立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

「memo」におけるロス・マクドナルド関連記述

11月23日の東京開催の文学フリマに出展する予定で、殊能将之センセー関連のあれこれをいま、読み返しています。

するとそのうち、自分がかつてここ

読書日記ページ「reading」は原書の紹介がメインで、邦訳された本の感想については、通常の日記ページ「memo」に記されることが多かった。そうすると、600枚に収まりきるような分量ではない……。

 と書いたことをフト思い出し、「memo」から小説・映画・音楽関連の記述だけを抜粋していったら、2000枚くらいあった(古川日出男『聖家族』くらいですね)。

ボリュームとしては『殊能将之読書日記』の三倍強。関連する内容も多いから、講談社様におかれてはぜひ続篇として出していただきたい。『読書日記』は少なくとも一度は重版したそうだから、いけるんじゃないかなあ(読んでいるとまあ、面白いとはいえ、個人的にはどうも心の中にむなしい風が吹き過ぎてしまうことは否めないのですが、……)。

ところで『読書日記』といえば、本文最終部のロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』に関する分析がリンク切れして入手できないということがありました。私も記憶がおぼろげなので、もし保存していらっしゃる方がいたらぜひ拝見したいなあと思います。

↓の個所ですね。

 ジャック・ヴァンスのThe Anome(1971)冒頭に、The Chilitesというソウルグループみたいな名前の宗教集団が登場する。

 これは女性嫌悪の宗教で、メンバーは男性のみ。いずれも10代の頃に母親から引き離され、全身消毒されたあと、生涯女性と接触せずに暮らしている。
 さて、The Chilitesはどうやってコミュニティを維持するのか? 生涯女性と接触しないのでは、The Chilitesの子供は産まれないはずだ。
 答え。街道沿いに女性たちが店を開いていて、通りかかる旅人とセックス(要するに売春)して子供をつくる。男の子の場合はThe Chilitesに加入する。女の子の場合は店を引き継ぐ。
 確かに女性嫌悪の宗教コミュニティを維持するには、これしか方法はない。エレガントな解答である。
 こうしたエレガントな解答を小説化すると(つまり生身の人間によって演じさせると)、異常な設定に見えたり、どろどろした人間関係が生まれたり、イヤな話になったりする。わたし流の形容をすると、これがロスマク理論である。

 ロス・マクドナルドは主に性愛関係とそれに基づく親子関係をもとに人物どうしを関係づける。その際の方針は完全性(関係づけられるところはすべて関係づける)と対称性である。
 こうしてできあがった人物関係グラフを小説化すると、家庭の悲劇が生まれる。なぜなら、性愛関係とそれに基づく親子関係によって結びついた集団を親族というからである。
 以下、最高傑作『ウィチャリー家の女』(小笠原豊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)のネタバレを含む分析([リンク切れ→http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/Reading/wycherly2.html])。(「reading」2009年6月27日)

ロス・マクドナルドについての記述は、memoにもいくつかあります。たぶん、下記のような親族構造に関することが書かれていたんじゃないかなあと思います(時期も近いし)。

こうしたネタバレ分析のことごとくリンク切れなのが残念なので、何かご存知の方はご教示いただけましたら幸いです。

 人間どうしを関係づける方法はいくつも考えられるが、ロス・マクドナルドは主に性愛関係とそこから生じる親子関係を用いた。彼の作風がしばしば「家庭の悲劇」と呼ばれる理由はそこにある。
 ロス・マク作品の登場人物たちは、時には「ここまでやらなくてもいいだろうに」と感じられるほど、複雑に結びつけられている。おそらく最も複雑なのは『別れの顔』(菊池光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)だろう。人物相関図を描いてみればわかるが、その入り組み方たるや、パラノイアックにすら感じられるほどだ。
 ところで、現在ではロス・マクが思いつかなかった(あるいは思いついても時代の制約から採用できなかった)関係づけが許されている。
 この関係づけには、いくつかの利点がある。
 第一に、「接着剤」(佐野洋)を用いなくてもいいため、何人かの登場人物を省くことができ、人物相関図をいわば「縮約」できる。
 第二に、「奇偶性」が消えるため、関係づけの自由度が増す。たとえば、従来の三角関係にはふたつの結びつきしかなかったが、現在は三つの結びつきを与えることができる。
 かつては、第三の利点「新たな関係づけが一般的ではないため、読者に意外性を与えることができる」があったのだが、これはいまやさほど利点ではなさそうだ。新たな関係づけがごく一般的、日常的なものとなったからである。(「memo」2006年1月後半)

 

 瀬戸川猛資氏の「ロス・マクドナルド本格ミステリ作家である」(『夜明けの睡魔』創元ライブラリ)という宣言は、いまやほぼ定説と化している。次はそろそろ「ロス・マク横溝正史説」が定着するんじゃないか。
 わたしの知るかぎり、この説を唱えた人がふたりいる。
 ひとりは瀬戸川猛資氏だ。確かなにかの座談会での発言で、もちろん「ロス・マク横溝正史のようにおもしろい」という趣旨。
 もうひとりは矢作俊彦氏で、こちらは「ロス・マク横溝正史のようにつまらない」という趣旨なのだ。記憶をもとに大意を書けば、「ロス・マクは田舎を舞台にどろどろした家族関係を描いていて、あんなの横溝正史と変わらない。だからつまらないんだ」という発言だったと思う。
 このように立場が正反対ともいえるおふた方が同じことを言うのだから、この説はたぶん正しいんじゃないかと思う。(「memo」同)

 

ロス・マク横溝正史説」が正しいとすれば、『ウィチャリー家の女』(小笠原豊樹訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)は実は『ウィチャリー家の一族』なのか。
 しかしながら、この小説のタイトルは『ウィチャリー家の女』でなければならない。ネタバレありの理由はこちら[リンク切れ→http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/wychery.html]。

「人間を殺す方法はいくつもあるが、人間をつくる方法はひとつしかない」とは、いったい誰の名言なのか。

 殺人と子づくりには、もうひとつちがいがある。すなわち、
「人間はひとりで殺せるが、人間をつくるにはふたり必要である」
 では、ひとりで子供をつくれるが、ふたりでないと殺人を犯せない宇宙人がいたとしたら、どうか。宇宙人のロス・マクドナルドは、いったいどんなミステリを書くんだろう?
 ……ということを思いついたことがあるんだが、こんなのネタにならないから、すぐに考えるのをやめた。フランク・ハーバートが書けば、おもしろくも難解な小説に仕上がるかもしれない。
 ひとつ言えるのは、「この宇宙人は自殺できない」ということですね。(「memo」同)

 

 わたしが「スルース」をそれなりに楽しめたのは、一時期、ロス・マクドナルド作品における人間関係の分析に熱中していたからかもしれない。
 わりといろいろなことがわかり、おもしろかったんだが、残念ながら新たな発想源にはならなかった。基礎研究はできたが、応用には至らなかったわけ。残念。
 せっかくの機会だから、ごく簡単にまとめておくか。(「スルース」をごらんになり、ロス・マク諸作をお読みになった方限定です[リンク切れ→http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/rossmac.html])。(「memo」2008年5月後半)

 

 英ニューカッスル大学のカリム・ナヤーニア(Karim Nayernia)教授がES細胞から人工精子をつくりだしたと発表。
 理論的には男女どちらのiPS細胞からでも精子卵子をつくりだすことが可能なはずで、ロスマク ver.3への道筋は着々とつけられつつあるようです。

「ふたりのあいだにできた子供」を「ふたりの遺伝子を共有する子供」と解釈するならば、同性間で子供をつくる方法は現段階でも存在する。
 男Aと男Bのあいだで子供をつくるには、男Aが女Cと性愛関係を結んで女Dを出産し、男Bが女Dと性愛関係を結んで子供Eを出産すればよい。子供Eにとって、男Aは祖父、男Bは父にあたるため、両者の遺伝子が受け継がれている。
 このネタは3、4年ほど前に思いついたが、相当いやな話になるから廃案にした。
 たとえば、こんな話。男Aと男Bは同性愛関係にあったが、別れてしまい、男Aは女Cと結婚して女Dを出産する。男Bは男Aのことを忘れられず、男Aとのあいだの子供が欲しくなり、女Dを拉致監禁して……(以下略)。
 いやな話になるにも関わらず、人間の心の闇とかとはいっさい関係ないパズル的な発想だから、読者は誰もこの動機に納得してくれないでしょう。(「memo」2009年7月前半)

 

 細田守は各種インタヴューで、デジタルネットワークと親族の類縁性を語っている(たとえばここ[→http://www.cyzo.com/2009/07/post_2341.html])。
 しかし、わたしの考えでは、親族は家族ではないし、ましてやデジタルネットワークではない。
 なぜなら、親族であることはやめられないからだ。
 夫婦は家族であっても親族ではないため、離婚することができる。デジタルネットワークは非公開に設定したり、アカウントを取りなおすことができるし、いっそのことケータイとパソコンを捨ててしまえば、完全に縁を切ることができる。しかし、親子の縁を切ることは(比喩的にしか)できない。

 実は「サマーウォーズ」にはある工夫がなされている。(以下、公式サイトの家系図を参照してください[→http://s-wars.jp/characters/images/chart01.jpg])
 篠原夏希の母雪子は陣内家の長男の娘だが、この長男夫婦(夏希から見れば祖父母)は登場も言及もされないどころか、名前と容貌すらわからない。つまり、設定上はつながっていても、物語上はここでネットワークが断絶している。
 逆の工夫もある。三男万作家の嫁である典子、奈々、由美は、栄の誕生会のため実家でかいがいしく働いている。指揮をとる栄の長女万里子は、まるで母親のようだ。しかし、世間一般ではこういう人を小姑と呼ぶ。
 なぜこういう展開が成立するかというと、典子、奈々、由美が万作の性格を反映しているからだ(一方、次男万助の娘である直美と聖美は万助の性格を反映しており、万助/万作が陣内家女性グループの大分類となっている)。三人は家族であっても親族ではない(離婚しようと思えばできる)はずなのに、あたかも親族であるかのような緊密なネットワークで結ばれている。
 篠原家の家族に対する親族の圧力は祖父母の不在により弱められる。一方、篠原家以外の親族は緊密に結びつき、ひとまとまりの「親戚のおじさんおばさんたち」を形づくる。この結果、夏希は親戚と戯れつつ、自由に行動できる。
 さらにいえば、夏希の両親(和雄、雪子)は他のキャラクターに比べるとかなり影が薄い。こうして恋人たち(健二と夏希)に対する家族の圧力も弱められる。
 本作では、こうした工夫があってこそ、恋愛=家族=親族を破綻することなくつなげられたのだと思う。(「memo」2009年8月前半)

 

 クロード・レヴィ=ストロース死去。
 あまり読んではいないんだけど、結局、最も斬新で間違いなく構造主義だったのは『親族の基本構造』のような気がする。

 わたしはレヴィ=ストロース「料理の三角形」の影響を受けた玉村豊男『料理の四面体』の影響を受けたから、いわば孫弟子にあたるのではないか。ちがうか。(「memo」2009年11月前半)

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