だがいま彼がその生活を移した、この新しい荒涼たる場所が、すでに彼の心のロマンティックな琴線を強く揺さぶっていたからこそ、早くも自己正当化の必要が生じたのではなかろうか?

いやー、いけ好かないヤツですねー。田舎の屋敷で長期休暇(四ヶ月もある!)のあいだ、城の管理人の他は誰とも接触せずにへーゲルを読んで世界の真理を掴もうと一喜一憂する大学生アルベールくん(って、そりゃ幻想ぐらい見るよ!)。彼のもとに、予告どおり親友エルミニアンがやってくる。親友はもう一人誰か連れてくるということだったが、それは美人女子大生ハイデだった。もちろんこの後からは主に会話文の一切ない三角関係……陰鬱なキャッキャウフフ劇がくりひろげられるわけです。

先のへーゲルの引用箇所がおそらく象徴的になっていると思うのですが、このアルベールは騎士役です。エルミニアンは漁夫王役にあたるらしく、しかしこの二人は実は同一人物ではないかとも読める。「深淵の礼拝堂」でエルミニアンが深夜に弾くピアノを聴き、「森」でなぜか全裸のハイデを見つけエルミニアンが姿を消したあたりから、物語のトーンは一変します。男女二人でしばらく過ごしたあと、〈荘厳な死化粧をほどこされた瞼を見せて、エルミニアンがすぐ近くに横たわっていた〉のを見つける。エルミニアンが療養生活を送る中、記述はいよいよ幻想味を極め、聖拝伝説の図式へと接近します。そして今度はハイデが……。
と、こんなふうに、聖拝伝説にゴシック要素(しかも長くねちっこい映像的描写)とへーゲル要素を加えるというヒネリが、新味だったのでしょうか。この処女作をガリマール社にもちこんだところ断られたため、もっと小さい版元から自費で出したものの150部しか売れなかったといいます。中盤の三角関係自体は今の目ではチトこっぱずかしくもない感じで、ムズムズしてくるんですが、先述したように描写がキモとなっていて、プルースト以後ロブ=グリエ以前ということを考えるとなかなか面白い。たとえば冒頭、城に入る場面。

数えるほどしかない開口部の形状と配列も、負けず劣らず目を驚かせた。階という概念、今日ではおよそ調和のとれた構築物の概念からほとんど切り離せなくなっているこの概念が、ここではまったく締め出されてしまっているように見える。城壁にあいているわずかな窓は、上下の位置がほとんどどれもこれも不揃いで、内部の配置の奇妙さをうかがうに足りる。下の方の窓はいずれも低く平べったい長方形を見せているが、これは建築家が、昔の城塞で火縄銃の射撃に用いた狭間のデザインからヒントを得たものであることが見て取られる。これらの細長い割れ目は、その縁を色のついた石で飾るわけでもなく、まるで無気味な通気孔のようにむき出しの壁に口をあけている。

読み進めるに際し、こうした描写をうまく乗りこなすと、設定自体は実は、田舎の城での幻想的な三角関係、という、新本格的でもあるわけですから、割と楽しめると思います。いま、岩波文庫版が出ています。

 

 

 

このミステリ評論が読みたい!

今、こういうミステリ評論があったら読みたい。

◯社会派推理小説入門:「社会派」の定義、語源、発展と衰亡ないし拡散までの歴史とブックガイド。必然的に「本格冬の時代」についても扱う。

叙述トリック入門:「叙述トリック」の定義、語源、発展と衰亡ないし拡散までの歴史とブックガイド(映像作品を入れてもいい)。叙述トリックのテクニックに関するネタバレはもちろん全部する。90年代~00年代の密かな熱狂について未だ書かれざる不可視の年表を明らかにする、タブー破りの横断的パースペクティヴ。

私は1986年生まれで、物心ついた時は平成だったので、ミステリ的自我が形成された時は既に「新本格史観」の中にいた。音楽やファッションはよく20年周期といわれるが、小説の周期はもっと長いような気がする。私くらいの世代にとって、とりわけ「社会派」と「叙述トリック」という概念は、「妖怪」化した二大巨塔だと思うので、モヤモヤを晴らしてほしい(「後期クイーン的問題入門」はその後でも良いです)。

もし、既にこんなのがあるよ、というのをご存知の方がいらっしましたら、ご教示いただけますと幸いです。

il miglior fabbro

「私にまさる妙手」は寿岳文章訳の『神曲』だよ、と昨日教えていただいたので、ついでに調べてみました。

「il miglior fabbro」とはダンテ『神曲』煉獄編第26歌(117行目)の語句だが、これはどういう意味か。作中でダンテが自身よりおよそ一世紀前に活躍したアルナウト・ダニエル (Arnaut Daniel)という詩人へ捧げたもので、つまり先輩へのリスペクトですね。
この語句が『神曲』および『荒地』の各日本語訳でどんなふうな表記になっているか、比べてみましょう。

 *

ダンテ『神曲』における「il miglior fabbro」

 

生田長江(1882-1936)訳
我にまさりて國語を鍛へし一人なり。
(『世界文学全集1 神曲』新潮社、1929)

山川丙三郎(1876-1947)訳
我よりもよくその國語(くにことば)を鍛へし者なり
(『神曲 中』岩波文庫、1953/青空文庫

寿岳文章(1900-1992)訳
私にまさる妙手
(『神曲 煉獄篇』集英社文庫ヘリテージ、2003)

野上素一(1910-2001)訳
私よりも国の言葉を鍛えたものなのだ
(『筑摩世界文学大系11 ダンテ』筑摩書房、1977)

板谷松樹(1907-1982)訳
彼は彼の母国語をよりよくまとめたのである
(『ダンテの神曲 煉獄篇』日本心霊科学協会、1974)

三浦逸雄(1899-1991?)訳
何人にもひけをとらないひとだ。
(『神曲 煉獄篇』角川ソフィア文庫、2013)

平川祐弘(1931-)訳
この人は母国語を鍛えたという点では僕より巧みな職人だった。
(『神曲 煉獄篇』河出文庫、2009)

原基晶(1967-)訳
母なる話し言葉での最良の詩の作り手だった。
(『神曲 煉獄篇』講談社学術文庫、2014)

 

原文は実際には「fu miglior fabbro del parlar materno」なので、以上のように、母国語云々、と意味が連結した感じになっている。

 *

エリオット『荒地』における「il miglior fabbro」

 

上田保(1906-1973)訳
すぐれた名手
(『カラー版世界の詩集15 エリオット詩集』角川書店、1977)

西脇順三郎(1894-1982)訳
より巧みな芸術家
(『定本西脇順三郎全集4 』筑摩書房、1994)

吉田健一(1912-1977)訳
より巧みな芸術家
(『エリオット詩集』彌生書房、)

深瀬基寛(1895-1966)訳
わたしにまさる言葉の匠
(『エリオット全集1 詩』中央公論社、1981)

岩崎宗治(1929-)訳
わたしにまさる言葉の匠
(『荒地』岩波文庫、2010)

 

「fabbro」はイタリア語でふつう鍛冶屋という意味らしく、それが「parlar materno」(母国語)と結びつくと「鍛える人」のニュアンスが強くなり、それを切り離した単に「miglior fabbro」だと、bestなartistとかcraftmanのようなニュアンスで訳されているようだ。

「『私にまさる妙手』に敬意を込めて」について、

そういえば、なぜいきなりエリオットの『荒地』の話題をしたのか、このブログには書いていなかったので、わかりづらかったかもしれない。

というのは、『立ち読み会会報誌』第一号を加筆修正するために調べ物をするうち、私は積年の謎、すなわち『美濃牛』冒頭の献辞〈「私にまさる妙手」に敬意を込めて〉とはどういう意味か? をやっと知ることができた。しかし、このわずか一行から、テクストの膨大なネットワークの海に投げ込まれ……この入り組んだ関係をどのように追い、整理すべきかと迷ってしまった。そのため個人誌では駆け足で済ませてしまったけれど、いちおう現時点での備忘録のために書いておきます。

今となってはどのように検索したのか忘れてしまったが、ある日、ヒロセユウイチ氏という方の〈「わたしにまさる妙手」(うたがう余地もなく il miglior fabbroの和訳)〉という指摘に辿りついた。

「il miglior fabbro」とは、T・S・エリオット『荒地』The Waste Landの冒頭に献辞として登場する有名なフレーズだという。なるほど、『荒地』かあ。
まずここで第一の衝撃。
『荒地』といえば確かに、膨大な引用でできた長篇詩として有名だ。それを踏まえたとなれば、『美濃牛』あの引用の多さはわからなくもない。だいたい、あの小説は作り方として、本文が先か、節冒頭の引用が先か、よくわからない。『ダ・ヴィンチ』のインタビューだと最初は500枚くらいの予定だったと仰られているけれど、現行版は1000枚あるからいいようなものの、その半分だと読み進めるのにいちいち支障が出そうだ。これまでなんとなく、引用文を骨組みとしてそこに肉(本文)を足していったように思っていたが、後から引用を付け加えた可能性もあるのではないか(『TVチョップ!』のインタビューによれば〈あれは『美濃牛』を書くために調べたんです(笑)。(……)一カ月間くらい毎日図書館に通えば、あれくらいは誰でも集められますよ〉とある)。
しかし、エリオット(Thomas Stearns Eliot 1888-1965)の詩といえば難解なことでも知られている(以前読んだ時は詩よりも散文のアンソロジー『文芸批評論』の方が面白かった)。文フリまで時間もないのに、今から読んで大丈夫なのだろうか。そこで手持ちの『エリオット詩集』(彌生書房、1967)の該当箇所を開いたが、どうも違う。2010年に出た岩崎宗治訳の『荒地』岩波文庫版では、〈わたしにまさる言葉の匠〉となっていて、確かに近い(「妙手」という訳語はまだ見つけられていないが、どこかにあるのだろうか[→追記参照])。
そして第二の衝撃。
問題の冒頭はこんなふう(岩崎訳)。

 じっさいわしはこの眼でシビュラが瓶のなかにぶらさがっとるのを、クーマエで見たよ。子供がギリシア語で彼女に「シビュラよ、何が欲しい」と訊くと、
 彼女はいつも「死にたいの」と答えていたものさ。

 

   「わたしにまさる言葉の匠」
    エズラ・パウンド

 

“Nam Sibyllam quidem Cumis ego ipse oculis meis
vidi in ampulla pendere, et cum illi pueri dicerent:
Σίβυλλα τί θέλεις; respondebat illa: ἀποθανεῖν θέλω.”

 

    For Ezra Pound
    il miglior fabbro

『荒地』原文はこちら。ウェブ上では何人かの方が、日本語による私訳を公開されています)
〈Nam(……)θέλω〉(ギリシャ語とラテン語)は全体にかかる題辞で、ペトロニウス『サテュリコン』中の「トリマルキオンの宴会」第48節からの引用。

そして続く献辞の「il miglior fabbro」(イタリア語)は、ダンテ『神曲』煉獄編第26歌(117行目)からの引用である。
では開巻いきなり「死にたいのよ」と願って読者をギョッとさせる「クーマエのシビュラ」とは何か? ローマ神話に出てくる巫女あるいは女性預言者で、不老不死(不死といってもだいだい千年くらいらしい)を願ったものの誤って「不老」の方は叶えられず、肉体がシワシワに萎んでも死にきれなくなってしまったキャラクターだという(余談だがこのクーマエのシビュラについては、かつて里見氏がサルベージされた「座右の銘」の典拠である『悲しみの歌』を書いたオウィディウスの『変身物語』にも同様のエピソードがある)。
すでに頭が沸騰しそうであるが、まだまだこれくらいでメゲてはいけない。
パウンド(Ezra Pound 1885-1972)といえばエリオットの先輩的詩人でかつモダニズム、イマジズムをリードしたとして現在では同じように20世紀を代表する巨匠であるが、献辞があるのは『荒地』を編集(主に短く)したためだという(またまた余談になるが私は法月綸太郎『ノーカット版 密閉教室』(講談社、2002)のキャッチコピーすなわち宇山日出臣が法月に送ったというアドバイス〈長すぎる。もっと簡潔に。〉を思い出した……が、このノーカット版の刊行は2002年の刊行なので、2000年4月の『美濃牛』とは関係ないのだろう。余談をさらに続ければ『密閉教室』英題は「A DAY IN THE SCHOOL LIFE」で、ビートルズの「A DAY IN THE LIFE」と関係あるのだろうか。「A DAY IN THE LIFE OF MERCY SNOW」はここから来ているのだろうか。「ハサミ男の秘密の日記」の「著者絶賛!」というジョークは『密閉教室』講談社ノベルス版袖「著者のことば」にある自分はこの本を自分に捧げますなぜなら自分はこの本でデビューできるのだからピース云々という言葉と関係あるのだろうか)。エズラ・パウンドは俳句や漢詩に影響を受けた詩人でもあって、『美濃牛』の句会のシーンでも一度だけ言及がある。
『荒地』は五部に分かれ、冒頭の〈死にたいのよ〉〈四月は残酷極まる月だ〉〈ダー(ダダイズム)〉には『美濃牛』への影響を感じるが、中盤との関連はよくわからない。最終の第五部「雷が言ったこと」は、天瀬と美濃牛の対決シーンと読み比べると面白い。
エリオットは作品末尾に付加された自注の冒頭で(ちなみに1922年に『クライテリオン』創刊号に発表された際はこうした注はいっさいなくテクストのみが掲載されたという)、この詩は聖杯伝説を踏まえており、ジェームズ・フレーザー『金枝篇』(1890-1936)とJ・L・ウェストン『祭祀からロマンスへ』(1920)から主な影響を受けたと述べている(特にウェストン著は自分の詩の難解な個所について自分の注よりも理解が深まるとしている)。
『美濃牛』がもし聖杯伝説を踏まえているなら、作中の「奇跡の泉」が本物であったことはその一環だろう。この物語の基本的なパターンにおいては、騎士が「危険堂」(亀恩堂?)をくぐり抜けることで水がもたらされ、「荒地」は再生するからだ(そして「水」の主題はまた『鏡の中は日曜日』へと引き継がれる)。
それで引き続き、『荒地』の主要な元ネタとされているウェストン『祭祀からロマンスへ』(丸小哲雄訳、法政大学出版局・叢書ウニベルシタス、1985)と、エリオットが学生時代に文学的開眼を遂げたとされているアーサー・シモンズ『象徴主義の文学運動』(山形和美訳、平凡社ライブラリー、2006)を手にした。
そこで第三の衝撃。
象徴主義の文学運動』にはボードレールマラルメについて割いた章がそれぞれ入っている。シャルル・ボードレール( Charles-Pierre Baudelaire 1821-1867)といえば『惡の華』であるが、エドガー・アラン・ポー((Edgar Allan Poe 1809-1849)の英語作品をフランス語に訳した人物でもある(『象徴主義~』にはポー仏訳についてのボードレールの所感が引かれている)。ポーはオーギュスト・デュパン物の舞台をフランスに設定したが(ボルヘスは『ボルヘス推理小説』収録の一編で、ポーが自分にとっての外国を舞台にしたことでそこに幻想的な効果が生まれたと述べている――私はここでどうしてもポール・アルテを思いだしてしまう)、ポーは死後、海を超えたフランスで巨匠となった。

ポー、ボードレールマラルメ、エリオット。〈天才たちが、互いに影響関係を持っている。〉(『美濃牛』第一章5節)――これだけ見るとちょっと西脇順三郎ふうだが、ここにラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft 1890-1937)を付け加えるとどうなるだろうか? すなわち、ラヴクラフトはエリオットの『荒地』を受けて「荒紙」Waste Paperという詩(1922-1923?。詩集Alone in Space収録/邦訳は倉阪鬼一郎、『定本ラヴクラフト全集7‐2 詩篇国書刊行会、1986)を書いた(ちなみに『荒地』発表前の1920年に書かれた初期作品だから偶然だろうが、「詩と神々」という合作扱いの幻想掌編(定本版第二巻、文庫版全集第七巻収録)では、「クーマエのシビュラよりも愛らしい巫女よ」という一節のすぐ後に「神々は詩において人間に語りかける。やがて雷を放つものが語った」とあって、一瞬驚いた)。
このように見てくれば、エリオット、ラヴクラフトマラルメという選択は、決して気まぐれなものではない。さらにそこに連なるのは、ウィリアム・フォークナー(William  Faulkner 1897-1962)だ。いつ見かけたのかもう忘れてしまったが、ウェブ上である方が『鏡の中は日曜日』第一部の語りを、フォークナーの『響きと怒り』と比べていた。実際に『響きと怒り』の第一部の語り(知的障害を患った33歳のベンジャミン・コンプスン青年による)の邦訳と読み比べるなら、これはフラッシュバックを明朝体(現在)とゴチック体(過去)で書き分けるという点でその影響はほとんど疑い得ない(原文はレギュラーとイタリックによる書き分けなので、もっとわかりづらい)。『新潮世界文学41 フォークナー1』(1971)巻末の加島祥造による解説を引こう。

原題 The Sound and the Fury はシェイクスピアの悲劇『マクベス』のなかからとられている。(……)第一部で沢山のイメージの破片をちらばす手法は、T・S・エリオットの長詩『荒地』(一九二二)の方法を散文で遂行したものといえる。第二部の錯乱した意識の独白はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(一九二二)の手法を追いつめ徹底したものといえる。どの程度意識的にフォークナーが欧州の新しい文学技法を追ったかは不明だが、それなしにはこの突然変異は(……)

この記述だけだと足がかりとしては弱いかもしれないが、しかし、2007年に新訳された『響きと怒り』岩波文庫の訳者の一人に平石貴樹が並んでいるのも、私にとっては意味深く思われてくる。
最後にもう一人を紹介しておこう。
『文藝』2008年夏号のアンケートで、殊能センセーは「好きな小説ベスト3」の一つにジュリアン・グラック『シルトの岸辺』を挙げられている。グラック(Julien Gracq 1910-2007)もまた聖杯伝説を複数の自作で下敷きにした作家であって、『漁夫王』(1948)というその名もズバリの戯曲をものしたほか、デビュー作『アルゴールの城にて』(1938)、第三作『シルトの岸辺』(1951)などがそれにあたる。
すなわち、殊能作品に通底するものとして、本格ミステリとジャンル・フィクションが表層にあるのはもちろんのこと、その一段下に、モダニズムや聖杯伝説という隠された層があるらしい。これは何を意味するのか、それとも意味しないのか? 私にはまだよくわかっていないので、第一号では自信をもって書くことができなかった――いろいろと手を伸ばしていくのはそれはそれで個人的に面白いのだが、ひと様にお読み願うとなると〈素材に話を聞いてもしかたないだろう〉(「memo」2006年4月前半)という強度を超えられるのかどうかがわからない(「そもそもじゃあこの妙手って誰だ」と訊かれると……)。第二号を作るならおそらくこのあたりが課題になるんじゃないかと思われるのだが、素人がニワカ勉強で追えるようなものなのかが心配だ。

それにしても、以上のようなことはすべて、〈「私にまさる妙手」に敬意を込めて〉というたった一行の参照元から始まったことだ。こうしたことは著作のどこにも、また公式サイトにも書かれておらず、いよいよ「サンプリングソースはすべて明記することにしてます」(「memo」2000年11月)という発言は疑わしい。まあ、〈(マイケル・イネスの)作中には文学的アリュージョンが頻出する。しかし、これは文学趣味ではないし、ペダントリーですらない。たぶん「このくらい常識でしょ?」という気持ちで書いていたんだと思う〉(「reading」2001年3月26日)ということなのかもしれないが、作家の韜晦はえてしてストレートには受け取れないものだ(たとえばラヴクラフトが書簡で『ユリシーズ』を読んだとか読んでないとか書いて煮え切らないらしいというのを読むと、その後のボルヘスがいくつかの箇所でラヴクラフトを読むべきとか読まなくてもいいなどとノラリクラリ述べる煮え切らなさに重なって見える……こうした韜晦や無意識の道筋を外野からつけるために「作者の話は聞かない」という立場が必要なのだろうか)。
それにしても常識知らずの私にとっては、ヒロセユウイチさんという方が「il miglior fabbro」という一節を書き留めていなければ、まったくわからなかった(妙手? 将棋のことか? などとずっと思っていた)。

ヒロセさん、どうもありがとーございます。

 

荒地 (岩波文庫)

荒地 (岩波文庫)

 

 

【追記】

ここに書いたその日のうちに、ある方より、「私にまさる妙手」というのは寿岳文章訳だとご教示いただきました。確かに、ダンテ『神曲 煉獄編』の寿岳訳(今だと集英社文庫ヘリテージ版がある)を見ると、該当箇所にそう書いてある。そうか、元の『神曲』から持ってきていたのか! いやー、いくら『荒地』を探してもないわけだ……勉強になりました。

この訳語は種類によってホントに全然違うので、そのうち比較してみるかもしれません。