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立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

memoの再読は長い中断を挟んで2006年半ばまできた。6月前半に、『DEATH NOTE』の映画化についての記述がある。

DEATH NOTE」が藤原竜也主演で映画化されるそうな(金子修介監督、2006)。
日本映画界には「人殺し高校生役は藤原竜也」の法則があるのかな。実際、アイドル系の本物の少年は、事務所的に不可なのかもしれない。

これが9年前のことで、藤原竜也は今年33歳。当り前だけど、藤原竜也も歳を取るんですね。

去年出た渡辺守章訳の『マラルメ詩集』の訳者あとがきに〈プルーストがどこかで書いたように「文学の言語は母国語に対して外国語のようなもの」だとしても〉という一節があり、プルーストのそれこそ見慣れたこの言葉が新しく立ち現れた思いがした。
何度か引用したけど、福田恆存の『オイディプス王』の解題に〈一筋の道は往く時に眺めた家並と全く同じものだと知っていながら、還る時にはその同じものがいずれも初めて見るがごとく新鮮に見える。どれもこれも「知ってはいても知らない」のだ〉という一節がある。
穂村弘が「ミステリーと詩は双子なんじゃないか」と書くhttps://twitter.com/anatataki/status/447563260414287872ように、驚きと詩の根はこういうところにあると思う。
見慣れた言葉が「知ってはいても知らない」ものとして現れるということをもし押し進めれば、その時、日常は異国のように、自分は他人のように現れてくるのではないか。