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襤褸は着ててもロックンロール

中村光夫『藝術の幻』

蔵書整理のために本棚をいじっていたら以前集めた中村光夫の本がいくつか出てきた。
中村光夫という人の著作は私は金井美恵子のエッセイから入ったのだが、これまでは読んでも意識が言葉の表面をつるつると滑ってゆく感じで、なかなかとっかかりを見つけることができなかった。もちろん鋭く戦闘的な人なんだろうなとは思っていた。他の作家たちによっていろいろと面白いエピソードを知ってもいた。しかしあの独特のですます調もあって、何かこう、痛切に身に沁みてくるというような感じが無かった。
最近たまたまシモンズ『象徴主義の文学運動』に続きこの本(講談社、1969)を手にして、私は初めて中村の言葉にガツーンとぶつかった気がした。元は『季刊藝術』の連載で(あとがきに古山高麗雄への謝辞がある)、一回30枚ほど。時評というか、その時々に見聞きしたものをマクラに自身の批評眼をさらりと開陳するという感じで、わりあい読みやすい。全編を貫く主題は明治維新以降の近代化と、そこにおいて作家たちが果たしていたある役割、そして現代まで引き続く日本近代文学の抱えた問題である。

たとえば冒頭の「戯作と私小説」でいえば。夏目漱石虞美人草』への正宗白鳥による批判(漱石の小説が「知識階級の通俗読者」に受けるのは、曲亭馬琴八犬伝のように古臭い「通常道徳が作品の基調になつてゐるのに基づくのではあるまいか」という批判)に対し、

ここで(正宗)氏が断罪の手段としてゐる馬琴との類似は、作家漱石にとつてそれほど致命的なものでせうか。馬琴に聯想させること、(江戸時代の)戯作者に似てゐることは、そのまま近代作家の資格喪失を意味するとおそらく正宗氏は信じてゐます。しかし、正宗氏自身が、その馬琴を少年時代に愛読し、彼によって文学に開眼してゐることは、氏自身がくりかへして書いてゐます。氏が青年期に、自然主義の影響をうけ、少年期に蒙つた文学的感化を否定するやうになつたのは事実であるにしても、この時代思想が、近代人の自覚といふやうな本質的なもので、一度その洗礼をうけたら、絶対にあともどりできないとは思はれないのです。(……)すべての文学者は、何らかの新しさをもつて世に出る以上、既成のものを何かの形で否定することから出発するわけですが、その際必ずその否定した相手から影響をうけます。その影響は、相手に似るまいとする努力からくるこはばりの形をとることもあります。明治文学と戯作の関係は、それにいたると思はれます。

明治日本に出発した作家の起点には戯作(江戸文学的なもの)の伝統があったにもかかわらず、作家たちはそれを切り捨てすぎた、という。この批判は自然主義批判へと通じてゆく。

文学の近代化に関する不可欠の要素であつたいはゆる口語体の文章が、ただ在来の文章の因習を破壊しただけで、それ自身が文章として自覚を把んでゐないといふ事実とも関連します。大体が口語文などといふのがをかしな言葉で、喋る言葉が書く言葉と厳密に同じだといふやうな国も、時代もあるわけがないのです。おそらく現代の青年によい文章とは何かときけば、事物や思想を「ありのままに」写した文章といふでっせう。まるで僕らの周囲の事物や事件、あるひは頭のなかで考へたり感じたりすることを、そのまま言葉にあらはすことが可能であるやうに。私小説の持つ、ある独特の真面目さ、作者と主人公が直結することからくる、彼らの自分自身へのアイロニーの欠如は、芸術を何か厳粛な人をたのしませてはならぬものと考へる風潮と相まつて、我国の近代小説に大きな害をあたへてきましたが、それは西洋の近代芸術の性格にたいする誤解にもとづく反面、戯作の名の下に批判された江戸小説に似るまいとする、いはゞマイナスの形の影響ではないか、それがはつきりでるのは、自然主義以後だが、すでにその兆候は、逍遙の否定の仕方にでてゐる、といふのがこの問題にかんする僕の結論です。

中村は日本の自然主義文学を強烈に批判したが、その要点は、作家が事実(小説の外部)を重視して小説の肝要である言葉自体の虚構性、物質性を疎かにしてきたからだという。

僕らが忙しいなかで、小説をよむのは、そこに日常の理を越えて、実生活ではみたす術を持たぬ或る感情を満足させるため、少なくもそれを期待してですが、困つたことに僕らはその「理」を越えるためには、日常生活を踏み台にしなければならないのです。主人公(英雄)の行為によつて、僕らの感情のカタルシスを行ふには、それが現実の世界の、少なくもそこで有り得る出来事と信じる必要があります。小説は、したがつて、散文の事実報道性を利用して、読者にそこに書かれたことを事実と信じさせながら、読者を彼ら自身の生活から誘ひだし、彼を架空の世界に遊ばせるといふ、二重の、矛盾した機能をはたします。(……)現実はこれを言葉で精細に表はさうとすればするほど、筆者の創作になつて行くといふ性格を帯びてくるので、現実の生き生きした再現とみられる文章は必ず仮構なのです。この意味から云へば、すべての小説は、仮構であり、私小説も例外ではないのです。私小説の名人がいづれも巧みな嘘つきであるのは、夙に宇野浩二が指摘してゐます。(「仮構と告白」)

「『よそ』と『うち』」でも重要なことを語っている。マイカーブームを眺めて。

車のなかで、家にゐると同様にのびのびと(不行儀に)ふるまつてゐる子供たちを見ると、「よそゆき」などといふ言葉は死語になつたと思はれます。家を一歩でれば、往来も電車の中もすべて「よそ」であつた我々にくらべて、どこにでも「うち」にゐるままで行ける彼らは、大人になつても、きつと違つた感覚を身につけるでせう。彼らには遊びに行く先は、海岸でも、旅館でもすべて「うち」の延長なのだとすると、「よそ」あるひは「公」はどこから始るのでせうか。

この日常にまつわるちょっとした観察は次のように大きく広げられる。

自由、民主主義、男女同権、平和主義など、戦後の社会の基礎とされてきた諸観念が、はたして、僕らの内面からの「欲求」であつたか、僕らはそのために闘つてきたかを自から問はざるを得ないのです。むろん、僕はそれが借りものであるから否定さるべきだなどといふつもりはありません。そんなことを云へば、僕らの生活様式自体が隅から隅まで借りものです。自由は不自由よりよいし、民主主義の社会は専制下より住み心地がよいし、平和が戦争よりましなのは、今更いふまでもありません。しかし、問題はこれらの生活の柱となる観念が、内的な「欲求」の産物ではなく、外から与へられたものであることが、僕らの精神に及ぼす或る微妙な影響です。(……)内的なものが外部を動かす手がかりを持たず、精神に許されるのは、自分の論理を無視して、外部に適応することだけになれば、その疎外感は深まらざるを得ません。現代人の間では、外界にたいする適応とともに反抗も一般的です。しかしその両者が、ただ方向が逆なだけで同じ浅さで行はれるため、内界と外界との間の隔壁を破ることはできないのです。それができるのは、おそらく文学だけです。かういふと唐突のやうですが、言葉は元来人間の内部と外界をつなぐものであり、文学はこの新たな機能の確認です。文学史に名をとどめる作品が、それぞれの時代の精神を窒息から救ひ、その姿を新しい形に彫りあげたものであることは云ふまでもありません。それは外界に我々の内面の存在を与へることであり、意識されない何かを呼びさますことなのです。

この辺の感覚は、シモンズと通じるものがあって、さすがフロベールの訳者というところ。しかしそうすると言外に次のようなことも思い浮かぶ。すなわちこの伝でいくと、「ですます調」というのはふつう「よそゆき」の言葉だが、中村がですます調で通したのは、以上に述べてきたようなことの実践ではないか。

この本で中村が一貫して問題にしているのは、人の内部と外部の結節点としての言葉である。なぜ言葉とりわけ文学が重要なのか。それは人が言葉を通して内部と外部の疎外状況から回復されるからだ。明治維新と第二次大戦敗戦の直後、日本では過去を振り返ることがタブーという風潮になった。しかし外圧に屈服ないし便乗して過去(伝統)を完全に捨て去ろうとする時、何かが疎外される。そしてそれはのちのちまで祟る。この状況を回復するために、内部と外部を結ぶものとしての言葉の開発が要請される。明治におけるこの格闘の先駆者として参照されるのが、坪内逍遙であり、二葉亭四迷であり、北村透谷であり……おおむね悲劇(失敗)として演じられたその試みの可能性が未だ終わらざるものとして、敗戦後の現在(1960年代)に召喚される。

と、こんなふうに、近代日本文学史における問題、当時の論争の整理、その現在的意義などがよどみなくほとんど明晰に展開されてゆく。連載終盤は奇しくも1968年で、「明治百年」が言われた年だった。その最中に、たとえば二葉亭四迷を論じた翻訳論「文学における外国」や、ハワイに滞在しながらアメリカと日本の結節点を論じた「非文学的風土」などは、この本全体を生き生きしたものにしている。

たぶん今回私が「とっかかり」を見つけられたのは、そうした問題意識がこの十年ほどでなじみになっていたからだと思う。二時間くらいで通読してしまったが、初めて中村光夫のエモーションを感じた。

来年は2018年、この本の内容からだいたい50年後にあたる。こうした問題意識は文芸批評的にいってもしかすると言い古されたものと感じられるかもしれないが、しかしまさにそうした忘却こそがここで問われている以上(中村光夫の本が現在どれだけ読まれているだろうか)、私は、立ち返るべき参照点、終わらざる初心を感ずる。

ローレンス・スーチン編『フィリップ・K・ディックのすべて』

フィリップ・K・ディック著/ローレンス・スーチン編『フィリップ・K・ディックのすべて ノンフィクション集成』(飯田隆昭訳、ジャストシステム、1996)を読んだ。微妙なタイトルだが原題はThe Shifting Realities of Philip K. Dick: Selected Literary and Philosophical Writingsで、主に自作に関するエッセイや講演録を集めたもの(ディックが晩年個人的に書き続けた「釈義」と呼ばれる8000ページにおよぶという思索ノートの抜粋は翻訳からは除かれている)。

この本を通読すると、目立ったモチーフをいくつか見いだせる(特に第五部の講演録は、いずれもそれなりのボリュームがあり、なかなか読み応えがある)。

カネにならないながらも書き続けているSFというジャンルへの愛。

われわれを魅了する何がSFにあるのか?SFとは何か?SFはファンを、編集者を、書き手をしっかりとつかんで離さない。しかし、誰もこれで金銭をつかむことはできない。(……)私にとって重要なのは、書くこと、すなわち小説を作り出す行為だ。なぜなら、小説を書いているそのときは、書いている世界の真只中に私はいるのだから。この行為、この世界こそ、リアルに感じられる。書き終えてこの世界から永遠に離れると、私は滅びる。作中の男女は語るのをやめる。もう彼らは動かない。(……)生活のために書いてはならない。それなら靴紐でも売ったほうがいい。諸君は生活のために書いたりしないように。私は自分に約束する。もう小説は書かない。ついには自分と切り離される人びとをけっしてふたたび脳裏に描くまいと。こう固く自分に言い聞かせるが、密かに、慎重にまた小説を書き始めるのだ。(「疲れたSF作家が深夜に書いたノート」1968、72)

ソクラテス以前から続く哲学的伝統を受け継いでいるという強い自負。

かなり早い時期に大学をドロップアウトしてものを書きはじめたから、哲学の勉強は独学です。主に読んだのは哲学ではなく、詩でしたね。イエーツとワーズワース、十七世紀の形而上派の詩人たち、ゲーテ、それからスピノザライプニッツプロティノスのような代表的な哲学者。プロティノスには大いに影響されましてね。早くから私はアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドベルグソンを読み、純粋哲学とはいえない学問にも精通していました。カリフォルニア大学バークレー校で哲学の基礎コースをとったんですが、プラトン哲学のプラグマティックな価値について質問したところ、このコースはとるなと勧告されましてね。ソクラテス以前の哲学者、なかんずくピタゴラスパルメニデスヘラクレイトス、エンペドクレスにはつねに惹かれていました。私は、クセノファネスが神を見ていたように神を見ていたのです。哲学への関心は、徐々に神学への関心に移行していきました。古典時代のギリシア人のように私は超神霊術を信じるようになったのです。哲学における形而上学体系すべての中で、私はスピノザの「神イコール実在、イコール自然」というテーゼに最も共感を寄せています。(「哲学を語るフィリップ・K・ディック、フランク・C・ベルトランとの短いインタビュー」1980、88」)

独自の宇宙=神感覚。

あるアイデアなり思想が、文字どおり生きているとはどういう意味なのでしょうか?人間の歴史の流れの中で思想が現実化するために、思想はそこかしこで人間をとらえて利用しますが、これにはいかなる意味があるのでしょうか?ソクラテス以前の哲学者たちが、宇宙は思考する巨大な存在だと考えたことは正しかったかもしれません。宇宙は思考する以外何もしないかもしれないのですが、その場合、私たちが宇宙と呼ぶものは単なる仮装の一形態であるか、汎神論に基づくある種の変形物のどちらかなのです。私としては、宇宙は私たちが日常経験している世界を狡猾に模倣していると考えたいと思います。私たちはこうしたことが少しもわかっていません。(「この世界が悪いとわかれば、他の世界を見るべきだ」1977)

新人作家へのアドバイスも面白い。

(「リアルな」登場人物が展開する言動、効果的な会話を書くことに関して、新人作家にどんなアドバイスができますか?)

「質の高い」文学作品、とくにネルソン・オールドグレン、ウィリアム・スタイロン、ハーバート・ゴールド、いわゆる「ニュー・スクール派」の作家の短篇を読むこと。そしてドス・パソスリチャード・ライトのような三〇年代のすぐれた左翼作家、さらにさかのぼってドライサー、ホーソーンも。とにかくアメリカの作家(むろんヘミングウェイガートルード・スタインを含む)に固執しなさい。リアリスティックな対話を生んだのは彼らだ。フロベールのようなフランスのリアリストのものを読んで、プロットと性格描写を学びなさい。プルーストなどの主観的すぎるタイプの作家は避けること。ジェイムズ・ジョイスの初期の短篇から『フィネガンズ・ウェイク』にいたる全作品を、必ずじっくりと研究すること。(「ザ・ダブル・ビル・シンポジウム」1969)

そして、現代社会への批判と、若者への信頼。

ジョージ・オーウェルが想像した全体主義社会はすでに到来しているのでしょう。政府はオーウェルが予測したことをまさに実行しようとしています。かくて権力が存在し、動機が存在し、電子工学のハードウェアが存在していますが、それだけでは意味をなしません。なぜなら、誰も耳を傾けようとはしないからです。現代の若者は本は読まないし、落ち着きもなく、ぼけっとしていて、もの覚えも悪い。権力者の号令も彼には空しく響くだけです。彼は反抗しますが、理論やイデオロギーからではなく、利己主義から反抗するのです。(……)空恐ろしいテクノロジー社会の出現、これが夢に見た未来です。この身の毛もよだつ悪夢の世界の到来を阻止できる者が現れるとは、とても考えられませんでした。非行少年たちがその小さな魂にひそむ歪んだ悪意をもって、こんな社会を流産させることもありうるとは思いもおよばなかったのです。神よ、彼らに祝福を。(「アンドロイドと人間」1972) 

こうした若者への信頼は、文化大革命クメール・ルージュ北朝鮮の出現を経た現在の目にとっては、ストレートすぎるように思われる。しかし、それを信頼するディックのパッションには、疑いえないものを感じる。

ディックが死んだのは1982年。ソビエト崩壊前だ。だからしばしばよくあるように、文中の未来年表では21世紀にいたっても米ソの対立は続いている。収録作中、第2次大戦で枢軸国が勝利したパラレルワールドを舞台にした歴史改変ものとして評価を受けた『高い城の男』の続篇として予定されていた断章を読むと、その頃のリアルを感じた。当時、「私」という個人がいわゆる西側と東側のどちらかに生まれるかはまったくランダムネスである。「この私」が「今、ここ」にいることの必然性など、どこにもなく、それは交換可能だ。だから、ナチスワールドの内部において、連合国が勝利した歴史がパラレルワールドとして語られる時、「あちら」と「こちら」は「交換可能」だということのリアリティはぐんぐんと鮮明さを帯びる。ほとんど、『ドン・キホーテ』第二部において虚実の裏返るのに匹敵するほどの鮮明かつ異様な感覚、すなわちリアルだ。

実現しなかったアクションドラマ用の梗概(冒険活劇のストーリーに例のディック的どんでん返しが組み込まれた)を読むと、私は今年の二月に観た映画『沈黙 the silence』を思い出した。二人の神父が敵地へと乗り込んでいくあの映画では、捕まってからはほとんどが長い対話シーンが締める。この対話=言葉において、主人公の行動の意味はまるきり変わりうる。たとえば、信教の自由というまごころ(と主人公が信じているもの)から発した行動を貫徹しようというふるまいは、「キリスト教信仰の布教など、ポルトガルの日本侵略を優位にするための手先ではないか」という陰謀説に立てば、その意味を百八十度変えてしまう。最終的には、棄教という転轍によって行動を変えながら自身の精神が現す意味自体は保つという内面の論理のアクロバットが主人公によって示される。そしてそうした登場人物たちの葛藤を眺めているのは、もはやキリスト教信仰が危険でないものとなった社会における劇場の中の「私」なのだ。私は今、安全な立場から眺めているが、安全でない立場から映画を眺めている人間もいるだろう。そして未来において何が多数派を占めるかは、誰にも決定できない。つまり、未来には底がない。
別の例でいえば、たとえば今や常識となった北朝鮮による日本人拉致被害は、90年代にはまだ陰謀論的な響きを帯びていた。すなわち、あまりにも荒唐無稽なために、マトモな政治言説として社会的な言論空間において問題にすることは危険だった。しかし、それは現実だった。2002年のあの狂乱を、この数日、思い出す。

こうした、絶対的にすがるもののない空間においてどのように足場を作っていくべきかということのリアルについて、ディックの言葉に触れると、目を覚まさせられる(いやそれは本当に覚まさせられたのか、ということも含めて)。

この翻訳はあまり評判がよくないらしいが、特に何の断りもなく何度も出てくる「テッド・スタージョン」とか、ラヴクラフトが書いたという「チャールズ・デクスター区の怪奇な事件」などというような表記は、私にも目についた(デクスター区ってどこだよ!)。

 

フィリップ・K・ディックのすべて―ノンフィクション集成

フィリップ・K・ディックのすべて―ノンフィクション集成

 

 

たとえばポップミュージックにおいて、日本語だとこなれない表現も英語だとストレートにいえる、という事態がある。仮に「ラブアンドピース」という語を思い浮かべてみる。なぜ「愛と平和」だと(なんか違う)ということになってしまうのか。なぜアルファベットなら意味の重さを感じずに、透明な気もちで発語できるのか。それはたぶん、「愛」とか「平和」とかいう語が、実は日本語としてまだまだこなれず、用法のバリエーションが開発されていないために少なすぎる(使われる場が限られている)、書き言葉的であって話し言葉的ではない、ゆえに個人の日常感情のリアリティを語が受け止めてくれない、ということではないかしら。

ある文芸同人誌の表紙が女子高校生のイラストを採用していた時、似たようなことを感じた。内容とあまり関係ないように思われたからだ。なぜ女子高校生の絵だと今風で「無難」なのか。それを「無難」と感じさせる環境は何か。

もちろん個々の事態にはそれを可能にするいくつかの条件が絡まり合っているはずだが、時折、基底が露わになって、環境の透明さが濁る。そのとき、自分は呼吸をして生きていたのだと初めて気づくように、自分を取り囲むモノへの違和へと意識は仕向けられる。

アーサー・シモンズ『完訳 象徴主義の文学運動』

T・S・エリオット『荒地』からの流れで、アーサー・シモンズ『完訳 象徴主義の文学運動』The Symbolist Movement in Literature(山形和美訳、平凡社ライブラリー、2006)を読んだ。エリオットは学生時代、この本でジュール・ラフォルグを知ったことから重要な文学的開眼をしたというのは有名なエピソード。実際に翻訳者の山形和美も、当初は『荒地』への関心からこの本を手にしたと書いている。「完訳」とあるのは版(初版は1899年、第二版は1919年)によって内容に増減があるからで、このバージョンは邦訳書としては初めてすべて網羅したもの。これまでにもいくつかの日本語訳があるが、最初の岩野泡鳴『表象派の文学運動』(新潮社、1913)以来、日本文学史でも少なくない影響を与えてきたという(漱石も原書を読んでいたようだ)。
この完訳版で紹介する作家は次のとおり。
 オノレ・ド・バルザック
 プロスペル・メリメ
 ジェラール・ド・ネルヴァル

 テオフィル・ゴーチエ
 ギュスタヴ・フロベール
 シャルル・ボードレール
 ゴンクール兄弟
 ヴィリエ・ド・リラダン
 レオン・クラデル
 エミール・ゾラ
 ステファヌ・マラルメ
 ポール・ヴェルレーヌ
 ジョリス=カルル・ユイスマンス
 アルチュール・ランボー
 ジュール・ラフォルグ
 モーリス・メーテルランク

以上のように、19世紀の主にフランスの作家たちを紹介したもの(シモンズ自身はイギリス人)。

作家を一章につき一人ずつとりあげていくスタイルで、執筆時の時間も場所もバラバラに発表されたのを集めたものだから、理論的著作というより、小伝ないし交流のあった作家に関するポルトレやエッセイという感じ。収録作家に私のなじみが薄いこともあって、個所によっては空疎に感じられるところもあれば、「自分なりの思考」による熱いエモーションを感じる個所もある。しかしそんなふうに厳密でない独断のユルさがあるからこそ、ある共通点を横断的に見いだしていけるという利点がある。それはシモンズ自身がある核心を強く持っているからだ。そうした横断的な簡潔なガイドとして読むと、なかなか面白い。
中でも目立つのはゾラで、始めからおしまいまで批難ばかりが連ねられ、じゃあなぜとりあげたんですかといいたくなるほどだが、フロベールが人物の簡潔な描写によって心情を間接的に効果的にサラリと醸し出すのと同じ時、ゾラはまさにその効果的な描写だけは絶対にせずに部屋の家具の材質なんかをえんえんと書き連ねているだろう、といった悪口は芸があって笑う。
シモンズにとって象徴主義の文学とは何か。それは〈可視的な世界がもはや実体ではなく、また不可視の世界がもはや夢の世界ではない〉ものだ。形而上的な世界(不可視)が記号(可視)によって表現されたもの、といってもいいかもしれない。ロマン主義との違いはたぶん、この「記号」性の重視にある。
結語の〈この世において完全に幸福になれる唯一の機会は、心の眼を閉じ、心の聴覚を殺し、未知なるものを理解する心の鋭敏さを鈍らせることに私たちがどれほど成功するかに存する〉でいう「幸福」とは、文学的幸福のことではなく、現世的利益のことだろう。つまり、これはシモンズの「火星人」宣言といっていい。実際、紹介される作家はみんなけっこうアル中になったり入院したりしている。シモンズ(1865-1945)自身も40代で精神不安定で入院しているし(1908年、旅行先で保護されたという)、エリオットも『荒地』を書いたのは療養生活中だった。心眼でモノが見えてしまう人物たちだからこそ現実生活の中ではどうも調子が悪くなってしまう、という感じでしょうか。

 

完訳 象徴主義の文学運動 (平凡社ライブラリー (569))

完訳 象徴主義の文学運動 (平凡社ライブラリー (569))

 

 

『立ち読み会会報誌』第一号についてのその後の情報

文学フリマでの販売以来、おかげさまで好評いただいております。

お読みくださった皆様、ありがとうございます。

 

  

特に、磯達雄さんとelekingさんに読んでいただけたのは、励みになりました(elekingさんはこの後、『黒い仏』の執筆時期に関する作者本人からの貴重な証言もご紹介されています。これが知れただけでも作って良かったな、と……)。

岡和田晃さんには いま発売中(おそらく12月7日頃まで)の週刊書評紙『図書新聞』2017年12月9日号の連載「〈世界内戦〉下の文芸時評」に取り上げていただいたので、衝撃を受けました(この連載はよくある文芸時評と異なり、大手版元の文芸誌&単行本以外の作品もガンガン紹介してゆくIN&OUTの量が異常なワイルドな連載です)。

前回、盛林堂さんに委託した分が、初日の三時間くらいで品切れになってしまったようで、私の手許にも少ないため、再販しようと考えています。

で、誤植を直すと結局印刷費が新刊と変わらないので、文フリ会場で「海賊版」として作ったコピー誌の内容を中心に(全部ではなく)多少増補した「改訂再版」にできないかと考えています。

しかしながら、それだと早々に初版を買っていただいた方に申し訳ないので、

・増補した内容はこのブログで公開する

・再版の方は10頁ほど増えるので、200円くらい値上げする

というような方向で検討しております。

詳細が固まりましたらまたここでお知らせします。

今後ともよろしくお願いします。

梶龍雄『浅間山麓殺人推理』

梶龍雄『浅間山麓殺人推理』(徳間文庫、1988/『殺人への勧誘』光風社ノベルス〉、1984の改題)読み終わり。
これはいつもとは趣向が変わっていて、枠物語ふうになっている。冒頭、浅間の山荘に集められた男女五人がいきなり銃で狙撃される。彼らはみな、殺し屋で邪魔者を消したという過去をもっていた。山荘の外に飛び出すと銃で狙われるので、殺し屋の正体は誰か、なぜ今回「客」が集められたのか。というナゾを解き明かすため、彼らはひとりひとり順繰りにエピソードを語っていく。作品はこのエピソードが大部分をしめ、語り終わると各話間のつきあわせ作業が始まり、一悶着を経て、ある真相が浮び上がる。
カジタツ印だけあってそれなりに面白いものの、語られるエピソード(内部)とそれを取り囲む枠(外部)とのつながりがアッサリした感じで、濃い味付けに慣れた身にはどこか物足りなくもある。それは、語りとファクトの関係の問題だと思う。何人かが一箇所に集まってエピソードを順々に披露する。これは古来からある由緒正しい文学形式である(プラトン『饗宴』、ボッカチオ『デカメロン』、チョーサー『カンタベリー物語』、カルヴィーノ『宿命の交わる城』……)。本作ではもちろん、中に信頼できない語り手がいて、登場人物たちは語りの表面に露頭したその矛盾点をついていって、真相を追究するのである。ふだんのカジタツなら、探偵役はいろいろと調査を重ね、固いファクトを積み上げた上で「怒涛の伏線」を回収していく面白さがあるのだが、しかしエピソードを基に推理するとなると、どこか心もとなくなってしまう。それよりもこうした趣向なら、エピソードの内部と外部の関係を過激化(つまり叙述トリックふうにということですが)したほうがインパクトがあるし、実際にそういう作例をこれまでいくつか読んできたような気がする(たとえば岸田るり子『出口のない部屋』)。これはどちらが良い悪いではなく、単に本作の場合、いま読むとアッサリして感じられるな、ということです。なにせ過去のエピソードをたった一日に凝縮して、各人の話が終わったとたんすぐ解決編に移ってしまうのだから(冒頭から結末までの作中の時間経過はわずか半日しかない)。しかし、もし「枠物語」を安楽椅子形式の団子化とでも捉えるならば、それと「本格推理」との関係については、もしかするとまだまだオモシロイ問題を秘めているのではないかと直観的に思った。

 

浅間山麓殺人推理 (徳間文庫)

浅間山麓殺人推理 (徳間文庫)

 

 

なぜかはわからないのだが、自分が中高生くらいのころに若手として何冊か書いていた日本の作家の小説を突発的に読み返したい衝動に駆られている。竹野雅人とか引間徹とか清水博子とか。作品数が少いから(未収録ものも含めて)、全部読んだらここに何か感想を書くかもしれません。