立ち読み師たちの街

襤褸は着ててもロックンロール

【記録シリーズ6】レゴブロック的走り書き

先日、学生時代に書いた短篇(ミステリ)をパラパラめくっていたら、当時の自分の見えなかったものに思い当たった。その頃の自分は、ミステリを書くというのは、思いついたあるアイデア(たとえばトリックやシチュエーションやストーリー)をただ展開させることだと思っていた。
ミステリは小説の中でおそらくもっとも形式的なジャンルだ。謎があって、謎解きがある。その点さえクリアしていれば、作品として成立する。パズル性といってもいい。個々の作品を極限まで削ぎ落とした末に残る骨格。この普遍的なフォルムが「それはミステリだ」と保証してくれる。しかし仮に、主眼を謎と謎解きのみにぎりぎりと絞ったテクストがあったとして、それは本当に「小説」ひいては「文学」なのか。クイズとどう異なるのか。
フォルムが「作品」の成立とパズル性を保証する。そのこと自体は実は「文学」性とは関係がない。だから、「文学」性など意識せずとも「作品」は書ける。では、この「作品」の成立を保証するフォルムを支えているものはいったい、何なのか。
再度、自分が「フォルム」と呼んでいるものの中身を確認する。謎があって、謎解きがある。つまり、「謎」という風景Aを「論理」によって「謎解き」=風景Bへと変換する。さしあたりここで、最低限この要素を満たす作品を「ミステリ」と呼ぶことにする。
当時、自分の頭には、何よりも先にまずフォルムがあり、それを前提として思いついたアイデアを展開させようとしていた。その際、構成要素である「謎」および「謎解き」は、さまざまに交換可能だ。つまり方程式に任意の数字を代入していくように、トリックやシチュエーションやストーリーを部品として扱い、組み替えることで、「作品」たらしめる。しかしそれらは、本当に交換可能なのか。
トリック集成、というものがある。古今東西のミステリからトリックのみを抽出し、分類し集めたもの。データベースといえる。堆積であり、辞書的でもある。辞書は、それが作られた時における、言語の状況の断面図を示す。そこでは生まれも育ちも違う言葉が、固有性をある程度捨象され、同じ形式によって陳列されている。その言葉をレゴブロックのように組み合わせることで、文章を作ることができる。(続く)