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襤褸は着ててもロックンロール

ミステリについて、つらつらと

北村薫のエッセイ『ミステリは万華鏡』(角川文庫版、2010)を読んだ。
面白かった。
ミステリについて、非常に根源的な書だと思った。
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最近、ミステリについてつらつらと考えることが多い。
といっても、実作を読むのは以前に比べ少なくなった。この半年は月に一冊くらいのペースだろうか。
しかし、「ミステリとは何か?」と考える。それだけで楽しい。同じようなことを考えているファンにはわかっていただけると思う。
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ミステリは非常に沢山の読者を獲得している。だがいわゆる「文学的観点」からすると、軽く見られることも多い。「ミステリは<推理>小説である前に、まず推理<小説>であるべきだ」……などと言われると、以前よく「何をっ」と思った。自分でも、「いくらなんでもこれは安直では」と、読んでいて感じることもあるだけに、余計に。
たとえば去年の麻耶雄嵩『隻眼の少女』だ。素晴らしいと思った。真相はあの本にある通りらしいけど、まだ何かあるんじゃないかと、色々探りたくなる。
と同時に、第二部の文章は結構雑だと思った。リアリティの面から、本当かよ、と言いたくなる箇所もある。構図が、やっぱりそれかよ、ということもある。
だけど、読むとやっぱり、ミステリについて語りたい、考えたいという気持ちを強く掻き立てられるのも事実だ(エラリー・クイーンと関連付けて何かここに書こうと思ったが、クイーンをそれほど読んでいないので、断念した)。
私は別に、ミステリを特権的に位置づけたいわけではないし、面白ければどんな作品だっていいと思っている。ただ私にとって、形式性という点で、一番考えていて面白いのがミステリだし、何かしら恩を受けているとも思う。
要するに、「ミステリとは何か?」という、それ自体が一つの謎なのだ。
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少なくない人が、ミステリを「卒業」してゆく。あんなのに夢中になったのは、若かったからなんだと。馬鹿げて非現実的な、アイデア勝負の、子供だましの、慰みものの、時間つぶしに過ぎないと。
一方で、たとえば、少なくない文学研究者が、推理小説好きを自認する。広く、あるいはそっと。過去の推理作家を称える。ミステリについての本を書く。
これは何なのだろう。ずっと不思議だった。
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ここまでで私は、一般的な「ミステリ」と、「本格」とを、特に区別せずに書いている。今後、必要が出てきたら、書き分けることもあるかもしれない。
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というわけで、ミステリについてつらつらと考えたことを、しばらく続けます。