立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』

ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』(安藤元雄訳、白水uブックス、1989)。上京した夜に初めて買った本だから、九年近く前か。裏の見返しに「500円」というシールが貼ってあるが、この古書店ももうない。
グラック28歳のデビュー作で、1938年刊。はしがきで『ユードルフォの謎』『オトラントの城』『アッシャー家の崩壊』というゴシック小説の歴史的代表作を挙げて〈強力な奇蹟が動員されて、その鎖や、その亡霊や、その棺桶などが保持して来た呪いの力を、これらのかぼそい章句にいささかでも乗り移らせてくれるといい〉と願っているように、フランスの古い城(このアルベールというのは架空の地名だが)で起こるゴシック的雰囲気まんまんの幻想的な小説。特徴的なのは会話文がいっさい無いことで、城周辺でうごめく主に三人の様子の映像的な描写に賭けた感じは、ラヴクラフトロブ=グリエ(特に『嫉妬』)の間においてみると面白い。
冒頭、主人公の二十歳の大学生アルベールが長期休暇にこの城へやってくる。〈高貴で裕福な家柄の血を引く最後の一人〉で〈実に遅くまで、片田舎にある人里離れた塀の中に厳重に閉じこめられ〉、〈十五歳にして、あらゆる天与の才能と美とが彼のうちに花開くのが見られたが、パリでは誰もが類のない確信をこめて成功を約束してくれたのに、それへ背を向けてしまった〉。〈友人をほとんど作らなかったばかりか、とりわけ一貫して女性に目もくれ〉ず、〈ときたま、ことのほか貴重な材料をたっぷり盛りこんだエッセイだの、膨大な独自の資料に裏づけられた論文だの〉を書くこともある。彼はとりわけへーゲルに心酔している。〈弁証法こそはアルキメデスが嘲笑まじりに要求した、世界をすら持ち上げるあの梃子のようなものだと考えて、いまブルターニュの人里離れた屋敷に赴くにも、わびしい地方の、陰鬱で無味乾燥だろうとしか思えない日々をたっぷりと埋めるために、へーゲルの著書を運びこもうとしていたのである〉。
実際、文中にへーゲル『論理学』から引用される。

《(……)回復の原理は思考の中に、そしてただ思考の中にのみ、見出されるのだ。傷を負わせる手は、また傷をいやす手でもある》。喜ばしげな確信がこれらのページから飛び立つように見えた。
たしかに、アルベールがこれまでいつも敢然と殺しおおせて来た侮蔑的な自然の愛情ではなく、ただ認識だけが、彼を彼自身と永遠に和解させるのであり、彼が自分で間違いさえ犯さなければ必ずそうなる筈なのだ。《善と悪を知ることでおまえたちは神々のようになるだろう》というのが楽園追放の原因だったが、それがまた、あり得べき唯一の贖罪でもあったのだ。そして彼はさらに読み進んだ。《(……)子供の無邪気さは大いに甘美かつ魅力的であるには違いないが、その理由はひたすら、精神がそれ自体のために究極的に何を征服せねばならぬかを、われわれに思い出させてくれるところにある》。この堂々たる弁証法は、アルベールの不安に対する天からの答えのように思われた。つまりは認識だけが解放をもたらすのだ。本質的な、生きた認識だけが。アルベールは胸のうちで自分の引き籠もりがちな学究生活をふり返って、それを誇りとともに全面的に正当化した。だがいま彼がその生活を移した、この新しい荒涼たる場所が、すでに彼の心のロマンティックな琴線を強く揺さぶっていたからこそ、早くも自己正当化の必要が生じたのではなかろうか?

いやー、いけ好かないヤツですねー。田舎の屋敷で長期休暇(四ヶ月もある!)のあいだ、城の管理人の他は誰とも接触せずにへーゲルを読んで世界の真理を掴もうと一喜一憂する大学生アルベールくん(って、そりゃ幻想ぐらい見るよ!)。彼のもとに、予告どおり親友エルミニアンがやってくる。親友はもう一人誰か連れてくるということだったが、それは美人女子大生ハイデだった。もちろんこの後からは主に会話文の一切ない三角関係……陰鬱なキャッキャウフフ劇がくりひろげられるわけです。

先のへーゲルの引用箇所がおそらく象徴的になっていると思うのですが、このアルベールは騎士役です。エルミニアンは漁夫王役にあたるらしく、しかしこの二人は実は同一人物ではないかとも読める。「深淵の礼拝堂」でエルミニアンが深夜に弾くピアノを聴き、「森」でなぜか全裸のハイデを見つけエルミニアンが姿を消したあたりから、物語のトーンは一変します。男女二人でしばらく過ごしたあと、〈荘厳な死化粧をほどこされた瞼を見せて、エルミニアンがすぐ近くに横たわっていた〉のを見つける。エルミニアンが療養生活を送る中、記述はいよいよ幻想味を極め、聖拝伝説の図式へと接近します。そして今度はハイデが……。
と、こんなふうに、聖拝伝説にゴシック要素(しかも長くねちっこい映像的描写)とへーゲル要素を加えるというヒネリが、新味だったのでしょうか。この処女作をガリマール社にもちこんだところ断られたため、もっと小さい版元から自費で出したものの150部しか売れなかったといいます。中盤の三角関係自体は今の目ではチトこっぱずかしくもない感じで、ムズムズしてくるんですが、先述したように描写がキモとなっていて、プルースト以後ロブ=グリエ以前ということを考えるとなかなか面白い。たとえば冒頭、城に入る場面。

数えるほどしかない開口部の形状と配列も、負けず劣らず目を驚かせた。階という概念、今日ではおよそ調和のとれた構築物の概念からほとんど切り離せなくなっているこの概念が、ここではまったく締め出されてしまっているように見える。城壁にあいているわずかな窓は、上下の位置がほとんどどれもこれも不揃いで、内部の配置の奇妙さをうかがうに足りる。下の方の窓はいずれも低く平べったい長方形を見せているが、これは建築家が、昔の城塞で火縄銃の射撃に用いた狭間のデザインからヒントを得たものであることが見て取られる。これらの細長い割れ目は、その縁を色のついた石で飾るわけでもなく、まるで無気味な通気孔のようにむき出しの壁に口をあけている。

読み進めるに際し、こうした描写をうまく乗りこなすと、設定自体は実は、田舎の城での幻想的な三角関係、という、新本格的でもあるわけですから、割と楽しめると思います。いま、岩波文庫版が出ています。