私がSQUAREPUSHERを初めて聴いたのは2002年の『DO YOU KNOW SQUAREPUSHER』で、そこから遡って二、三枚聴いたと思いますが、熱心に追っていたわけではないので、ドリルンベースを中心とした完全にデスクトップ・ミュージックの人だと思っていました。ところが去年再発されたインディー時代のファースト『FEED ME WIRED THINGS』の評判を見ると、「元々はジャズ出身のベーシストだった」などと書いてある。そこで冒頭のこの曲を聴いたところ、これにも相当に吹き飛ばされました。それまでジャズとドリルンベースというとまったく別系統の音楽ジャンルだと思っていたわけですが、そうではないということがこれを聴くとよくわかる。生物の進化上のミッシングリンクが見つかったような興奮を覚えました。SQUAREPUSHERの音楽上の特徴は元々手引きベースと電子音の融合であり、私が聴いた時期がたまたまベースを止めていただけで、順々に追っていた人からすると「それは話が逆だろう」ということになると思いますが、私は逆に辿ったことで不思議な新鮮さを感じたのです。
SQUAREPUSHERのバンド形態では初期のアシッドジャズ風の『MUSIC IS ROTTED ONE NOTE』もよかったんですが、電子音とバンド音を完璧に融合した『ULTRAVISITOR』(特に「CIRCLEWAVE」〜「TETRA SYNC」の流れ)は最高傑作に挙げる人も多いだけにさすがにすばらしかった。ところが「超絶技巧」をウリにした一人バンド『JUST A SOUVENIR』や、前述の『SHOBALEADER ONE : D'DEMONSTRATOR』になると、チープさのほうが際立ってしまう……(バンドってそういうものなのかなあ)というギモンが浮かぶのです。「超絶技巧」ということが逆に枷になっているのではないか。そんな気さえします。
私が小学生だった1990年代はいわゆるヴィジュアル系が全盛で、周囲の人間もみなよく聴いていました。というか、普通に生活していたら特に意識せずとも自然と耳に入ってきました。私はその中でもL'Arc~en~Cielが好きだったのですが、ヴィジュアル系とひとくちにいっても本人たちはそうカテゴライズされたくない、とか、音楽的な評価(あんなのは歌謡曲であってロックじゃない、というような評価)、とか、いろいろ複雑な問題があることも次第にわかるようになりました。とはいえ熱心に聴いていたわけではないので、DEAD ENDという伝説的なグループがいることを知ったのはつい最近のことです。いわく、インディー時代のアルバムはXに超されるまで売上枚数一位だった。いわく、L'Arc~en~Cielも黒夢もLUNA SEAもJanne Da Arcも直接的な影響源はDEAD ENDであり、トリビュート・アルバムでは参加するメンバーの調整が難しかった。
そこで聴いてみて、驚きました。70〜80年代のハードロックと歌謡曲と、のちのヴィジュアル系的なものとが、渾然一体となっていたからです。たとえば「EMBRYO BURNING」の歌い方は、うまいけどわざとあまり丁寧じゃなくしている(特にフレーズの終わりを)というか、ブッキラボーな感じで、ひとことでいえば昭和っぽい(今こんな歌い方をする歌手はいないでしょう)。ところが「I WANT YOUR LOVE」を聴くと、これはのちにHYDEが発展させる歌い方で、ところどころはもう完全にラルク。HYDEはどれだけ好きなんだよ、と思わされるわけですが、そこからラルクを(『DUNE』から)聴くと、(HYDEはこういう声でこういうメロディを歌いたかったんだなあ)というその研究ぶり、発展ぶりの凄さを思い知るのです。
「ASMRって何だろう?」と思って検索したら「Autonomous Sensory Meridian Response(自律感覚絶頂反応)」の略で、なんらかの心地よい感覚を引き起こす音響作品のことらしい。で、「10年くらい前に流行ったバイノーラル録音みたいなものか?」と思ったら、バイノーラルは手段に過ぎない一方、ASMRは感覚の方に重点がある概念なので、ASMRの方が懐が広くて混沌としているそうな。じゃあそれが小説とどう関係してくるのかというと、形式的にはASMRシナリオ風の表記(レーゼドラマのような台詞とト書き)のパートがあって、それが地の文に侵入してくる、というのが一つの読みどころになっています(部分的なレーゼドラマ風表記は過去の近現代文学たとえば金井美恵子でいえば『文章教室』などにも多数ありましたがこういうふうにスパダリ鬼畜系叙述トリック?な内容とマッチした「侵入」のかたちでの表現は初めて見たようにおもいます)。この方は合同アンソロジーに何度も参加経験があるからか書き方が慣れている感じで、今回のテーマに一番マッチしているのはこの短篇ではないでしょうか。三題噺ふうにいえば「百合」にカップリングされた「夜」から太陽が引き出されて、そこに異質な「ASMR」がぶつかってくる、という、さながら俳諧的な飛躍に、謎をちょくちょく残しながら進めていく書き方も、最近周囲で「小説がうまい」という言い回しが若干話題になりましたが、その意味で、うまい。